長崎忌/原爆の図丸木美術館ヴィデオレター+短編映画

8月6日と本日8月9日、原爆の図丸木美術館のヴィデオレターが公開されました。
この2本は映像詩『オシラ鏡』のスタッフを中心に結成した映像集団「ハヤチネ芸術舎」による初の委嘱制作作品です。


今月後半から年末にかけて、丸木美術館のバーチャルツアー映像(といっても体裁は半フィクションの短編映画)を同じチームで制作します。
クラウド・ファウンディング・サイト「Global Giving」では、本作制作のための資金を募っています。結果は直接映画の仕上がりに反映されます。ぜひ、ご協力ください:
https://www.globalgiving.org/projects/virtual-tours-hiroshima-panels/

今日は打ち合わせで朝から町田へ。11時ちょうど、市役所のチャイムが鳴り黙とうを呼びかけるアナウンスが流れた。一緒にいた人と黙とうする一分間、四年前に広島で迎えた8月6日の情景が鮮明によみがえってくる。
わたしが知らなかっただけかもしれないが、初めて首都圏で長崎忌への祈りを聞いた。天皇の戦争責任や全体主義国家の過ちについて論ずることは国際社会の枠組みから見ればはっきりいって当然のことだが、それ以前に、日本人がいまだ果たしていない儀礼があるように思えてならない。それは弔いの儀礼なのだが、広島と長崎はもちろんのこと東京大空襲、沖縄戦や東日本大震災など、数えればきりがないくらい山積してしまっているのかもしれない。弔いの儀礼にきまった宗教や形式は必要ないし、理解するなど不可能な他者の苦しみの記憶について〈非当事者〉の良心が責められるいわれもない。
それでも首都・東京で、サイレンは鳴らず、電車は止まらず、何事もなかったかのようにその日その時が流れるに任せることは、一つの表現形式となって人々の意識に作用する。それは目の前にある人(それは死者たちかもしれない)を無視して忙しくスマートフォーンを弄るような、寒々しい人間性の発露に近づくのではないか。
災害のとびきり多い島国で、人々は一つ一つの苦難に立ち止まらず進みつづけ、それは民族の強さをもあらわしているのだ、とする言説がたびたびささやかれる。しかし、わたしはそれを信じない。たとえば中世文学にあらわれる無常観と、後期資本主義の非情は決して同じものではない。

2014年4月、ニューメキシコ州トリニティ・サイトを訪れた。人類が初めて核実験を行った場所にははっきりとクレーターが残り、数百万度の熱と超高圧で砂漠の砂が瞬時に溶解して作られた放射性の人工鉱物トリニタイトが今も散乱している。
有機生命体のスケールからこれほどまでにかけはなれた破壊兵器を使用するには、全ての生命をゴミとして扱わなければ到底不可能だと感じた。原爆投下が日本の無条件降伏を早めたかどうかその真実は永遠にわかりそうもない。またその真実がどうであれ、アメリカという国家の人道に対する罪、核保有国はもとより広島・長崎から75年が過ぎた今なお許してきた人類全体の罪は、どのような理屈によっても正当化されることはない。

Comments are closed, but trackbacks and pingbacks are open.