Cinema

ひどい時代が過ぎるのを待ってはいけない/それは川岸で水が引くのを待つのとおなじだ/川は永遠に流れつづける (トーマス・ハイゼ監督『ハイゼ家 百年/Heimat ist ein Raum aus Zeit』作中の詩) シアター・イメージフォーラムにて『ハイゼ家 百年/Heimat ist ein Raum aus Zeit』(2019)。 人間は時代のゴーストから決して自由でないということ、そのゴーストは転々と姿を変えながら今もわたしたちの頭上にたなびいているのだ、ということを強烈に思い知る。シンプルな風景と歴史の耐えがたい見えづらさ。3時間半の旅を経てついにわたしたちの時空に投げ出される。ラストのカメラ・ワークの怖さ。

今週末、遠野市立博物館にて民俗学者/遠野文化センター所長の赤坂憲雄さんと映画について、お話します。お近くにお住まいで、映像詩『オシラ鏡』まだご覧になっていない方もぜひ。 開催:2019年12月13日(金) 場所:遠野市立博物館 シアター お問い合わせ:遠野文化研究センター事務局|phone電話番号:0198-62-6191 【日にち】2019年12月13日(金) 【時間】18:30~20:00 【会場】遠野市立博物館 シアター 映像詩「オシラ鏡」(サレルノ国際映画祭短編部門最高賞受賞)等の上映と、その監督である新井卓氏(写真家/遠野文化研究センター研究員)をお迎えし、遠野文化研究センター赤坂憲雄所長と対談をします。 【申し込み・問い合わせ】 前日まで電話かメールにて受付 遠野文化研究センター事務局 〒028-0524 岩手県遠野市新町1-10 (一財)遠野市教育文化振興財団内 TEL:0198-62-6191  MAIL:mail@tono-ecf.or.jp

映画『主戦場』(ミキ・デザキ監督、2018)イメージフォーラムにてようやく観る。 映画を観て泣くことはあっても、情けなさから涙したのは初めてだった。泣きながら、この迫り来る羞恥の感覚は彼/彼女ら「歴史修正主義者たち」をわたしが「日本人」というナショナルな感覚で自己同一化するために来るのだろうか、あるいは、もっと直情的な怒りの発作なのか、捉えきれないまま身もだえし苦しみつつ観た。 映画に登場する「歴史修正主義者たち」の言動が極めて醜劣であることは、幸いな偶然だったのかもしれない。しかしそれは、彼/彼女たちと逆の立場の人々にとっては危険な罠でもある。 デザキ監督は「ある意味、論争の場は私の頭の中にあったと言えるでしょう。否定論者と慰安婦を擁護する側の双方が、自分たちの主張が正しいと私を説得しようとしていましたから。」(1) と語っているが、「主戦場」は常にわたしたちの眼前で相対化され編集されつづける〈記憶〉と言説の現場にある。その不分明な場所で本当に信頼に足る言葉と態度とはどんなものか、本作に登場する27人の語り手の声に耳を澄ませれば、明らかである。 (1) 大島新『従軍慰安婦をテーマにした話題作『主戦場』で”あんなインタビュー”が撮れた理由 プロパガンダ映画か、野心的なドキュメンタリー作品か』文春オンライン、2019年6月11日、 https://bunshun.jp/articles/-/12302 (2019年9月12日閲覧) — 最近は10月の東アジア環境史学会で発表するペーパー、民博の共同研究の論文のほか、現代詩手帖の連載、また共著と慣れない執筆の締め切りに追われて、他のことはほとんどできていない。 それでも書く、という仕事は、日常につらい出来事が重なってもどうにかできるらしく、それで救われているのかも、と思う。