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講義 写真家/タッド・フォルスグレン ポスト・インダストリアル・エデンズ──市民農園の風景にみる持続性と多様性

プロジェクト_残丘(Zankyū)セッション #04: タッド・フォルスグレン「ポスト・インダストリアル・エデンズ──市民農園の風景にみる持続性と多様性」   いま、安倍政権による主要農作物種子法(種子法)の廃止(2018年3月末)を受けて、遺伝子組み換え作物やその育成に使用される農薬の氾濫、さらには「食料主権」の存続そのものが危ぶまれています。 その一方、世界各地で有機農法、持続可能な農業への関心が高まりを見せ、自給自足のための小規模農園がひとつの社会現象となりつつあります。 20世紀の爆発的な人口増を支えた機械化農業の対局にある、個人や地域コミュニティの手による農園が、いまなぜ人々の関心を呼ぶのか。「市民農園」に着目して世界各地で調査と撮影を行う写真家、タッド・フォルスグレンをゲストに迎え、都市に混在する農園の様相──ヒトと自然の風景の境界線から浮かび上がる、時代の要求を探ります。 とき〉2018/6/10(日)17:00-19:00  ところ〉新井卓写真事務所 横浜市営地下鉄阪東橋または京急黄金町から徒歩5〜8分 言語〉英語 (質疑応答時の通訳はあり) 席料〉一般1,000円/学生無料/定員25名、要予約 予約はこちらから 

2018年2月7日:バンカートスクール 「写真について」

2月7日、午後7:30〜横浜BankArtの連続講座「写真について」第一回で講師を担当します。 事前申込みが必要ですが、ご興味のある方はぜひご参加ください。 チラシPDF school2018_2_3 お申し込み・お問い合わせ: BankARTスクール事務局 school@bankart1929.com TEL 045-663-2812 FAX 045-663-2813 BankART Studio NYK 〒 231-0002 横浜市中区海岸通 3-9

祖父の命日の二日前、25日夜、母方の祖母が逝ってしまった。スタジオで終わりの見えない作業をしている最中、父から知らせがあった。しばし考えがまとまらなかったがとにかく帰ることにした。 実家に入っていくと祖母の寝室で、ベッドを囲んで母と父と弟が動かない祖母を三方から取り囲んで黙って座っていた。点滴と酸素吸入器はそのままになっており祖母の口は開いたままだったが、医師がまだ到着しないので手を触れられないという。亡くなってはいても喉が渇くだろうと可哀想に思ったが、なす術もなく見つめるほかなかった。母が介護の手を休めて食事をするあいだ、ほんの二十分かそれくらいの間に、誰にも気づかれず静かに息をひきとったというのだから、それは安らかな最期なのだろう。 やがて訪問介護施設の医師が到着し、死亡時刻を告げてから、看護師がペットボトルのキャップに穴を開けた即製のシャワーで吐瀉物で汚れた髪を清めてくれ、お騒がせしました、いってらっしゃい、と祖母に頭を下げて帰っていった。私よりも二つ三つ年若そうな彼の様子に心を打たれながら、自分は一年か二年の在宅介護のあいだほとんど何もしようとしなかったのだ、一年というもの、ほとんど会話らしい会話も試みようとしなかったではないか──そのように後ろ暗い思いをふるい落とすことができずにいる。いや、そもそもそれ以前にも、きちんと会話できたことは一度でもあったのだろうか、とまで考えながら、子どものころ私の避難所だった祖母の部屋や、説教くさい少年少女文学全集を読み聞かせてくれた彼女の声の調子や、ミシンの音、マドレーヌを焼くにおいなどを少しずつ記憶の奥から拾いあげては、締めつけられるような懐かしさと、身内という存在の永遠に解きえない謎の間を、心が行きつ戻りつするのをただ見てていた。 翌日からのたくさんの約束を全部キャンセルして、連日の徹夜作業から泥のように眠った。翌朝起きると夜半に葬儀屋が来て祖母の床を整えていったという。口は閉じられていたが、末期の水をとらせて線香を上げて、頭部に触れると思いがけずまだぬくもりが残っていた。 今日は大阪で国立民族博物館の研究会があり、発表者は私一人の回だったので休む訳にもいかず飛行機をとって日帰りで往復することにした。 きょうが祖父の命日だったろうか。朝、刻々と地平線から高度を上げる太陽に直射されながら東へ、羽田へ車を走らせた。日航の工場長だった祖父は、こうしてその貌を朝日に灼かれながら日々、玉堤通りを走ったのだろうか。幼いころ何度か連れていってもらった日航のテニス場やプールの思い出は、彼の運転する小さな三菱コルトの窓から差し込む、黄ばんだ太陽の光と熱の感覚とともに、記憶の襞に強烈に現像されている。 伊丹空港行きの全日空は満席だった。離陸すると多摩川の河口と空港のランウェイと品川、そしてはるか新宿のビル群までがはっきりと展望された。眼下の都市部はすぐにまばらになり、と思えばすでに富士の裾野に差しかかっているのだった。山の峰は直視できないほど白く燦然と屹立し、関東平野から甲府盆地、日本アルプスの峰々のなかにあって比類無く、見渡せる限りの地形を完全に支配しているのが見て取れた。 人は死ぬとどこへいくのか──宗教を信じない私は何度も、想像しようとする。 たとえば遠野の人々は、みな早池峯の頂へと帰るのだという。魂は、あるいはエネルギーは山岳の頂点まで登ってそこから虚空へ、宇宙へ細い光の帯となって解き放たれるのだろうか。あるいはそれは拡散しながらこの惑星の一つなるマトリクスに留まり、いつかふたたび、異なるエネルギーの様態となって流転を続けるのだろうか。 いま、大阪から帰って書いている。きょうは葬儀屋がまた来て、湯かんという儀式をし、衣装を整え化粧を施して帰ったらしい。私はまだ会っていないけれど妻が代わりに、足袋をはかせたり、儀式に立ち会ったりしてくれたという。一昨日からの冷え込みは今晩も収まる気配はない。空気は恐ろしいほど澄んでいて、上弦の月の傍に一等星が近づいている。

プロジェクト_残丘 セッション#03: 橋本雅也「間(あわい)なるもの」

プロジェクト_残丘(Zankyū)セッション #03: 橋本雅也「間(あわい)なるもの」   2000年ごろから独学で彫刻を制作しつづけてきた橋本雅也は2011年冬、郷里の岐阜で幼なじみの猟師による鹿狩りに同行する。このとき、凍てつく夜の川辺で一頭の雌の死に立ち会って以来、橋本は、鹿の骨の彫刻による精緻な表現を、草花のかたちを借りながら深化させてきた。季節が過ぎ枯れゆく植物と、失われた命が記憶する永遠のかたち──。 大寒を迎える1月20日、貴重な作品2点の展示、朗読と対談の夕べに、作家が見聞き、触知しつづけてきた生と死のあわいに思いを巡らせます。

プロジェクト_残丘 セッション#02: 杉原悠人「右派とナショナリズム―愛国とは何か」

プロジェクト_残丘(Zankyū)セッション #02: 右派とナショナリズム―愛国とは何か   戦後日本における右派/左派とは何を意味するのか。 民主主義を標榜する日本における、現代のナショナリズムとは?政治思想の輪郭がますます不明瞭になり、根拠の見えないレッテルの応酬によって分断が進行するいま、わたしたちはどこへ向かうのか──。〈プロジェクト _ 残丘〉第三弾は『月刊日本』編集委員の杉原悠人氏をゲストに、 議論します。

荒木経惟「総合開館20周年記念 荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017-」東京都写真美術館(8月12日訪問) https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2795.html 荒木経惟の写真を見たのは、まだ大学に通っていた90年代末ころで、友人に『センチメンタルな旅・冬の旅』(1991)を見せてもらったのがおそらく最初だった。モノクロの端正な画面にとらえられた<私生活>はその意味するところ──ここに写された荒木の妻・陽子はすでに亡くなっていて、その喪失の経験とその事後=現在において、写真家と見る人の時空間が地続きにされてしまうということ──によって、没入していく感情と同時に、かすかな違和感──見も知らない他者の生き死にを、当人に関係なく覗き見すること、そこから短絡的にカタルシスへ、昇華された感覚にたどりついてしてしまうことへのうしろめたさ──を持ったことを覚えている。

8月6日, 覚え書き

2016年5月27日、現職の大統領として初めて、バラク・オバマが広島の地を訪問した。 その日、よくわからない衝動に駆られて始発の新幹線に飛び乗った。クスノキが清々しい香気を発散する朝、何のあてもないまま、平和公園でひたすら大統領の到着を待つ。規制線は予想以上に長く、対岸から慰霊碑を垣間見る隙間さえ許さないほど厳重だった。

原爆の図丸木美術館学芸員の岡村幸宣さんが発行する同人誌『小さな雑誌』第90号が届きました。 私の連載「百の太陽を探して」通算22回目は、2015年に海上から福島第一原発を撮影したときのこと、第三話完結編です。 現在、執筆陣の半数が岡村家の人々という素敵な雑誌です。購読希望は下記岡村さんホームページがらご本人まで。 丸木美術館学芸員日誌

今年1月から表紙イメージとエッセイを連載中の『現代詩手帖』8月号が発売されました。 今月の拙稿「陽の光あるうちに」は飯舘村のヤマユリについて。 一年間の連載ももう三分の二に差しかかりました。早いものです。 詳細/注文はこちら

Camera Austria International 133 | 2016 Book Review “Shigeo Gocho 1946-1983” (2004, K.K.Kyodo News, Tokyo) Takashi Arai “Behind the surface layer of dispersed things in daily life, occasionally, the incomprehensible shadows of human existence flit through.” Shigeo Gocho [Nippon Camera, February Issue, 1980.] Shigeo Gocho was born in 1946, just a year after Japan’s surrender and the end of WW2. Behind the high fame of his contemporaries, such as Daido…