2004年【抜粋/修正版】

[12月12日(日)/2004] 無題

午前中から、横浜美術館でダゲレオタイプのテスト。アトリエ担当のSKさん、SKRBさんに、磨きから定着までひととおりの過程を体験していただいた。
生憎の天気で露光時間が20分にも達したが、SKさんは樹木に寄りかかって微動だにしない。暗箱の底に、ある生の純粋な累積、時間の束を凝集すること。他者の生の時間を、運動を奪い去ること、その行為のなんという重さ。

 

[12月11日(土)/2004] 無題

わたしの手や足だけが、よくわからない時間の経過を渡っていく。意識の芯はほとんど眠っているんじゃないか、と思う。

 

[12月5日(日)/2004] 写真の場所

目覚めて庭の窓を開けると、風に千切られた植え込みが痛々しい葉うらを見せており、ねっとりと春の陽気を孕んだ空気が部屋に流れ込む。乱流の裂れが上層からふきつけ、まるで新しくなった地上をざらざらと洗っていく。
光の爆発のただ中で今やすべてが等しく、わたしたちは眼で触れ世界をまさぐる。

 

[12月1日(水)/2004] 圧搾

維持のための制度が個々の生をじわじわと圧搾していき、また、システム全体に私たち自身が深く加担している、という事実。生の時間は維持の必要条件でも逆接でも決してなく、よく似た別種の問題なのだ。

 

[11月28日(日)/2004] 無題

同志社大での写真研究会に参加するため、週末は京都へ。想像を超える混雑の中、市内に宿が見つからず大原に逗留する。思いのほかいい宿で、たくさんの豆腐を食べ、夜道を辿って寂光院に水琴窟を聴きに行く。

研究会の終了後、佐藤守弘さんのご自宅にお邪魔していろいろな素敵なものを見せていただく(ありがとうございました)。ティンタイプの後処理と、アンブロタイプについて調べなくては。

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本日の小林美香さんによるデジオ(インターネット上で配信されるラジオ)に出演しました。
http://www.think-photo.net/mika/dedio/
自分の話し方は、語尾が聞き取りづらい。

 

[11月20日(土)/2004] すすはらい

長いブランクをおいて、路上でのスナップショット(そろそろ別の呼称を考えなくては)を再開、思いつきでパノラマ装置を使ってみる。眼に手足がついていかず、収穫はまったくなし。

 

[11月16日(火)/2004] 無題

「見ないこと」は「見ること」の非選択状態ではない。メルロ=ポンティ?

 

[11月15日(月)/2004] 蝶

『牛腸茂雄作品集成』(共同通信社、2004)を買う。距離のなんという怖さ。腸-gutのように厳しく、薄く黄色くはりわたされたまなざし。

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書くのを怠るべきじゃない、抵抗の手段としての記入、たとえ力尽きたピリオドひとつであっても。
一日に16時間も労働していて、眠りは白昼の海を越える蝶のようにあやうい。

 

[11月14日(日)/2004] 無題

松涛美術館、安井仲治。

痕跡を痕跡の意味として捉えるとき(単なる事実、表面/surfaceとしての痕跡ではなく)、そこに現在との照応関係がある。かつてそこにあったものと関係性を結びうるかどうか、きわめて微妙なポジションに立たされるとき「不安」があり、その不安の中で意味が膨張を始めるのであって、何かが完全に整理されてしまった後、こと切れてしまった後ではそういうことは起こりにくい。
私がグラフィカルな仕事(写真における)に一様な不毛さを見るのは、不確かさから生じる対話によって過去と現在の関係性を取り持つ、写真のもっとも重要な機能が、無造作にそぎ落とされていると感じるからだ。
たとえば60年という時間、たかだか人一人の生にも満たない時間のなかに、驚くべき断絶がある。コンポジションはその断絶を経てすっかり色あせてしまい、サーカスのコンタクト・シート、不確実なまなざしを捉えた数枚の肖像だけが、出会いの不安の中で、今、わたしたちに向かって対話の眼を開くだろう。

 

[10月18日(日)/2004] 無題

よく冷えて乾いた空気に気持ちが軽い。

午前中、横浜美術館へ。階下で子供たちの歓声が響き、壁に古代の稲穂が吊してある室内で、市民のアトリエのSKRBさん(岩手の、モリオカの、美しい夏草のこと。)、SKさん(デリダの話)にお会いする。イメージと言葉の周辺で、あたらしい試みを共有できればいいと思う。

夜からはart & river bankにて横浜写真会議。二ヶ月参加しない間にずいぶん人が増えた。どうやって対話の場を形成していくか、考える必要がありそう。

 

[10月12日(火)/2004] Unknown Rivers

遅い時間に仕事を終え、いくら待っても電車が来ないので、歩いて雨に煙るTM川を渡る。

(くり返し対岸へと渡りつづけた。どこへ行くにも、ひとつの場所を除いては。あれはなんという致命的な南進だったろうか、方角も知らずに。)
嵐も過ぎ去ったというのに、ざあざあと瀬音を立てて濁った水が奔っている。
(霧のメコン、泥のメコン……、そんなふうに呟きながら。
ゴングル、ゴングラ、……あれはちょうど正午で、オールド・ディストリクトの河岸の畔を、 島のように豪奢な浮きくさの一塊も運ばれていくのだった、)

 

[10月11日(月)/2004] その名にちなんで

昨晩は遅くまで友人たちと飲む。思いがけず話題に上ったサーカスのイメージが、夜明け前の鈍い夢のなかに滑り込む。

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E・ホッファー『現代という時代の気質』、ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』を読み始める。ラヒリの方は面白いかどうかまだ分からない。書き手が、生活のなかに置かれたひとつひとつの現実(それらはなんて強靱なんだろう)を捉えようとしているのは確か。
ベンガルのどこかで機関車が脱線する場面まで読み、かつてラジャスタンで見た交通事故を想い出す(砂嵐の去った午さがり、ハイウェイの傍らで幼児が死にかけていた。鉄鍋に油の灼ける音と甘たるい揚げ菓子の匂いが、茶屋の軒下からあたり一面に漂いだしていた……)。
インド人が自らの郷里に向けるまなざしの静けさには、いつも、新鮮な驚きがある。わたしたち異邦人は(そして、わたしたちは互いに異邦人なのだった、)その静寂に身を移すことはできない。永遠に。

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(夢の中で、待ちわびた電話に、何度も、応答する。 )

 

[10月10日(日)/2004] 無題

デリダが死んだ。
悲しいニュースばかり聞こえる。

 

[10月6日(火)/2004] 無題

ダゲレオタイプの新シリーズに着手。

 

[10月2日(土)/2004] 無題

ヒヨドリたちが低地に下りてきた。庭で、木犀が蕾のまま匂い始めている。
また、惜しい季節になった。

 

[9月30日(木)/2004] 実生

神谷君がフランスに発った。あいかわらず黒い衣服を着て、飛行機の中で少し緊張した面持ちで座っている姿が、ありありと目に浮かぶ。

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言葉なんか発しなければよかった、と思って話していて、別れの際に、思いがけないごく短い言葉に救われることがある。

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Sから持ち帰った山芍薬の種を鉢に撒き、その上にごく薄く水苔を振り掛ける。
これからわたしは待たなくてはならない、このたねによって吉兆を占うことなしに、遠い雪解けまで。

 

[9月25日(土)/2004] After dark

ただ一つの困難さを前に(困難さとは、その事柄が実現可能か否か、という問題とはほとんど関係がない)そのほか何一つ重大なものはなく、やがて、夜明けの様な明白さに、世界が静かに白んでいく。

 

[9月21日(火)/2004] 無題

臨時で理策さんの助手をするため、新幹線でH市へ。帰りがけ、別の仕事のために機材をお借りする事になり、ひたすら恐縮している。

 

[9月20日(月)/2004] 宇都宮×外苑前

昨日は、Uと共に宇都宮へ。写真家のSTさん、早稲田芸術学校のIMさんに出会う。
通り雨が静まって街が淡い菫色に沈んでいる。宇都宮は不思議な既視感のある街だ。

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今日は外苑前のギャラリーDAZZLEにてトークを聴く。「子供の写真」をテーマに、19世紀のダゲレオタイプから現代の広告写真まで、「子供」のイメージの変遷を追う内容。終了後、近くの居酒屋で平木収さん、竹内万里子さんと久しぶりにお話できて嬉しかった。

 

[9月17日(金)/2004] いま、ここ

今日はWK市でロケ撮影、早朝に起きて集合場所に向かう。白黒模様の牛がたくさんいて、眠ったり食べたりしている。
新しい職場ではこれが初めての撮る仕事。どんなにつまらない内容であっても、やはり現場は楽しい。

 

[9月13日(月)/2004] ひも

昨日は神谷君の渡仏壮行会。(友人がひとり発つとき、不意に握っていた紐を離すような、心許ない気持ちがするものだ。)
大勢の友人たちといるとき、わたしは子供みたいになり、いつも飲みすぎる。

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たとえば美しく歩くことを心がける、といったような習慣が必要だと思うし、またそうしている人はすぐに見分けられるのだ、と思う。

 

[9月7日(火)/2004] 無題

今日は風が強い。
わたしたちは一体、どうやって届き、届かせうるのか?

 

[9月4日(土)/2004] 無題

午後から近美、琳派展。俵屋宗達が好きだ。奥行きとしての箔の使われ方にはじめて気づく。

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早く海の近くに引っ越そう。

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今日は内海君の誕生日。酔っぱらいを河川敷に置いていくような不埒な友人で申し訳ない。

 

[9月1日(火)/2004] 無題

いつも空だった四本杭に、今朝は青いペンキのほっそりした漁船が舫ってある。艫のところで、鴎が一羽、黒いピリオドになって羽を休めている。

残余という一つの分類、なかでも、とりわけ可能性の残り火はいつだって人を苛む。

ダゲレオタイプのことで、友だちと電話で話す。彼らの分身を、見知らぬ土地に旅させるのは、勇気がいる。

 

[8月26日(木)/2004] 魚の時間

一日が終わるのがはやく、日が経つのがおそい。薄いベージュの象牙の部屋。

 

[8月25日(水)/2004] NY

キュレーターの福さんからメール届く。地球の裏側で自分の作品に興味を持ってくれる人がいる、というのは嬉しい。どんなに時間が足りなくても、作り続けなくては。

 

[8月23日(月)/2004] 無題

今日から新しい会社勤め。
マドから運河が見える。

 

[8月21日(土)/2004] ウミ、シバ

何気なく電車に乗って、TRM..界隈に出かける。四両編成の小さな線を乗り継ぐと、終点が唐突に海の上に浮かんでいて、その地区の工人以外、下車することはできない。錆の浮いた窓枠。緑の鉛筆に真っ白なノート。三時になろうとしている。右手から鷺が二羽、連れだって飛んでいき、アルミニュームでできた空の真ん中で、不意に蒸発してしまう。

 

[8月20日(金)/2004] 無題

デジタルを買うのをやめて、6×7版のカメラを買った。

 

[8月19日(木)/2004] 無題

白い正午には人ひとり見つけられない。干割れた日々の浜辺に、一陣の熱風が煮えたぎったシリカを運んでくる。見えない遠くでほそやかな黒線がスッ、スッ、と立っている、
煌びやかな鉱物の時間に、住まうことはできない。住まうことができない、わたしは。

 

[8月15日(日)/2004] 無題

横浜美術館、「ノンセクト・ラディカル」展。 写真学校の友人たちといろいろ話す。

 

[8月14日(土)/2004] 三遊亭

寄席。再会。
どんどん透きとおっていく。

 

[8月11日(水)/2004] 水上の火

昨晩、MNの誘いで鎌倉の花火を観に行った。緑の燈火を掲げたタグボートが、玉を投げ込んでいく傍から、水上にまぶしい半球の大輪が咲いていく。漣に刻まれた水面の反映。海風に煽られてはためく露天の軒。
塩からい風景が硝子瓶のように透き通って、遠くで、ひとつの季節が終わりを惜しんでいる。

– – –

『浅草十二階』の細馬宏通さんが、「ラジオ沼」の第47回で、私の写真を紹介してくださったらしい。45回は、鏡の裏側に行く話。東京のホテルで、夜、つぶやきが漏れないように喉をふるわせる声が良くて、薄い壁の向こう側に引き込まれるようにして、聴いている。

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葉書が一葉とどく。女木島の美しい海景の消印。

 

[8月9日(月)/2004] parcel

ようやくNYに向けて作品とファイルを発送する(FedEXだと翌日には届いてしまう)。自分の仕事はとてもローカルなものであり、ローカルな部分が重要だと思っているので、向こうで私の作品がどのように受け止められるかとても楽しみ。

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私は自分の日記を「航海日誌」と呼んでいる。このあわれな小舟が、罪と涙と多くの悲哀を通過して、上なる天を目ざして進む、日毎の進歩を記録したものだからである。(中略)このような記録の一部が今、公にされるのである。読者はそれから、何なりと、思いのままの結論を引き出すことができるであろう。(内村鑑三『余はいかにして基督信者となりしか』)

こうした告白が転倒した権力意識によって動機づけられていることを、柄谷行人は『日本近代文学の起源』の中で見抜いている。自己を投げ出すかのように見えて、実は、告白=「真実」(または記述によって生じた真実)を読者に突きつけることによって、書く「主体」が確立されていく(もちろん、内村がわざわざ「一部」と書いているように、告白は記述があるかぎり、その前線が変遷することはあっても決して完了することはない)。そして、これは現代の「表現」一般に流布した制度と見ていい。

 

[8月7日(土)/2004] 慎重に

言葉には決まった意味などないので、 問題は、言葉に対するわたしたちの「まじめさ」にあるのかもしれない。言い替えれば、私たちにとって、どのような記述もそれが書かれ/読まれ得る限りに置いて、真実として機能するということ、あるいはそのように制度化されているということだ。

ブログを更新しなくなってから二ヶ月ほどになるが、未だに、インターネット上に浮遊する言葉との付き合い方が掴めずにいる。いまのところ、なるべく透明性によらず書くことが、わたしの、言葉への不信感に対抗する唯一の手段に思える。少なくとも今は、この場所で書くことが自分にとって必要な作業と思えるので、(慎重に、たどたどしく)また更新を続けようと思う。

 

[8月5日(木)/2004] 無題

カルティエ=ブレッソンが亡くなった。 悲しい。
いつか一度、お会いしたかった。

 

[5月29日(土)/2004] 無題

京橋の堀内カラーで昨日の上がりを見る。問題なさそうなのでよかった。

 

[5月28日(金)/2004] 百点

「銀座百点」のロケ撮影。
チームで仕事するのは今回が初めて。いつもは一人で完結させる職業なので、同業者ってすごく心強い。

 

[5月27日(木)/2004] Figaro

打ち合わせが一件と、夕方から、STMHRさんの依頼で「フィガロの結婚」のゲネプロを撮影。彩の国さいたま芸術劇場は、ちょっと遠いけれど、奥行きがあって素晴らしい空間だと思う。
終了後「鐔」(お昼の「銀むつの煮付け定食」がおすすめ)でNPOでの恩人たちに合流。ライターの二人を中心に、事務所の共同管理プランが浮上する。

 

[5月26日(水)/2004] 善知鳥

仕事の合間に、奈良原一高「時空の鏡:シンクロニシティ」展を観る。言葉が標榜するような神秘性はむしろ欠片も感じられず、例えドキュメンタリーであっても、すぐれて構築的な意図を感じさせる仕事。モノクロのパートを観て、実物のプリントより印刷にした方が向いているように思った(奈良原一高の写真は今まで印刷でしか見たことがなかった)。ネフローゼ症候群という病気による知覚異常を、本人の経験を基にそのまま具体化した作品が興味深い。世界がこんな風に、複眼のように見えてしまうのか。

夕方から、坂井音重氏の能「善知鳥」の撮影。能だけは、古典芸能という気がしない。かたわで、それでいて線の強い情念が、確かな現在性を持って自分自身の感情と共鳴するからだ。
来月は「隅田川」を観に行こう。

 

[5月23日(日)/2004] 天秤

世田谷美術館で、宮本隆司写真展を観る。
失われゆくものではなく、失われたものを捉えた(でも、これはすでに矛盾しているだろうか?喪失には実質がないので、写されたものは、瓦礫や、破壊によって崩された直線などといった「喪失を表象するもの」に過ぎないのでは?)写真。
九龍城砦のシリーズが好きだ。内なるものの絶えざる構築と、外郭の崩壊が異様な緊張度を保って、鮮明に意識された一点(=死)を血走った目で見つめながら、あるいは半ば目を逸らしながら、人々が暮らしている。いつ崩れてもおかしくない九龍城砦の内部に分け入ったとき、写真家は「わたしがいる間は大丈夫」という、致命的で、人間ならだれしも共有している楽天性によって、住人たちとある種の共犯関係にあったはずだ。増殖と絶滅、生活と死が、生におけるアイロニーの亡霊となって、印画紙の上に湿っぽく息づいている。

 

[5月21日(金)/2004] 無題

昨晩、高田馬場でローズリー・ゴールドバーグの講演「パフォーマンスの20世紀」を聴く。短時間だがいくつかの作品例が上映され、はじめて見るものもあって面白い。ライブ・パフォーマンスの記録映像もあり、ハンナ・ウィルケの現場での受容のされ方に軽いショックを受ける。

今日は9年ぶりに歯医者に行くことになり、少しでも逃げたい気持ちを紛らわせるために、写真展を観てから行くことに。

日動コンテンポラリーアートにて、Identity II展。数少ない写真は大きいだけであまり良くなく(作品ひとつひとつというよりも、明らかに構成の問題)、映像もプロジェクタが不調で見にくい(このギャラリーはガード下にあるので、時折轟音でなにも聞こえなくなる)。Eija-Liisa AhtilaはどうやらIdentity Iのほうで見逃したらしく、非常に残念。

江古田の日芸資料館では、エメット・ゴーウィンのオリジナル・プリント展が開かれている。あまりにも有名なFamilyシリーズは、中判から4×5inch以上のカメラで撮影しているにも関わらず、プリントサイズは8x10inch程度に抑えていることが分かった。そのため、衣服の襞や肌の肌理が、透き通るような輝きを失わずに印画紙上に留められている。ハリー・キャラハン直伝のプリントの冴えは、とにかく実物を見ておくべき。

そろそろグレーの探求を再開しよう。

 

[5月10日(月)/2004] 二人展終了

「洋上の浮子、花の筏」展が終了しました。
短い会期にもかかわらずご来場頂いたみなさま、設営や搬出を手伝ってくれた友人たちに、心から感謝いたします。ありがとうございました。

 

[5月6日(木)/2004] 「洋上の浮子、花の筏」

内海君と弟の全面協力のお陰で、とりあえず作品搬入が完了。作業を終えて会場を見渡すと、展示空間に対する課題はかなり鮮明だ。
でも、ダゲレオタイプやってよかった。

 

[5月2日(日)/2004] 旅

半島を下っていく道行き。かつて、いま。幾度となく。
希望を留保し、絶望から身をもぎ離すこと。

 

[5月1日(土)/2004] 季節2

Sを撮影するため、福島へ。たった二時間の北上で(臨席の人の東北ことばに、耳を峙てながら……)、わたしは、季節をひとつ追い越してしまった。峠を越えて磐梯山へ近づき、沢山の色とりどりの沼が隠された森に入る。重い雪が跡形もなく消え、粉砕された木片に埋め尽くされて、小径はたったいま息を吹き返したばかりだ。いつか、もう一度ここに来よう。

 

[4月29日(木)/2004] 季節

昨晩、慶応大で舞踏公演『野の婚礼』を撮影。戸外が群青に暮れていく中、硝子張りの箱が徐々に孤立していく。来月、この空間で能をやる。

– – –

西風に甘く忍冬が匂う。緑が強くなって叢林を破裂させている。光がひらめく無数の刃のように街路に転げ落ち、脆い青紫のへりで言葉が息を潜める。

 

[4月26日(月)/2004] 十年

中学時代の恩師、YSD先生を撮影。あれからもう十年も経ったのだが、何ひとつ変わってはいない。先生の顔も、声も。わたしさえも。
わたしは人生の時間を量的に感覚する事ができないので、蓄積に対して関心が薄いのかもしれない、と思う。

– – –

展示を終えたら、写真なしに、目的も口実もなしに、友人たちに会いに行こう。

 

[4月25日(日)/2004] 無題

今日は町屋でYSKのダゲレオタイプを撮影。光が強いのに空気は冷たくて、アントワープにいた夏を想い出す。長い露光に耐える彼女の両眼から自然と涙がこぼれだし、胸が痛む。
銀板の磨きに馴れてきたこともあって、結果は今までで一番良い出来。

 

[4月24日(土)/2004] エメラルドグリーン

午前中、多摩川の河川敷でSHKのダゲレオタイプを撮影。ちょうど昨日仕事が決まったそうで、なんだか晴れやかな顔をしている。わざわざ来てもらったRは、その後雲が出てきたため撮りそびれてしまった。
川縁はまさに春の野という感じで、草々のエメラルドの輝きに沸き立っている。
幾つものかけがえのない季節を横目に、わたしは足早すぎるのかもしれない、と思う。

– – –

たまたま古書店の目録で見つけて、恩師M先生の写真集と、鴨居玲のカタログを購入。鴨居玲の描く顔には「上滑りする絶望」とでも呼ぶべき不穏さが刻印されていて(それも、あまりにもあからさまに)、ページをめくる度にぎくりとさせられる(以前何かの番組で、彼の肉声を聴いたことがあるのだが、湿ったほら穴のような、耳に纏つくような声だったのを覚えている)。[4月22日(木)/2004] minimal

インスタレーションは構想段階で飽きたので放棄。プリント作業のペースがある程度定まってきたのと、多量のカモミール茶のおかげで、気持ちが少し落ち着いてくる。
展示用の大伸ばし(といっても11x14inchに過ぎないけれど)は苦手。35mmはもともとネガが小さいので、8x10inch以上に伸ばすと粒子が目立ち始め、写真の魔法のような密度が失われてしまうからだ。
大伸ばしが主流の現代だが、今後も35mmでスナップショットを続ける限り、できればその半分くらいのサイズで有効に見せる手段を考え出さなくては。

 

[4月21日(水)/2004] 無題

普通でない慌ただしさの中にいる。
こういう時に限って、傍らで、自分にとってとても本質的な別の問題が立ち上がる気配を感じるものだ。整然と敷設された日常の中で、あらゆる感情の細部を受け止めながら生きたいと希うが、一体いつになったらそれは可能になるのか?

 

[4月17日(土)/2004] 清/瀬

時間の輻が、日々の確かさで、磨り減っていく。

今日はRのダゲレオタイプ撮影のため、Uと共に、清瀬の町を初めて訪ねる(風景のへりでBatu Pahatを想い出していた、冷たい見えない川の匂いを嗅ぎながら……)。
研磨をさらに改良したおかげで、銀板表面の状態はとても良い。しかし、定着を今までの感覚的な調合ではなく、標準的な処方に変えて行ったところ、仕上がりの濃度が薄くなってしまった。結局自分で判断した方が正しかったということか。もっと自分を信じなくては。

家に戻ってから、4時間かけて新しい銀板を二枚研磨する。澄んだ銀のおもてに、バイオレットから群青へ、刻々と日暮れていく空が映り込んで輝きを増してゆく。窓縁に腰掛け、無心に鏡を見つめるこの永い時間が、いま、わたしにとって何よりも大切な意味を持っている。

 

[4月16日(金)/2004] UNKNOWN COLORS

見覚えのある風景に向けて構えるとき、かつて、その場所にまったく違う仕方でわたしが在ったことを、不意に意識させられる。それは、決してその時と同じように感覚することではなく、まるで周知の事実であったかのように、客観的に、性急に宣告されることだ。また、かつてその場所に在ったのは、わたしであった何者かであるが、それと同じ確かさで、まるで見知らぬ他人であったかもしれない、と言うことができる。
他者の内に自身の肖像を探ることは出来ない、では記憶とは何か、過去と思えるものに言語をorientする標識とはいったい何か?
記憶の輝きとその貧困さの狭間に走る亀裂から、現在をどうやって救い出すことができるか。

 

[4月13日(火)/2004] TOTALLY DISORIENTATED

柘榴のような口を開けて炸裂するいま、いま、を正視すること。糸口を掴むこと、聞き耳を立てること。

 

[4月11日(日)/2004] (無題)

午前中に父と弟をダゲレオタイプで撮影、今日も上手くいく。数値に頼らなくなってから、だんだん匙加減が掴めてきた。露光決定には自分の「肌」の感覚も一役買っている。

夕方からは、結成第一回目の「横浜写真会議」に出席。NKT、SNG、KMT、MEDの作品をメンバーで批評する。

 

[4月9日(金)/2004] Light Value

お台場にて、Kのダゲレオタイプを撮影。今回は露光時間が長かったが中間調が良く出たので、上々の出来。
その場で感光処理を施し、露光して、現像後に像が出てくるまでの2時間弱、ずっと祈り続けているような気持ちだ。

 

[4月7日(水)/2004] 翼

サン=テグジュペリの飛行機が、マルセイユ沖で発見されたらしい。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/3606903.stm
機体には銃弾の後もなく(テグジュペリは偵察部隊として従軍していた)、60年前の快晴の白昼に、白い静寂のような死が、彼と彼の飛行機を手の届かない高みに連れ去ってしまった。

 

[4月6日(火)/2004] 無題

すぐ近くにあるものを、見ること、聞くこと、感じること。たとえば腔腸動物たちが海の底でごく自然に行っていることを実現するために、ただそれだけのために、遠回りばかりしている。

 

[3月30日(水)/2004] 関西のこと

4日間神戸にあるUの実家にお世話になり、昨晩帰京する。

26日は、スタジオ・アーカで金仁淑さんの個展。会場に入ると、作品のプロジェクションに合わせて音楽が鳴っていて、冒頭で金さんも歌っている。写真家なのに歌が上手すぎ!展示の方法や点数に問題を感じるが、街中でスナップしたセルフ・ポートレイトは、不思議な色気が漂っていて好きな写真だった。その後、ギャラリストのSKAIさんと色々お話しする。同スペースでは、完成された展示と言うよりもむしろ、観客を巻き込んだ形で期間中に作品が発展していくような、参加型の展示モデルを試行している。近く一回り大きな展示空間に変貌するそうで、いろいろなことができそう。

次にギルド・ギャラリーで同じく金さんが企画に携わった展示(アジア諸国の「壁」を撮影し、ほぼ同寸で展示している。しかし、すでに消費された視点である気が、しないでもない。6×6の中判を大伸ばしにすると、曖昧な叙情性がでてくると感じるのは、わたしだけだろうか?)を見、小林美香さんと待ち合わせて、PICTURE PHOTO SPACE(今は展示準備中。アラーキーの写真が二点、さりげなく壁に掛かっていた)、Nadar(大正時代に建築されたビルの地下一階にある。ここも、展示だけでなく、ギャラリーの様々な可能性を探る活動を展開している模様。新人ギャラリストのYMSTさんに写真を見ていただく)、最後にThe Third Gallery Ayaへ。同ギャラリーは、十年越しのプロジェクト「Argus」を企画するなど、東京にはない体力と熱意を持っている。Argusメンバーの小林久晃さんが会場に見え、ギャラリー代表の綾さんにも作品を見ていただくことに。毎度のことながら、作品を見せると寿命が縮まる。私の作品については、判型やプレゼンテーションの仕方について、ギャラリーして現実的なご指摘をいただいた。閉廊後、小林美香さん、綾さん、Uと共に、近くの中華料理屋でお話しする。

27日は、長岡京の大阪成蹊大で催された写真研究会にお邪魔する。NBTさん、NJMさんの発表を聞いた後で、『Aria』を上映する機会をいただいた。写真研究会は、分野も研究対象も少しずつ違う研究者が集まって、批評/研究を行う創造的な場だ。東京にもこういう集まりがあればいいのに、と心底思う。会の終了後、京都駅の近くで打ち上げに参加(飲みすぎ)、小林さんや佐藤守弘さんからいろいろな批評をいただいた。

最後の28日は、Uの案内で大阪周辺を散歩することに。3日間歩きづめだったため、足の指がマメだらけになってしまった。

 

[3月25日(水)/2004] 作品を持って

関西に行ってきます。

 

[3月24日(水)/2004] 無題

慶應大日吉キャンパスにて、『Aria』のラッシュ。Yさん、RYさん、TKSK君、忙しい中参加していただき、ありがとうございました。

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四日間ほとんど眠っていないせいか、幻聴が聞こえる。

 

[3月23日(火)/2004] 無題

内海君と、東京駅で金仁淑さんに会う。お互いに映像作品を持っていたので見せあうつもりが、PCのバッテリーが切れ『Aria』をDVカメラのモニタで見せるだけになってしまった。金さんとは、いつかもっとゆっくり話したいと思う。

– – –

徹夜でプリント三日目。中間調を基準にしたコントラストを意識しはじめてから、プリントの質が向上したように思う。黒に関わりすぎてはいけない、黒に関わり始めるとテスト・プリントから抜け出られなくなる(たぶん市販の印画紙で再現できる黒が、あまりにも偽物すぎるからだろう)。グレーがうまくいくと、「つかえ」が取れ、画面の中で何かが歌い始める。

– – –

明日は『Aria』の最終ラッシュ上映を行います。飛び入り参加も歓迎です、ぜひ観にいらしてください。
場所は慶應大日吉キャンパスの来往舎、時間は19時から21時ごろまでで、何回か不定期に上映します。

 

[3月22日(月)/2004] よく眠れないので

海辺の長屋に住む夢を見たので、目覚めてから、身体に磯の匂いが纏いついている気がする。

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ポートフォリオに作品を追加するため、ここ数年間のネガをぱらぱらと見直している。すでにもう直視できない写真があるとはどういうことか?写真には、記憶のような暗部がなく隠れる場所がない、白いきれいな手術台みたいに。

 

[3月21日(日)/2004] 無題

関内横浜市民ギャラリーにて、「今日の作家展2004」最終日。ヤン・シャオミン氏の「若者」シリーズは新旧並んでいて、筆致の遍歴がよく分かる。そして、橋口穣二の最近の仕事は本当にすごい。会場で『夢』という写真集を買って、その内容に瞠目させられる。

 

[3月19日(金)/2004] 思いつき

言葉は真実を指向し、イメージは現実を切り閉じる。

 

[3月18日(木)/2004] Let it come down

時折ぎらついた空を覗かせながら、分厚いグレイの雲海が飛びすさっていく。険しさの欠片もない雨がひたいに降りかかり、眉の根が開いていくような涼しさが心地よい。
かつて、どこで、こんなふうに雨を浴びて佇んでいただろうか?(ぱたぱたと記憶の暗がりで展開する土地の名。Pulaで、釜山で。フェッラーラで?)
わたしは異様な鮮明さで何かを想い出すことができるが、その記憶と自分との関連性を見出すことができない。

 

[3月17日(水)/2004] 『Aria』ラッシュのお知らせ

映像詩『Aria』のラッシュ上映を、今月24日の19:00から来往舎(慶應義塾大日吉キャンパス内)で行うことになりました。
昨年12月のシンポジウム以降、コンセプトの再検討と試行錯誤を重ね、『Aria』は全く新しい作品に生まれ変わりました。
東京でも近く上映会を開く予定ですが、作品誕生に立ち会ってくださる方、お時間があればぜひ観にいらしてください。

 

 

[3月14日(日)/2004] 無題

光ある時間は猛獣のように過ぎ、真夜中、まるで夢遊病患者のように、日記に、それからこのブログに書き殴って眠りに就く。いつからか、わたしの生活は大切な検証の時間を欠いている。
渡り歩かないこと、簡単なもの、怖くないものから先に片づけようとしないこと。本当のところ、そんなものは重要でないのだから。

 

[3月13日(土)/2004] 無題

研磨の方法と沃化のプロセスを自分なりに改良し、ダゲレオタイプを再開。手始めに母にモデルになってもらう。深いシャドウと繊細なディテールが出ていて、今までで一番の出来。しかし午後に撮った父の方は、露出アンダーで、わたしの非水銀的現像法では像が十分に出てこなかった。メーターで計測できる光量(EV)以外に、露光時間を決定的に左右しているらしい、ある要因に気付く。
季節、天候、時間、気温、湿度、空気の透明度……あらゆる条件が、プロセスの最初から最後まで蔓草のように複雑に絡み合っている。数値や比例関係に頼ることは出来ない。35mmの一眼を手にしているときに比べ、ダゲレオタイプを扱っているときは、世界は何十倍も大きく、到底わたしの手に負えないように感じられる。

 

[3月12日(金)/2004] Spring bed

夢。

空気が硝子のように冷たい昼下がり、薄曇りの日。整備された歩道(まだ若い街路樹がほっそり立っていた、)からその建物に入った。建物はラテン語の学校であった。私は新しい学生証を持っていて、それで認証すれば図書館を自由に使えるはずである(そして、ここでまた別の夢、一月か二月ほど前に見た図書館の夢に接続するのだった。二階は自由書架。うすっぺらい児童書が手垢に縒れて、乱雑にしまわれていた)。ところが地下一階はがらんどうになってい、窓から葛の蔓がいっぱいに伸びた崖が見えるばかりだった。張り紙を見ると、改装につき図書館は25階に移動した由。なるほど、校舎はすっかり一新して、3階より上は現代的な(だが同様に空疎な)建築に置き換わっているらしい。エレベータは嫌いなのでエスカレータを選ぶ。建材は透明な部分や吹き抜けの構造が多く、階下まですっかり見通せて恐ろしい。25階付近でマシュー・バーニーの「クレマスター」を想い出していると、近くを通った二人組が、「この建築は子宮を模したデザインになっているらしい。斬新だ。」などど語り合っている(だからどうしたというのか?学生たちのそんな会話は、いつも本当に馬鹿げている……)。どうやらその子宮の再深部らしい、傾斜の殆どない長いエスカレータを抜けると、目的の図書館があった。学生証を機械に通す。ゲートが開く。中に入ると、建物全体がひどく揺れているのに気付く。ビュウビュウ轟々と風を切るただならぬ音、そして壁が共鳴して激しく震えている。あまりに恐ろしくて、本を借りるどころじゃない。どうやら最上階は、細い支柱に乗った円筒形、ちょうど人工衛星を思わせるような形の箱で、箱が上空を吹き荒ぶ疾風のただ中に突きだしているらしい。こんな設計では、共振のためこの部屋もすぐにばらばらに砕けてしまうだろう(なぜ、司書や他の利用客は平然としているのか?避雷針について、誰かが話している。……最新の理論では、避雷針は必要ない。いずれどの建物からも避雷針などはなくなってしまうだろう。……そんなことはどうでもいい、この建物の設計をなぜだれも疑わないのか?私はやり場のない怒りがこみ上げてくる)。

 

[3月10日(水)/2004] yellow/flag

満月よりも黄色い水仙の束を貰ったので、部屋が浮き足立っている。貝殻のような素粒子で覆われた茎の緑、強い緑は冬の眠りから迷い出てきたように重たく煌めいている。

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ダゲレオタイプが想像以上に脆弱なことを思い知らされ、専用のケースを自作することに。またしても苦手な木工、単純な細工に7時間もかけてようやく完成する。赤レンガの展示までに、どれだけ技術的な質を高められるか、試してみよう。
[3月8日(月)/2004] 洋上の浮子

午後、赤レンガ倉庫1号館。鯨津さん(原美術館の作品もおもしろかった)が黙々とドローイングを書き進めている傍で、KKCHさんと展示の打ち合わせをする。こちらの希望をいろいろ快諾してくれ、会場の機材も最新のものばかり。力が入る。

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プリント、プリント、プリント。

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月。わたしたちが失ったものがぜんぶあそこにあるとしたら。

 

[3月7日(日)/2004] 無題

午前中、用事を済ませたついでに渋谷を歩き回る。場所に対する憎悪は以前に比べ薄らいできたけれど、この街でたくさん見かけるカメラマンは、みんな変質者に見える。

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わたしが呼吸するように、眼前の世界も呼吸している。振り返ったり逡巡したりせずに、呼吸のなかでシャッターを切ること。 「距離」は実のところ問題ではない。

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午後は『Aria』の制作。今日は神谷君が来られず心残りだったが、さらに新しい次元で「解体」を進めることができた。

 

[3月6日(土)/2004] 無題

昨日はTCPの卒業式だった。日比谷公園の松本楼で、鈴木理策さんと少しだけ言葉を交わす。わたしはこの人に会いたくてTCPに通うことにしたのに、最後の日になってようやく話すことができた。

 

[3月4日(木)/2004] Mars

午後に『LOOP』の取材、編集のTWRさんに同行して池尻大橋へ。

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突然降り出した雨が冷たい。沢山の電話。車輪が飛沫を上げる音で、よく聞こえない。

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もう何年も、ただひとつの幻想と戦っている。それがわたしの源泉であり、トラウマでもある。

 

[3月2日(火)/2004] 無題

午後一杯『Aria』の再編集作業にあてる。
夜、電話でUにくだを巻きつつも、赤レンガ倉庫の企画書をようやく書き上げる。わたしは短気すぎるので、こういう仕事は向いていない。

 

[2月29日(日)/2004] 無題

仕事を一件済ませてから、用賀にて『Aria』の録音作業。スケジュールは厳しいけれど、ようやく、本当の意味で対話を進めながら作っている。手探りで。

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装幀を担当した美術の副教材が配本になる。制作費と旅費を賄うため、近頃は何でも屋状態。でも、幸い仕事内容は面白いのでそれも良し。

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NHK「日曜美術館」で、中平卓馬の特集をやっていた。この人の写真を、病後であれ「自由」であると感じたことはない。身体は空気のように軽いのに、まるで、きつく縛られていた跡が痛々しく手足に残っているような、そんな印象をいつも受ける。涙を流し尽くした後の明るさと弱々しさ。
写真家の日常に科せられた仕事の不毛さは、写真家にしかわからないのだろうか。

 

[2月28日(土)/2004] 波

用事は突然、まとめてやってくるものらしい。次々に仕事の依頼が舞い込む。午後からはUと共に『Aria』の写真の選定と再配置に着手、帰宅してから、赤レンガ倉庫に提出する企画書のドラフトを書き終える。
赤レンガの企画は、一見するとかなりコンセプチュアルだが、たぶんわたしの取り組み方次第で、作品の温度は全く変わってくるだろう。思い切りよく。

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忙しいと保守的になり、独善的になるので注意すること。

 

[2月25日(水)/2004] 潮目

懐かしい人々と偶然の再会が重なる。その結果小さな仕事も入る。

 

[2月23日(月)/2004] 無題

赤レンガ倉庫に提出する企画書を作り始める。とりあえず何から書き始めればいいのか分からず、しばらく呆然とする。

伸ばそうと思っていた髪を短く刈ってしまう。首が涼しい。
些細な欲望さえ持続させることができない。こうして、緩やかな記憶喪失の中に、脱落し続ける現在だけに生きている。

 

[2月22日(日)/2004] 無題

朝に少し撮影してからYMと待ち合わせ、原美術館へ。二人のアフリカ人写真家、オジェイケレとシディベの展示を観る。
子供の頃から触れてきた「アフリカ」を表象する写真は、ほとんどが内戦や飢餓、アパルトヘイト下の人種差別など災厄に関するものが特に多かった。仮にそうした直接的な意味内容が写し込まれていなくても、そうしたコンテクストに視線は影響される。その場合「日常」は与えられた幕間狂言でしかなく、まなざしによる支配関係と搾取が、そこでもまた明確になっていたわけだ。
しかし、オジェイケレの作品はあくまで日常的ファッションとしてテーマ化されているのであって、ありがちな文化人類学的、あるいは身体論的な生真面目さはない。シディベの場合も、川辺での水遊びやパーティでの若者の盛装ぶりなど、不必要な政治性や問題提起をほとんど含まないために、写す主体と被写体にごく自然に自己投影できてしまう。つまり、異邦人が作品化したどんな写真を見るよりも、地元の写真家が生活圏内の現実に対してどのようなまなざしを向けているか知ること、の方がわたしたちの認識を変える力を持っているということだ(イラクやアフガニスタンから転送されてくる無数のイメージによって、自分たちの現実認識が本当に変わったかどうか、考えてみるべき)。

 

[2月18日(水)/2004] 此岸

多摩川右岸のシリーズに着手。ここに生まれ育ちながら、半ば見ないようにしてきた土地だ。
わたしが小学生だった頃、つまり80年代中後半の多摩川といえば、家庭排水で富栄養化した水の底に恐ろしげなヘドロが蠢いており、ブラックバス用の釣り糸を引きちぎるミュータント・ウナギなどが棲んでいた。時々用水路がピンク色になることもあったし、ホームレスは決まって雨の当たらない橋の下にたむろしていて、子供たちに畏れられていた。それが、現在では水質が改善され、両岸には、ブルーシートと木材でできたホームレスのバラックが整然と並んでいる(以前内部を見せてもらったことがあるが、支柱も床板もある相当堅牢な構造で、「ホームレス」という言葉がそぐわないと思えるほどだった)。第一京浜道路に沿うようにして、重工業地域の名に合わない高層マンションが、現実味のないまま生えだしている。
だれも相手にせず、注視もされないまま、どうやらこの土地は勝手に変容しつつあるらしい。
人の移動についての統計学的な資料や、市の再開発計画なども気になる。もちろん社会的な意味性とか告発めいたメッセージ性を持たせる気はない。行政区分という架空性の中で、ある風景ともう一つの風景が混じり合わないまま接し合っているということ、またその間で暗黙の裡に避けられている移動というもの(わたしたちの生活は一つの平面を網羅したりしないということ)があると思う。住人であるわたし自身も共有しているそうしたコードを、いくつかの方法で撹乱しつつ歩き回り、この土地の名を、日付と透明なアドレスの単位まで解体したい。

 

[2月16日(月)/2004] 無題

中田君の提言から、TCPの仲間たちと「写真検討会」(仮称)を四月からの毎月開くことに決まった。いろいろなゲストを迎えながら、各自が制作中の作品について厳しく批評し合う場にする。
自由参加なので、興味のある方はこちらまでご連絡ください。

 

 

[2月13日(金)/2004] 無題

『現代写真のリアリティ』(角川書店、2003)を読む。
昨日、色々内海君と話したことなどもあって、少しずつ気力が復活しつつある。にわかに髪を切りたくなる。ふと、にぎりめしを作ってみたりする。

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たった今、何を憎み愛撫したいのか、何を激しく渇望し、あるいは喪失しつつあるのか、透明に自覚しながら決して熱を失わないこと、それが結果的に批評に耐えうる強度を作品にもたらすはずだ。そのためには、いつも欲望の源泉から出発しなくてはならないし、テーマとかいう観念から後ろ向きに思考するべきじゃない。

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以前デレク・ジャーマンを配信していたサイトで、今度は『MODULATIONS』を流している。近年のエレクトロニック・ミュージックの動向が簡潔に整理されている。

 

[2月11日(水)/2004] 無題

表参道で写真批評の小林美香さん、竹内万里子さんに初めてお会いした。始終圧倒されっぱなしだった。小林さんは本の執筆を、竹内さんはウェブサイトの立ち上げを画策されているとのこと。いろいろな話を聞きつつ、わたしもがんばらないと、と思う。

 

[2月9日(月)/2004] 無題

写真と映像の関係は、河床とせせらぎの関係に近い。わたしたちは片方しか見つめることができない。刻々と流転を続ける水のおもて、あるいは陽差しに輝く永遠の不動、そのどちらか一方だけを。
ムラーノの鏡には銀の裏打ちが施してある。両方を作品に導入する場合、片方に次元を接いでもう片方に到達できる、というような古くさい考え方を棄てるべきだ。
以前の『Aria』では、低速度撮影の写真を、映像と写真のキメラとして扱った。しかし、写真に時間が集積されればされるほどむしろ映像から孤絶していくということ(あるいは写真には時間ではなく光しか集積しないということ)に、わたしは早く気づくべきだった。光より前に時間があるかどうか?アウグスティヌス。

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『Aria』のためのアイデアが浮かんだので、実験してみる。再編集後の作品は、誰も予想できない全く新しいものになるだろう。とにかく、曖昧な「コンセプト」は燃やし尽くすべき。

言葉でのやりとりは、伝達の困難さと言うよりも、むしろ伝達可能だと思いこむことに危険がある。残り少ない時間の中で、それぞれの細部をひとつひとつ作品化しながら、可能な限り思考を伝え合おう。

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錯視などについて調べていたら、いくつかのサイトを発見。GIFのステレオグラムの方は、以前早稲田の研究者に見せてもらった、3D-DVCAMと同じ原理か。「怒濤のヌード」はちょっとキッチュ。

 

[2月5日(木)/2004] Sail

天候と光の瞬きだけが意識のへりをうつろっていき、河面の泡沫のような思い出の断片が、いくつも、ちいさな渦にのって浮かんでは消えていく。

幾本もの風のビイドロの管、極薄の大気の上層で。
なんて剥き出しの夜。

 

[2月4日(水)/2004] 無題

赤羽橋で、徳田秋声文学館のためのドキュメンタリー(挿入用のポートレイトを担当した)のマスタリングを見学。プロ用の編集室にお邪魔するのは今日が初めて。二ヶ月ぶりに、矢崎監督と制作の岩崎さんにお会いする。潜水艦のブリッジを思わせる一室で、手際よくサウンドが調整されていく。

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仕事とか個人的なこととか、そういう切り分けをなるべくせずに一緒くたに事を進めることが必要だ。そうでないと、単にきれいなものしか生まれてこない。分類と場合分けは、恐怖心の顕れに過ぎないのではないか。

 

[2月3日(火)/2004] 敲

 

最近は豆まきの掛け声など、町内のどこからも聞こえてこない。S.. 池の節分を想い出しながら、夕方、一人で声を張り上げてみる。気分が冴えてくる。わたしは、火の用心の掛け声とか、除夜の鐘とか、冬の、そんなものが好きだ。声だけが薄くひるがえって、夜気に沈んだ戸外の空気を、遠く、張りつめた弦のように渡っていく。

 

[2月2日(月)/2004] 無題

降りしきる雨にも、もはや剱の様な痛さはない。たわんだ電線の上で、つがいのセキレイが、もう五分間もぜんまい仕掛けのように正確なダンスを踊っている。(冬が終わる、冬が終わる……)
いつもなら噴出する春のうらみごとも、どういうわけか今年は、諦めにも似た淡やかな期待に置き換わってしまった。あの二月に、あの三月に、もう一度周回していくような、そんな致命的な誤謬の裡で、ずっと目覚めずにいたい。

– – –

いつでも一人称だけで戦うこと。それを超え出るような「何か」の仮設など一切要らない。

 

[1月31日(土)/2004] 出自 + Nightly Radio

あまり認めたくないけれど、自分のローカリティがあるとすれば、それは、東京にへばりついたように伸びた川崎という土地のぬるさと半端な都会志向、そしてどこかブルーカラーの意識もない交ぜになったような感情、ある種のsuburbanな感情がベースになっているだろう。未知の、あるいは破線で縢られた郷里。写真の眼で、いま、それを見つめよう。

– – –

短波ラジオを聴きながら眠るせいか、毎晩、見知らぬ外国を旅する夢を見る。
真夜中になると、ロシア、中国、イタリア、韓国、北朝鮮などの音声が飛び込んでくる。何十年も前の地球の電波を、何十光年も離れた宇宙で受信するような、不思議ないとおしさ。

 

[1月29日(木)/2004] にら

大根と一緒に親指に切り込みを入れてしまう。不覚。

薄暮、熱い胡麻油でにら入りのチヂミを焼いていると(塩辛か酒盗を少量入れるのが私のオリジナル)、心が冬ざれの慶州に飛んでいく。(言葉も解らずに、独り、裸電球が細々と点る食堂で、芹のチヂミとどぶろくを前に何時間も座っていたものだ。しのつく雨の夜更けで、赤毛の母犬が、軒下で寒そうにしていた。)
料理をしているときが、いちばん落ち着く。

 

[1月26日(月)/2004] 無題

F..の周辺を歩き回りながら、Uといろいろ話す。
最近何をどうすべきか、という議論に以前ほど確信が持てない。可能な限り息をし、闘うだけ。

– – –

BSで『東京暮色』を観る。鋼のような日常。言葉の種子が、胎児が聞こえない叫びとともに投げつけられ、擦れ違い、虚しく浪費されていく。秘密の嘆き。秘密が、秘密の嘆きが、女たちの手に手にたくし込まれていく。実母が東京を去るシーンでは、見えない土地の名が、イリアスの軍船表のごとく連呼される。底冷えのような悲しみが引き裂かれ、気持ちが深い夜になる。

 

[1月25日(日)/2004] 無題

わたしは国籍を持ってはいるが、日本をよく知らない。同じようにインドを、アメリカを、ヨーロッパ(エウロペ、さらわれた女神の名)を、ましてアジアというものを知らない。それなのに透明な記憶の管が、わたしにとって他者の土地ではないそこへ、かしこへと伸びている。誰にとって、誰として?

– – –

韓国で活動中の写真家、金仁淑さん(昨年の日韓写真家交流会で初めてお会いした)からメールが届く。ソウルの気温はいまマイナス17度らしい。
3月には大阪で個展を開催されるとのこと。『金仁淑 Kim Insook 写真展 “ニム《あなた》”にささげる手紙』、手紙という言葉に何か新しい予感を感じる。

 

[1月24日(土)/2004] 徘徊

横浜に用事があったので、展覧会を二点。

Light Worksでは、須田一政「大阪」展の最終日。写真家自身の記述によれば、東京にはない大阪の「土着性」が気に入っているとのことだが、それがモノクロームに変換されることによって、さらに架空の場所性が付加されているように感じた。古びてはいず、過去といまの間を浮遊しているようなスナップショット。スナップ写真を観ると気分が軽くなるのは何故なんだろう?

ポートサイドギャラリーにて、Fabrizio Corneli 〜 EST! EST! EST! 〜 展。光と影によるドローイング。ギャラリストがヒントをくれた瞬間、影が具象になっていることに気付いてはっとする。抽象的に見えていたときの方が面白かったけれど。

 

[1月23日(金)/2004] Narcissus

ラジオでこの冬一番の冷え込みと言っていたが、そうは思わない。水仙でも綻びそうな暖かさだ。ギャラリーをいくつか見て廻る。

京橋、東邦画廊にてラインハルト・サビエ展。写真データを出力し、それにオリーヴ油、絵具の散布、鉛筆による線描などを重ね、さらに入出力、手作業による加工を繰り返して作品を制作している。戦争やレイプ、不治の病など、ある種の痛烈なメッセージ性を表象してはいるが、注視を誘うのは異様に生々しい細部(殊に人物の眼球)と、はぎ合わせたような面的な奥行き感だ。人物の襟首部分に、いたずらになぞったような輪郭線が現れている。あるいはPapier Colleの延長にある仕事なのでは、と思ったりもするが、画像のデジタル処理の特質として、コラージュを(そして絵の具の「盛り」さえも)完全な同一平面に統合してしまう(Photoshopでは実際に、仮想的に独立していた複数の平面を、「レイヤーを統合」という操作で簡単に一つの次元にブレンドできる)という点がある。写真単体では成し得ないような「深度」が、こうした一見相容れない方法で達成されているのは興味深い。

新宿のPhotographers’ Galleryにて笹岡啓子「PARKCITY」。なぜ、広島なのか?戦略としての「広島」という名だとしても、今回の内容では不足だと思う。

茅場町のタグチファインアート、「チェコのアバンギャルド ヤロスラフ・レスレルの写真」展。新聞での解説のように「当時の高い現像技術」かどうかかなり疑問。

 

[1月22日(木)/2004] Swiming with a hole in my body

再び泳ぎ始める。プールに浮かんでいる人たちがみんな、白っぽいただのオブジェに見える。

 

[1月20日(火)/2004] 停留

相変わらず停滞中。インスピレーションの切れ端のようなものがちらほら浮かぶが、そのまま放っておく。

– – –

朝早くに高輪までTOEFLを受けに行く。厳密な認証の後、コンピュータだけのブースに座る。リスニングのセクションでは、学生の愚痴めいた会話ばかり大量に聞かされる。靴下によく穴があく話とか。無性に馬鹿馬鹿しくなってくると共に強烈な眠気に襲われ、不本意にも所々意識が飛ぶ。

– – –

比喩が通用しなくなった責任を読み手に負わせるのは、あまりにも倒錯している。言葉における、あるいは言葉による詐術の本来的ないかがわしさ。

 

[1月19日(月)/2004] 停留

毎日Gouldばかり聴き古典ばかり読んでいる。二枚組のゴールドベルク変奏曲。
ずっと前、科学者になりたくて物理を勉強していた頃を想い出す。「摩擦および空気抵抗が無いと仮定して、……」異様に貧困な宇宙で、わたしたちの呼吸が停まることもなく、透明な振り子が運動している。

死んだ人間、前時代のものばかりでは仕方がない。いまあるものに圧倒されたい。わたしの自意識など木端微塵に消し飛ぶほどに、それから、そこから、始められる。

 

[1月17日(土)/2004] すべきこと

覚えていること。
2001年の、とりわけ秋から冬にかけての文章を検証すること。
過剰さを別の過剰さで破裂させること。
沈黙させること。

 

[1月15日(木)/2004] トレーシング

こんな風に毎日書くのは、制作に時間を充てることができず、欲望のやり場を失っているから。欲望の残滓、というか不良在庫。

– – –

これも書類の都合で、母校を訪問する。7年前までの3年間、わたしはこのS..という町に通っていた。以来一度も訪れることはなかったのだが、駅の窓口を除けば、恐ろしいことに、この町は文字通り何も(店の暖簾ひとつ、錆の浮いた歩道橋の塗装ひとつ、本当に何も)変わっていない。駅を出、自然に足が左手に向かう。化石のように静まり返った商店の並びを追っていくと、道の果てから、小児麻痺を患って足の悪い古本屋の主人が、身体を傾げて歩いてくるのが見えた。7年前と同じ、痴呆めいた微笑を浮かべながら。線路脇で立ち枯れたカンナの葉。コインランドリー脇の、カーヴの感じ。

かつて、冬の日、同じ朝の時間、同じ光景を、わたしの眼球は映していたはずだ。眩暈よりも、名状しがたい強い不安感に襲われる。何年経っても全く変化しない風景のレイアウトというのは、きわめて異常なものだ。この感覚はおそらく、場所の記憶がディテールにおける差違と同一性によって飛び飛びに仮留めされた「破線」に近いものだとすれば、不変のまま時間の断絶を越えて現前する風景は、あまりにもオーバーオールで、過剰であるために引き起こされるのだろう(もし一カ所でも建物が置換されていようものなら、わたしはそこで安堵したことだろう)。この町の風景は、その過剰さによって想起と追想の余白を剥奪してしまう。

もちろんこれを、写真における「過剰さ」に短絡させようなどとは思っていない。この違和感は、「おなじ風景」の内部を、いま、わずかに軌道をずらしながら、身体全体を使って探索することによって、いっそう強固なものになっているはずだからだ。

 

[1月14日(水)/2004] 冬の肺

書類が必要になったため健康診断を受ける。診断結果は至って健康とのこと、しかし2.0あった右眼の視力が1.5に落ちてしまった。胸部のレントゲン写真をお土産にもらう(受付嬢にとても怪しまれる)。

– – –

夕方Uに会い、『Aria』で使用した全写真のコンタクト・プリントを手渡す。これらの写真とモノローグは、わたしにとって、かけがえのない二年間の仕事だ。それらを、まるで見知らぬものであるかのように見渡し、跡形もなく解体し、新しい創出のために燃やし尽くすこと。三人に、そしてわたし自身に、それぞれが一人ずつ署名すべき仕事として、もう一度提出したい。

– – –

さとうゆきさんから『春秋』1月号をいただいた。アートとアフォーダンスに関する特集。

 

[1月13日(火)/2004] 無題

いかにして生を全肯定できるか。それだけ。

– – –

予兆について。

「この時彼らの左手に鳥が現れた──天高く飛翔する鷲で、気弱な鳩を掴んでいる。するとアンピノモスが一座に向かって弁じていうには、
「御一同、テレマコスを殺害せんとする、われらのこの計略は成功せぬであろう、思い直してむしろ食事にかかってはどうかな。」
(第二十歌、『オデュッセウス』松平千秋訳)

 

[1月12日(月)/2004] 無題

今日はTalithaのメンバーと久しぶりにミーティング。『Aria』の問題点を洗い出し、今後の作業の方向性を協議する。

– – –

わたしの生活には蓄積という観念が欠如していると思う。いつでも、ゼロから始めなければならないという焦り(意志ではなく)に塗りつぶされている。
巨大な螺旋が宵闇のなかを旋回していて、ゆっくり音もなく、五年、という円周が、いま、閉じられていく。

– – –

電話。声がとどくということ、不可能な夜の遠さを越えて。

– – –

予兆について。

…It is not wise to find symbols in everything that one sees. It makes life too full of terrors. It were better to say that stains of blood are as lovely as rose-petals.
(Herod. “Salome” by O. Wilde.)
[1月9日(金)/2004] フラクタル

『麦秋』を観る。原節子や淡島千景や東山千栄子が、自分のよく知っている誰かに似ていると思うこと、思えてしまうこと。原節子は、彼女以外のすべてを全反射する、明るい鏡のような存在だ。「わたくしなんかでよろしかったら」という台詞。全身に鳥肌が立つ。
こうしてほぼ毎日見続けていると、小津の作品では細部と全体が、そして一つの映画と全ての映画が相似構造をなしていることに気付かされる。たとえば「もうやらなきゃあいけないね」という一つの致命的なフレーズによって、また「修善寺」という一つの地名によって、いくつものシーンが(そして、いくつもの小津映画を観てきた、わたしたち自身のまなざしが)なかば暴力的に結合させられてしまう。

 

[1月7日(水)/2004] 無題

執拗に分析することからはじめよう。「Aria」においては、その基盤として、イメージ=写真によって強度のあるフレームを張り巡らせることができるはずで、どの部分に滞留、あるいは持続の潮目が企てられるべきか、またふるえや偶発的な短絡といった可能性にも、触手を伸ばさなければならない。火焔がイメージのおもてを舐めるように、語から語へ、顔から顔へ接ぎ火すること、燃しつづけること。鏡から顔へ、まなざしからしじまへ。
執拗に分析し、容赦ない指先でまさぐり、解体すること。

– – –

スタジオの授業が今日で終わりなので、TCPの友人たちと少しだけ飲む。実家が老舗呉服店の長谷川さんから、着物を一揃譲ってもらう(でも、着るチャンスがあるんだろうか?)。明日から来月まで故あってしばらく断酒。

 

[1月6日(火)/2004] 父ありき

TVで小津安二郎の『父ありき』を見る。小津のモノクロ作品は強い緊張を強いるので、いつも見るのに相当な覚悟がいる(あるいは少し飲まないと、張りつめすぎてしまう)。
フィルムの摩耗がトーキーの音声領域まで及んでいて、時折、驟雨のようなパルス音と共に白い嵐が画面を覆い尽くす。笠智衆が仏壇の前で(仏前に座るときの所作。サイドから撮られていて、膝をついてジャケットの裾を捌くとき、顔面がすうっと、ほとんど仏壇のなかに吸い込まれそうになる。)何か呟いていて、ノイズに埋め尽くされて何も聞こえない。「廃墟」なんていう言葉とは無縁の、この感情の束はいったい何か?完全な反復とシンクロによって(父子の釣竿の動き。顔と横顔。)敷設された、希薄な現実(日常。遠くで、フレームの外で、教え子の兄が戦争にとられていく。「夢のように」。郵便的な暗示。息子の頭部。)の層の狭間で、あるいはその上空で、かつて、いま、ここ(そこ、ではない。風に泳ぐ洗濯物を見よ)で、時間の矢が、時間の輻が、轟音を立てて飛び去っていくことへの、圧倒的な恐怖と孤絶感。それでもなお、いましも湯殿から新鮮な湯がこぼれ落ち温かい湯気が立ち上がろうとしている。折からの風、城址のへり。引き裂かれた声、あるいはうた。それぞれが点在する島影のように屹立している。女が顔を覆って泣いている。手を顔に。顔を手に。身体がゆっくりと傾ぎ頭部の際がフレームアウトする。致命的なカットバック。光の喪。夜。

 

[1月4日(日)/2004] あたらしい水

ロンドンから南部君が帰ってきたので、昼から横浜で飲むことにした。久しぶりに、静かで美味しいお酒。
海の際では雲が薄くたなびいていて、浅い陽が、植え込みの思わぬ奥の方まで、切り絵のように差し込んでいる。大気は固く尖っている。水上バスの力強いスクリューが、鉛色で重たそうな水を押し分けて進んでいく。
冬になってからずっと、水が見たかった。
安息と額のつめたさ。

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