連載/続「百の太陽を探して」#10

Oct 3, 2014, Pumpkins, Artpace Sun Antonio

サン・アントニオのカボチャ、2014年10月3日(「毎日のダゲレオタイプ・プロジェクト」より) ダゲレオタイプ(銀板写真)、6x6cm
Oct 3, 2014, Pumpkins, Artpace Sun Antonio. Form the series of Daily D-type Project, Daguerreotype, 6x6cm

 

百の太陽を探して
北アメリカ(十一)カボチャの名前/中編
新井卓

丸木美術館学芸員・岡村幸宣さんの同人誌『小さな雑誌』No.86掲載原稿より転載)、加筆修正箇所あり(2019/9/10)

アメリカ、テキサスでは、大の大人たちが揃ってなにか仕事しようというとき、とりあえずジョークの一つも飛ばさなければなにも始まらない。そんな風なので、大して流暢に英語も話せない私は、滞在当初ずいぶん戸惑うことになった。
日本に落とされた二発の原爆にはそれぞれニックネームがつけられていた。リトル・ボーイ(チビ)とファット・マン(太っちょ)。広島に爆弾を投下したB29にはエノラ・ゲイの愛称がつけられたが、これは機長ポール・ティベッツの母親の名前である──これら兵器の馬鹿げた名前と、未曾有の大量殺戮行為。あまりにも理不尽な落差に、怒りを通り越して、その異様な気楽さはいったいどこから来るのか、私はその理由を知りたいと思った。

B25重爆撃機からカボチャを投下する、というたちの悪いジョークのようなプロジェクトを実行するにあたって、私たちは、サン・アントニオ市民から広くカボチャの寄付を求めた。B25からマーク氏の農場「マッチョ・グランデ」に投下する分に加え、一つずつ炸裂するシーンの高速度撮影のために、合わせて百個近くのカボチャが必要だった。カボチャには、寄付してくれた人に一つずつニックネームをつけてもらうことにした。事前に映画の文脈や、原爆投下、東京大空襲などについても簡潔に説明してあり、それをどのように解釈して名づけるかは、それぞれの人に委ねた。

幸いハロウィーンの時期だったので、アートペイス(※招聘元の非営利美術団体)の広報が広告を出してからほどなくして、様々な色と形のカボチャが、名札をぶら下げて私のスタジオに運び込まれた。ニックネームには映画俳優や有名ミュージシャンの名前を拝借する人もいれば、まったくナンセンスなもの、自分の飼い犬の名前をつける人もいる──ふと、私ならどう名づけるだろうか、と考えて、何も思い浮かばない自分に気づく。スタジオ・テクニシャンのチャドのひどいジョークに、咄嗟にひきつった笑い顔しか返せない自分と、何かが繋がっているのだろうか?それとも、これから粉々になる運命のカボチャに、我が家の猫の名前をつけることなどできないでいるのだろうか……。

一九三五年イタリア軍によるエチオピア爆撃、三七年のコンドル軍ゲルニカ爆撃、三八年旧日本軍の南京、重慶爆撃は、最も非人道的な民間人殺戮の歴史の端緒である。戦略爆撃がときおり糾弾されながらも、現代まで主要な戦法として採用されてきた背景には「効率的かつ早期に戦闘を終結させることによって、味方のみならず敵をもふくむ全体の犠牲者数を減らすことができる」とする論理が働いている。イタリアの軍事学者ジュリオ・ドゥーエが『制空』(1921)で提唱したこの理論は、今日にいたるまで、攻撃する側の罪の意識を軽くし、爆撃地の惨状を、安定に至る一過程として見過ごす姿勢を、私たちに許してきた。太平洋戦争末期、旧日本軍の戦闘機が迎撃できない高高度から飛来し原子爆弾やパンプキン爆弾を投下した乗組員たちにとって、地上に燃え広がる地獄は、どれほどのリアリティを持って感覚されたのだろうか?

(つづく)

 

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