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2010年6月10日に行われた、メキシコ・ティファナ、ドイツ・デュッセルドルフ在住のアーティスト、竹田信平と新井卓の対談の模様(モノラル:53分)。 対談の前に上映された竹田信平の新作パンク・ミュージカル映画『ゴースト・マグネット・ローチ・モーテル』は本邦初公開となった。 ・イベントの詳細 http://takashiarai.com/monument_x_anti-monument/ ・Project_Monadnock シリーズ・インタビュー「竹田信平」 https://vimeo.com/221987292 竹田信平 1978年大阪生まれ 現在メキシコ・ティファナとドイツ・デュッセルドルフを拠点としてアーティストとして活動する。主にドキュメンタリー映画、写真、インスタレーション、ノイズ音楽、パブリックアート、コミュニティープロジェクト等を中心に媒体を越えて活動を展開。 作品はサンディエゴ美術館(アメリカ)、ティファナ国立美術館(メキシコ)、CENART (メキシコ市)、TJ in China (北京)、サンパウロ移民博物館(ブラジル)、京都芸術センター、丸木美術館等で展示。 2001年以来、難民や移民の子供に写真技術を教えるアート非営利団体THE AJA PROJECT (www.ajaproejct.org) を創始、現在でもアートディレクターとしてパブリックアートを製作。2005年以来、北米・南米に渡った被爆者をインタビューし、アーカイブ化する企画、その一環として、国連軍縮局と共同制作したwww.hiroshima-nagasaki.comなどがある。 2010年には米サンディエゴ市からのコミッションでパブリックアートを制作。 近年の映像作品は“日本に最も近いメキシコ”(48分、2008年)、“ヒロシマナガサキダウンロード”(73分、2010年)。 著書には”アルファ崩壊:原爆の記憶を現代美術はどう表現し得るか”(現代書館、2014年)、”海を越えたヒロシマ・ナガサキ”(ゆるり書房、2014年)などがある。 2006年以来”GHOST MAGNET ROACH MOTEL”パンクフォーマンス・ユニットを率いる。 表示—非営利—改変禁止

プロジェクト_残丘 セッション #01: アマンディン・ダヴレ「Hōshanō: 芸術と生──対岸から見える福島以後の日本」

プロジェクト_残丘(Zankyū)セッション #01: Hōshanō: 芸術と生──対岸から見える福島以後の日本   福島を中心とする現在進行形の核災害は、全世界に波紋を広げ、表現者たちに多大な影響を及ぼしつづけてきました。 キュレーター/モントリオール大(カナダ)博士課程のアマンディン・ダヴレは、2017年、在カナダ日本人作家を含む美術展『Hōshanō: Art and Life in a Post-Fukushima World(放射能: 芸術と生-福島以後の世界で)』をモントリオールのビジュアル・ヴォイス・ギャラリーで企画。 今回は来日中のダヴレ女史を迎え、同展を手がかりに、海外から見た福島の現状と表現者たちの取り組み、さらには日本を取り巻く自己規制と沈黙とのゆくえについて考えます。

PROJECT_MONADNOCK Session#01: Amandine Davre "HŌSHANŌ: Art and Life - Another Perspective toward a Post-Fukushima Japan"

The ongoing nuclear catastrophe spread out from Fukushima became global concern, and has been influencing a large number of artists worldwide. Amandine Davre, PhD candidate in Art History at the University of Montreal, curated the exhibition HŌSHANŌ: Art and Life in a Post-Fukushima World, which includes Japanese artists based in Montreal, at the Visual Voice gallery (Montreal) in March-April 2017. Davre gives a lecture on the curating process of HÔSHANÔ,…

[Project Monadnock Presents] MONUMENT X ANTI-MONUMENT: Shinpei Takeda vs Takashi Arai

プロジェクト_残丘(Zankyū)セッション #00:  モニュメント×反・モニュメント──竹田信平 vs 新井卓 2010年6月10日午後5時より、横浜市南区の新井卓写真事務所にて、メキシコ・ティファナ、ドイツ・デュッセルドルフ在住のアーティスト、竹田信平を迎え新作映画のスクリーニングと対談を行います。 竹田信平の新作パンク・ミュージカル映画『ゴースト・マグネット・ローチ・モーテル』は本邦初公開! モニュメント/アンチ・モニュメント、そして核の記憶を巡る竹田と新井の対決は、2014年のメキシコ大使館、2015年の第五福竜丸展示館につづき、今回が3回目となります。

Thank you for visiting! Takashi Arai Studio is temporary in the process of renewal. The new site will be relaunched by June, 2017. 訪問ありがとうございます。本サイトはただいまリニューアル作業中です。2017年6月までには作業完了予定ですので、ぜひまたお立ち寄りください。 “Takashi Arai: Cent soleils” Galerie Camera Obscura/パリ写真月間 2017 2017年4月4日 – 5月27日 “Photobook Phenomenon” Centre de Cultura Contemporània, バルセロナ 2017年3月17日-8月27日 “THE POWER OF IMAGES: MAST Collection. An iconic selection of photographs on industry and work” MAST, Bologna May 3 - Sep 24, 2017 –『ナショナルジオグラフィック日本版』3月号・特集 –『現代詩手帖』シリーズ・エッセイ「陽の光あるうちに」(1年間の表紙作品/散文連載) –『図書』1-3月号 「新しいモニュメントの到来のために」(全3回連載)全国書店で無料配布中 – Web版『水牛のように』連載中

一昨日2月26日、横浜市民ギャラリーあざみ野での個展「Bright was the Morning ― ある明るい朝に」が無事、終了しました。 これまで、国内の展示は活動の一端を少しずつ見せる規模/形式でしたが、今回は、各シリーズがネットワークされた状態で提示できる、初めての好機になりました。 ご来場いただいた皆様、学芸員の天野太郎さんや対談をご一緒した写真家の石川真生さんはもちろんのこと、横浜市民ギャラリーあざみ野スタッフ、また作品制作に協力いただいた数えきれない程の皆様に、心から感謝いたします。 今回あらためて確かめたことは、一つの展示空間は、固有の時間と場所と人々に属していて二度と再現できない、ということです。だから視覚美術の展覧会であっても、結局のところ、その場で体験しなければとらえることのできない時間芸術なのだと思います。 [メディア掲載] – マグカル「19 世紀の技法「ダゲレオタイプ」で写す日常と現実、未来」(齊藤真菜さん) – 毎日新聞『「新井卓 ある明るい朝に」 写真の中の「時間」』(高橋咲子さん) – 朝日新聞「(つくる・かたる)時間を凝縮し写す「鏡」新井卓@横浜」(丸山ひかりさん) – 神奈川新聞「若者たちから未来を予見 写真家・新井卓 会場で体験して」

[23-12-2010] 落差のない滝 午後から明治大学生田キャンパスにて「光、礫、水」展のための作業。8×10のモノクロに変なことをして10カットほど撮影する。 懸案だったオブジェの配置は、予想したよりもいい感じに異様な雰囲気になった。今回の展示は、きわめて精密かつシリアスな悪戯です。   [22-12-2010] 青森、ルワンダ、斑女 冬至になった。すべてが透明な音をたてて、陽に転回しはじめる季節。 先週末、京都造形芸術大学/時代の精神展『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』を見るため日帰りで(というか飲みすぎて朝帰りになってしまったけど)京都へ。 すでに写真集で見た写真とテキストではあったが、天井の高いルクソール宮殿みたいな空間に、等間隔に立ち並んだ大判のポートレイトは圧巻だった。ポートレイトの横には小さなパネルが掛けられていて、ひとつひとつ女たちのモノローグが印刷されている。写真を見る、という行為そのものを変容させる展示だと感じた。 一組のテクストと写真を見るためには、およそ10分くらいの時間がかかる。ふつうの写真の展示空間では、身体の横方向への移動が、見る体験の「浅さ」の感覚をつくりだしているが、この展示には深さと高さがある。林立するモノリス、沈黙のうちに充満した言葉の群れ。素晴らしい仕事だと思った。 先週は京都行きを挟んで、目黒アピア40で念願の友川カズキのライヴ、喜多流の能楽定期公演「斑女」「黒塚」など。   [21-12-2010] Reunion 週末、久しぶりにいつもの「大樽」で写真学校の同級生と集まった。 ぜんぜん変わらない。ほんとはみんな変わりつつあるはずだから、変わらないという感覚は不思議だ。おなじ時間を共有し、貧乏とか恥ずかしいことを共有している友だちの間には「無条件」という接頭辞がいつもついてくる。だから会うとついつい飲みすぎる。   [15-12-2010] 礫 一月の展示で使う石を切ってもらうため、近所の石材工場を訪ねた。入口からは見えなかった巨大な空間にたっぷりと外光が注いでいて、もうもうと立ちこめる石の粉塵が、神話的な感じを漂わせている。 私が住んでいる川崎中部の府中街道沿いは、高度成長期時代に中小工業の生産拠点として発展した。ずいぶん数は減ったが、今でもすこし路地を入るとその風景が残っている。 スレート色の工場には人の気配が満ちていて、その目立たないひとつひとつの箱の中で、ネジや金型、板バネ、シートベルト、ふとんの中綿や人工衛星のモーターなどが作られている。それらは決して人の眼に触れることなく、私たちの知らない流通網を辿って、既製品の見えない内奥へと送り届けられるものたちだ。 既製品でつくられた世界は多様に見えて、実は有限のバリエーションで区切られた密室にひとしい。いまのところ生活の安定とか向上とは、世界の貧困さを許容すること(受動的に、または半ば積極的に)によって達成されている。 ものを作ることは、物質と交感することである。 みかけの「貧困さ」の方へ。手の貧弱さから始めるということ。   [28-11-2010] 栄力丸ダゲレオタイプ/複製プロジェクト(1) 修復家の三木麻里さんと待ち合わせ、川崎市市民ミュージアムへ。 m-miki来年の展覧会に向けて、川崎市所蔵・栄力丸ダゲレオタイプ2点のレプリカ製作の作業が始まった。三木さんが細心の注意を払いながらハウジングを開け、私は作業過程ごとの写真を記録。最後に、レプリカを作る際のポジとして使用する画像を撮影した。 これから三木さんはハウジングの修復とレプリカ用の新たなハウジングの製作、私は銀板へ密着焼きするためのデジタル・ネガ(正確にはポジ像)のテスト制作に移る。 160年の時を超えてハウジングから取り出されたダゲレオタイプは、経年による部分的なターニッシュ(変色)によって、宝石のオパールのような虹色になっていた。写された男たちは不安とも安堵ともつかない曖昧な表情を漂わせ、それでも確固とした尊厳に支えられているように見える。ミニアチュアの魔術によって封じ込められた魂が、銀板のなかでひっそりと息づいているみたいだ。 高解像度で入力したデジタル画像を観察していて、ひとつ発見があった。男の目に、黒い台形のかたちが見えその周りにハイライトが入っている。斜めに作り付けられたガラスの天窓と明るい採光のダゲレオタイプ・スタジオ、そのシルエットだろうか? 眼の中の影像に、ひとつの時空が凝集している。それは艶やかなブラックホールのように、裏返しに世界を包摂している。 追記)栄力丸の船員は52日間の漂流ののち「オークランド号」に救出され、その後別の船上で撮影された、との記録もあるので、シルエットは船上の何かを映し出しているのかも知れない。   [27-11-2010] ルワンダ・ジェノサイドから生まれて 午前中、明治大学生田キャンパスにて1月の展示の打ち合わせ。 今回はダゲレオタイプ、映像、そして立体による展示を構成する予定で、そのなかでも重要なのがギャラリーに隣接する図書館書架を使用した”Replacement”と名付けたインスタレーションだ。諸事情あって実現への道のりは険しそうだけれど、この要素を欠いた展示は成立しない。なんとか理解を得られることを祈るのみ。 夜はAKAAKA舎へジョナサン・トーゴヴニク氏と竹内万里子さんによるトークを聴きにいく。写真集『ルワンダ・ジェノサイドから生まれて』日本語版の刊行と現在京都造形大で行われている個展に合わせ、写真家が来日した。感動的なプレゼンテーションだった。 初めてこの写真集のオリジナル版を目にしたとき、端正な装丁、ルワンダの母子をシンプルにとらえたポートレイトと、原題の”Intended Consequences: Rwandan Children Born of Rape”というダイレクトに暴力の存在を告げるタイトルとがうまく頭の中で一致しなくて、混乱したのを覚えている。 トーゴヴニクが撮影したモデルは、ルワンダで90年代初頭に起きたジェノサイドの渦中、民兵によって暴力や性的暴行を受けた女性たちと、そのレイプの結果生まれた子供たちである。写真家は、それぞれの女性と数時間にわたる対話を行い、その後彼女たちが暮らす家の近隣で撮影を行った。母子はそれぞれにカメラをまっすぐに見つめ、無数の言葉が凝縮されたような沈黙の表情のなかに、静かに佇んでいる。 母子はとてもよく似ている。まさにその似ている、という事実が、引き裂かれるような複雑な感情を呼び起こす。何組かのインタビューを読み、ポートレイトを見ていけば、はじめは不意に叫びたくなるかも知れない。しかし写真家は決して叫んだり、声高に訴えたりすることなく、低い声で語り、距離を計り、見つめ耳を傾けつづける。その仕方は、とても強い。穏やかに語りかける「声」の写真集。   [19-11-2010] Lights ジョエル・マイエロヴィッツみたいな夕暮れ。 空気が、固くて透明になっている。   [03-11-2010] fluxsus 先週末、遠野への旅から戻った。 今回は遠野市西部の山地、とくに古生代の残丘(モナドノック)である早池峰南麓をくり返し訪ね、十数点の「滝」のダゲレオタイプを撮影した。 滝とは固有の<もの>ではなく、現象/状態を表すことばであり実体がない。宇宙が生成してから消滅するまで、決して繰り返されることのない水の落下、その反映が銀板のおもてに降り積もり、ただ一片の積分された映像が顕われる。 遠野から持ち帰ったダゲレオタイプは、来年1月14日から24日にかけて、明治大学生田キャンパス図書館、および併設された展示空間のGallery Zeroにて行われる個展で発表します。 http://www.lib.meiji.ac.jp/about/exhibition_zero/index.html このプロジェクトは、滝という現象と、鏡面の映り込みによって常に生成流転するダゲレオタイプの映像に注目したまったく新しい展示になるはずです。 — 今度の旅では遠野の色々な人のご厚意に触れ、全力で制作に集中することができました。特に作業場所を快く提供してくださった早池峰ふるさと学校の佐々木さん夫妻、藤井さん、数々のレアな情報を教えていただいた民宿「御伽屋」のご主人に心から感謝します。   [24-10-2010]…

[25-11-2009] 5 days in SF 今日がサンフランシスコ滞在最後の日、明日の便で日本に帰る。 滞在中は、作家でKala art Instituteのスタッフでもある服部さん濱中さんご夫妻にとてもご親切にしていただいて、オークランド周辺の制作の現場を垣間見ることができた。Kalaはハインツのケチャップ工場を改築したスタジオと、少し離れた場所にあるギャラリーを保有するアートセンターで、レジデンシープログラムやフェローシップの公募等も行っている。西側の窓から差し込む光が、とてもきれいな場所だった。 写真家の兼子裕代さんにも同じ日にミッション16丁目駅で再開、今日は兼子さんのご紹介でRayko Photo Centerという写真センターを訪問。 Raykoはひとつの倉庫を丸々ギャラリーと暗室、ビューイングルームに作り替えた巨大な空間で、中判から8×10までの引き伸ばし機が多数並び、40×50インチのタイプCプリントも一時間14ドルの貸し暗室で制作することができる。ティンタイプを使う作家で半年前からダゲレオタイプも始めたというMichaelさんとひとしきり話す。   [21-11-2009] SF 昨日の夜、サンフランシスコ着。仕事の撮影は順調に終了、空港の手荷物預かりで行方不明になっていた三脚も見つかった(アメリカ中を二日間、ぐるぐる回っていたらしい)。 西の空に細い三日月がかかっていて、その下に真珠のベッドのような街区が広がっている。飛行機が着陸する瞬間、丘の向こうに緑色の火球が落ちるのがみえた。 ホテルに荷物を置き、とりあえず近くのタイ料理屋へ。とても空腹だったので麺と春巻き、それにカレーを注文。ダシ文化に飢えていたのでしみじみうまい。 滞在中はSFMOMA、Kala Art Institute、そのほかのギャラリーや写真センターを見て回る予定。とても楽しみです。   [20-11-2009] 荒れ野 セドナから荒れ野を200マイルほど走り、ホホバ・プランテーションへ。 古生代の山脈に囲まれた砂漠の中央部で、わずかな灌木と、祈る人の形をしたサボテンのほか、ここにはなにもない。完全な静寂、無限の深度をもった空。   [17-11-2009] Sedona, Arizona シカゴ経由、サウスウェスト航空でフェニックスへ。 飛行機から見下ろすと、赤茶けた荒れ野に整然と区画が敷かれていて、キラキラした無数の家並みが、まばらに、そしてどこまでもつづいている。地平線の向こうまでつづくばかでかいフリーウェイの上を、たくさんのトレーラーが、ゆっくりと、蟻のように這いすすんでいく。火星のコロニーみたいだ。スタニスワフ・レムの小説を思いだす。 フェニックスに一泊してから、北へ3時間ほど走り、お昼ごろセドナ着。 今回の旅は、長いことお世話になっている化粧品会社の依頼を受けアリゾナ一帯を撮影することが目的だ。滞在は4日間、その間にセドナ周辺、プランテーションなどを廻って、週末にサンフランシスコに抜ける予定。 ここは空気が薄く、太陽が黒い。   [16-11-2009] 別れ フィラデルフィアでの展覧会が無事開き、金曜日のアーティストトークを終えて、気がつくともう出発の日を迎えていた。 昨日までの雨はきれいに上がり、うす水色の空にパラフィン紙にような巻雲が幾筋か浮かんでいる。早朝、Mの運転する車でハイウェイを走っていると、抑えがたくセンチメンタルな気分がわき起こってきてどうしようもなくなる。 春のフィラデルフィアにはじまって、日高山脈での山籠り、ブリ、そしてふたたびフィラデルフィアへ。今年は旅の多い一年だった、まるで写真のお遍路みたいだった。 Project Bashoの周辺ではほんとうに数多くの素晴らしい人たちに出会った。何よりもフィラデルフィア滞在の機会と縁をもたらしてくれた伊藤剛君に心から感謝します。   [05-11-2009] フィラデルフィア、3日目 2日月曜に、シカゴ経由でフィラデルフィアに到着。 Project Bashoの伊藤剛君のスタジオにお世話になり、いま今週末のワークショップと翌週からの個展に向けて準備をしています。天気はこのところ快晴、今日はベッケレル現像のテスト、DIルームではアシスタントのタイラー君が展示用の大判インクジェットプリントを出力中。 今度のワークショップは二日半の日程なので、比較的取り組みやすいベッケレル現像と、水銀と臭素を使うマルチコート・ダゲレオタイプ両方をレクチャーする予定。 いまのところワークショップの申し込みは6人、コロラド、DCあたりからもわざわざ参加する方がいるらしいので、それぞれ最低1枚は満足のいくダゲレオタイプを持ち帰ってもらえるようにしたい。 ベッケレル現像ダゲレオタイプは、深いブルーで薄もやがかかったような印象の画像に仕上がる。去年から水銀現像だけに取り組んできたので、久しぶりに見ると、ベッケレルの夢見るような映像も悪くないなと思う。   [01-11-2009] Solo Exhibition: “Flawless Lakes” Takashi Arai’s first US show, “Flawless Lakes” features 20 daguerreotypes plus…

[27-08-2008] miles away 昨日、成田で一人の人を見送る。 展望デッキからは、さまざまなマークを背負った飛行機たちが国際線の滑走路から飛び立っては、離陸姿勢のまま、つぎつぎに低く垂れ込めた雲の中に溶けて消えて行くのが見える。やがて友人の乗った機体も、灰色の矢のように唐突に速力を上げ、あっという間にニュートラル・ホワイトのもやの向こうへ、音もなく吸い込まれていった。フェンスから身を離しながら、旅の安全を祈る。 見送るときはいつも、たとえ短い別れであっても、地に根が生え一本の灌木になったような気持ちになるものだ。(送迎デッキのフェンスに思い思いの格好で身体を寄せる、たくさんの灌木たち。) 空港をあちこち見て回ってから(空港の出発ロビーはとても好き)、車を東へ走らせ九十九里へ。 友人のMYと一緒に、生まれて初めてサーフィンをやる。ウェットスーツに着替えると二人とも群れからはぐれたオットセイみたい。でも指導してくれた方の教え方が完璧だったので、2時間くらいでなんとかボードの上に立って進めるようになった。 立ち上がって足下を見ると、自分の身体と一緒にエメラルド色の波の泡立ちが幾重にも折り重なって進んで行くのがスローモーションで見える、これは本当にすごい感覚だ!   [14-08-2008] 解の方程式 今日は朝から父の実家へ帰省。 畑で今朝採れた野菜の天ぷら、ひやむぎ、煮物、漬ものなどが食卓に並ぶ。 祖父も祖母も少し痩せたように見えた、夏の軽装のせいだろうか。高一になる従姉妹が数学の宿題を持っていたので家庭教師の真似をしてみる、二次関数の「解の方程式」をそっくり忘れていてショックを受ける。 祖母がゴーヤを収穫に行くので後をついて戸外にさまよい出ると、ねっとりとした雨後の大気に、名前の判らない房状の花や、草の葉の甘い香気が充満している。 五つか六つのころ、わたしはこの家が大好きで、ほとんど永遠とも思えた数週間の間、祖父母や、まだ生きていた曽祖母に囲まれて王のように過ごしていた。スーパーカブのうしろに便乗して灯籠流しを見に行ったり、弟とともにトラクターの荷台に乗り、谷津の田んぼにドジョウや、なぜか迷い込んでいたブラックバス(その後、そいつはわたしの部屋の水槽で他の魚を次々に飲み込みながら、ずいぶん長い間生きた)を捕まえに出かけたものだ。 今日、祖父にはビールを少し勧め過ぎてしまった、すこし足許が危なっかしかった、思わず肩を支えてから不意に、最後に祖父の身体に触れたのはいつだったかなあ、と考えていた。   [12-08-2008] Ari Marcopoulos 昨日の夜は、GALLERY WHITE ROOMでAri Marcopoulosの展示を観てきた。展示の点数は少なかったけどゼロックス・コピーを使用した写真集が良い。自分の生のぴったりしたところで撮ることの強度と持続性。(同時に展示していた日本人作家のふやけた作品とは対照的だ)   [11-08-2008] olive-green mine 今日は一日家で仕事をしていた。 一時陽が翳ったので何気なくアトリエから窓の外に目をやると、すぐ傍の電線に視線が向き、なにやらよく見えぬまま、よろこばしい気持ちがおこってきた。次いでそれが電線の碍子に留まった一匹のウグイスであることがわかり、さらによく見るとそれが実はウグイスではなく、ただの薄黄色いスポンジ状の部品であることがわかった。 よろこばしい感情はウグイス=名前/意味以前の体験であったのに、それはなぜもたらされたのか?単に視野の中の黄緑色のしみであったそれが名前/意味なしに感情を呼び覚ますなら、本当はどのようなヴィジョンも、ダイレクトになにがしかの感情を生起させ得る(でも現実を覆いつくす意味のヴェイルを振りほどくのは簡単ではない)。問題は、<黄緑の丸みを帯びたしみ>に対する感情が経験(春の諸感覚に縁取られたウグイス体験)によってもたらされるのか、もしくはウグイスの形態そのものがよろこばしい感情のひな形としてあるのか、ということ。   [09-08-2008] Country of Last Things 平日は建築雑誌、美術館ほか依頼撮影数件、写真を見に大学の後輩で春秋社のK君来訪。 木曜はコチャエの二人とラジカセコレクターの松崎さんの仕事場(縄張り)を見学(松崎さんは廃品置き場などから入手したラジカセやテレビを自分で分解修理し、ネット上で販売している方。今度本を出されるのでその写真を担当することになった)。首都圏某所の廃物集積所に案内していただいたのだが、すごい場所だった。 まず廃家電や廃線、ゴミが一緒くたになった山が重機で掻き分けられ、同系のモノが選別されて山積みされていく。これらは全て圧縮されてゴミとしてコンテナに積み込まれ、そのまま横浜港から中国へ輸送される。そののち銅線や使えそうなモーター、エンジン類などに腑分けされマーケットで売り捌かれることになる。 ジャンクヤードのむき出しの即物性には、強烈な視覚的エクスタシーがある。そこにうずたかく積まれているのは、広告的イメージによって輪郭を曖昧にされた「商品」ではなく、マテリアルとマッスのみによってのみ価値を見いだし得る生粋の「モノ」だ。価値や意味を付与するのは探索する人本人であり、こうして廃品の山を歩きながら使えそうなモノの発見に意識を集中するとき、付加価値のまやかしに満ちた生活の中で見えなくなった、モノに対する主体性が復活する。 ところでコンテナに入る前のモノは自由に見て回って良く、何か気に入ったものがあれば現場をうろうろしているウェストポーチの中国人と値段交渉して購入してもよい。敷地の片隅に細長いアルミトランクが転がっていて、直感的にこれはと思い開けてみると、プロペットの大型ストロボが入っていた。電源を入れるとちゃんと発光するしモデリングもチューブもまだそんなに古くない。松崎さんがウェストポーチのところへ行って交渉してくれ(独特の身振りと発声)、めでたく数千円で購入。 そこにあるのは、いままでなかった新しい何かです。正体不明の物質から成る小塊です。それは一個のかけら、切れ端、おのれの場を持たない世界の一点です。それは物のモノ性を示すゼロ記号です。何かが十全な姿のまま見つかることを期待してはいけませんが、・・・完全に使い尽くされたものを探すのに時間を費やしても仕方ないのです。物拾い人はその中間をさまようのであり、有用性はもはやなくなっていても元の形をどこかにかろうじてとどめている物たちを探してまわるのです。(ポール・オースター『最後の物たちの国で』柴田元幸=訳)   [12-07-2008] 母系 月曜日、活版印刷をつかってデザインをする澤辺由記子さんと港千尋さんの対談を聴くため、青山のBook246へ。 港さんが撮影した、現役の活版印刷所の写真を見ながら二人の対話を聞く。活字を工場の入り口に、母系から活字を鋳造するための金属が山積みされている。 かつて、文字には重さと体温があった。 銀の鏡文字の群れが、白い原野に次々に到着していた、ただ一つの組み合わせ、二度と起りえない必然性の雨として。   [08-07-2008] 無題 週末は友だちの結婚式に参列。 早めに着いてダゲレオタイプ・プレートを準備、ハレの衣装に身を包んだ新郎新婦を撮る。(結婚式って不思議だ、人々がそれぞれの遠さのなかで佇んでいる。会場の端から端までの、途方もない距離。) 翌日早朝、三次会のウィスキー・ソーダでよれよれになった身体に鞭打って起き出し水を浴びてから、ワークショップで使う銀板を磨く。磨きすすむうちに正気を取り戻し、少しずつ気持ちが澄んでくる。 天気が回復に向かっていてよかった、第三京浜を全速力で走って黄金町へ。 スライド・レクチャーの後、大岡川の桟橋で3分30秒の集合写真撮影。ベクレル現像を待つ間いろいろな方とお話する。今回はとても熱心な人が多く、嬉しかった。定着が完了し部屋を明るくした瞬間、歓声が上がる(この瞬間はいつも魔術師の気分だ)。 会場撤収の後、ボランティアのNRT君が働く韓国料理屋で打ち上げ、運転があるので飲めなくて残念だったけど。   [01-07-2008] 黄金町 黄金町では、何ひとつ手がかりや核心らしきものが掴めない。 何かが穴ぐらのなかで息を殺していて、その穴の入り口を、特徴のない白っぽいタイルで舗装しつつある、といったような・・・。 等間隔に配置された警察官、店名を掲げたまま灯を消し、奥に人の気配のする空き店舗。ここでは「アーティスト」が特権的な立場を付与されているようだ、赤い紐の名札を提げてさえいれば、裏路地で堂々と三脚を拡げていても、きょろきょろと見回しながら桜の葉陰を行ったり来たりしても、巡査や警備の人に咎められることはないし、自分も安心だという気持ちさえある。こんな場所は、他にはない。 うまく言えないけれど、本当に変な感じだ、とてもやりにくい。心の中でどうしても消化しきれない感覚が、カメラを構える度に増殖していく気がする。この気持ちわるさに、慣れないこと。   [30-06-2008] Let…

[2月2日(木)/2006] 皮膚としてのプリント 国立近代美術館のプリントスタディ制度を利用するため、朝から竹橋へ。少し早く着いたので窓口の近くで待っていると、研究員の竹内さんご本人が出てきたのでちょっと驚いた。3階の休憩室の一角がプリントスタディのための空間にアレンジされていて、大きな窓の向こうに皇居が広がっている。わたしは利用者第4号、1号は鈴木理策さんらしい。 午前の部は、まずマーティン・パー『最後の保養地』から6点、それからダイアン・アーバスのプリント7点を観る。アーバスを観て疲労困憊したので、早めにお昼休みをいただいて、皇居で昼寝する。午後になってから川田喜久治のラスト・コスモロジー、最後にハリー・キャラハンのプリント4点を観た。 初め、特に気負いもなく作品を観始めたのが、アーバスのプリントを観て、ガラスもかかっていず額にも入っていないプリントを、10cmの間近で観る行為の特別さに気付いた。まるで、生の顔を手で撫でるような触覚的な作業であり、収集できる手がかりや痕跡が圧倒的に厚い。そして、表面に散らばる無数の手がかりは不分明で、情報化される前の段階で保留されている。ここでは写真家のキャラクター、たとえば「アーバスらしさ」といったもの(それがあるとすれば)は薄まっており、その時々に応じて、見る人と写真、というとても個別的な体験として関係が生じていく。 ハリー・キャラハンのプリントは極限まで冴え渡っていて、疲れた目を冷水で洗うような清冽な感覚がある。印画紙の紙白よりも、写真のハイライトの方が白く輝いて見えるというのは、一体どういうことなんだろう?エレノアの顔、こちらに向かってくるプリント。 プリントスタディ(写真作品閲覧制度)の詳細は下記。事前に仮予約と予約が必要。 http://www.momat.go.jp/Honkan/printstudy.html   [1月29日(日)/2006] 十年祭 今日は祖父の十年祭(神道では、没後五年、十年、という具合に式年祭が執り行われる)、家族で阿佐谷の神明宮に向かう。良く晴れていて、菊の楼門飾りがぴかぴか光っている。本殿の硝子戸の奥で、重たい鏡が青白い光を返して浮かんでいる。 このところ折口信夫を読んでいたせいか、祝詞の言葉をひとつずつ聴き取ることができた。 (あらしほの しほの やほぢの やしほぢの しほの やほあひにます はやあきつひめといふかみ もちかかのみてむ……) 蜘蛛が一匹、宮司の襟首のところでゆらゆら遊んでいた。いい祝詞だった、もちろん祝詞の良し悪しなんて分からないけれど、ただ、いい祝詞だと思った。   [1月28日(土)/2006] 無題 26日からの3日間、作品と新しい展示プランを持って、関西近辺のギャラリーを巡ってきた。アポイントもなしに突然お邪魔したにも関わらず、どのギャラリーでも丁寧に作品を見ていただいたのが嬉しかった。3日目に訪ねたGUILD GALLERYで企画展の話がまとまり、冬ごろの会期を目指して、一つの目標が定まった。 多忙にも関わらず、長時間にわたって案内してただいた小林さん、まだ形の定まらないものを信頼してくださった金谷さんに、心から感謝します。 今年は東京-大阪2カ所での企画展を開くことが目標なので、あとは東京側での可能性を当たっていきたい。 (覚え書き) 1日目 夜明け前の京都駅に到着すると、グラニュ糖のような淡雪が降っていた。宿のチェックインまで相当な時間があるので、そのまま四条を経由して清水まで歩き、そこから三十三間堂に下った。指が切れそうな程冷えきった回廊で、千手観音の幾千の手のひらから泡立ちのような音が漏れ、それが縒り集まって津波のように迫ってくる。この場所では、祈る側と祈りを捧げられる側の数的関係がまるで逆転していて、見る者は、波に崩れさらわれる砂粒と化す。 午後からはギャラリー射手座、ギャラリストの渡邊さんと少しだけお話する。北大路駅周辺にいくつかギャラリーがあるので見に行く予定だったが、2軒がお休みで、結局voice galleryと issisだけ見学することができた。 次に、京都造形大学の合同合評会を見学するため、タクシーで瓜生山へ。久しぶりに写真学校の合評会を思い出すが、傾向はまるで違っているのが興味深い。森山大道さんのコメントは手短で平明で、何一つ無駄がない。終了後、飯沢耕太郎さん、やなぎみわさんとお話する機会があり、ダゲレオタイプなどを見ていただいた(お忙しいところありがとうございました)。 その後、小林美香さん、坪口恍弋さん、芦田陽介さん、造形大の4回生二人と四条河原町の焼酎と魚が美味しい店で飲む。案の定、飲みすぎた。 2日目 鴨川で少し風に当たってから、奈良のギャラリーOUT OF PLACEへ。町屋のほっそりとした路地の奥に、行き届いたスペースが広がっていて、少し驚く。ディレクターの野村さんに、アポイントなしにお邪魔したにも関わらず丁寧に作品を見ていただき素晴らしいコメントをいただいた。こちらのギャラリーには、ひとまず作品の資料を何点かと、テクストを選んで送ることになった。 夕方からは、以前から小林さんにお話を伺っていた、EXILEギャラリーの西澤さんに初めてお会いした。思いがけず現代詩手帳やジャズや映画の色々な話題が繋がる。散文/詩の抜粋をお送りする約束をする。 3日目 お昼過ぎに大阪の淀屋橋で小林さんと待ち合わせる。近くでお昼を食べてからEarly Galleryへ。ギャラリーの有田さんに作品と企画を見ていただき、様々な示唆(ほとんど宣託みたいな調子なので、たぶん逆らってはいけないのだろう)をいただく。その後GUILD GALLERYを訪ねたところ金谷さんがご不在だったので、一度Nadarにお邪魔してから、頃合いを見て再び戻る。3日間多くの方と話し合ったせいか、この頃には自分がやるべき仕事、やりたい仕事が随分明確になってきていた。金谷さんにお会いして作品と展示プランをお話しすると、ものの10分くらいで「前向きに」話がまとまってしまった。当初考えていたダゲレオタイプのプランではなく、最近取り組んでいるカラーのシリーズを中心に、企画をまとめることに。まだどこに向かうか分からない、10点余りの写真を信じて機会を与えていただいたことに感謝すると同時に、その仕事の重さから背筋が伸びる思いだ。 最後にThe Third Gallery Ayaにお邪魔して、綾さんにもご批評をいただき、美味しいチーズケーキと紅茶をご馳走になった。 今回の旅が自分にとって小さな転機になったことは確か。広告の会社に勤めている間に完全に損なわれてしまった高揚が、ここから作り始めることで戻ってくればいい、と思う。小林さんを始め、三日間にお話することができた多くの方々に感謝しつつ、最終の新幹線が待つ新大阪へ向かった。 [1月23日(月)/2006] 無題 軋るようなブルー、時折骨片のような雪が散りかかっては、フロントガラスの向こう側でするすると融けて消えていく。 今日は品川で半日の仕事。   [1月20日(金)/2006] 無題 今日は髪を切っただけ。身体の調子はもう大分いい。陰影のない一日。   [1月15日(日)/2006] 熱 昨晩、突然40度の高熱に見舞われて、救急外来に駆け込む(この前の冬は、この場所からそのままストレッチャーで運ばれていったのだった)。インフルエンザに違いないと思ったらそうでもないらしい。今日になって嘘のように平熱に戻ったので起き出してみると、TKCHさん、KBYSさん、KYMさん、それにKMさん(ずいぶん久しぶりになってしまいました)から、それぞれメールが届いていた。 少しずつ、素直に、眼と耳をチューニングしていこう。 [1月10日(日)/2006] Laundering 昨日は久しぶりの「見る会」があり、鈴木理策さんにお会いする。 時代の先端で本当に戦えるもの、そう信じられるものを作らなければ。   [1月2日(日)/2006] 無題 今日は午後から父の実家に帰省。中学二年になる従姉妹に少しだけお年玉をあげる。代々農家を営んでいる祖父母の家では、白菜の塩漬けや野菜のてんぷらなどが、驚くほどおいしい。漬け物の作り方だけは、折りを見てしっかり記録しておこう、と決意する。 祖父は戦中、近衛隊の補充部隊にいたらしい。赤坂の一ツ木に赤煉瓦と木造の兵舎があって、彼は木造の方に寝泊まりしていた。終戦間際には、平塚の市役所屋上で領空のウオッチ(見張り)を任されており、東京大空襲の日、爆撃機の大編隊が、ぎらぎら光ながら富士山を迂回していくのを見、相模湾で乏しい日本の戦闘機が次々撃墜されていくのを見た。 – – – 色々考えた結果、8×10のダゲレオタイプはしばらく放棄することにする。継続的に撮りつづけるためには、一日で2枚ないし3枚の銀板を磨く必要があるし、これにはやはり4×5inch版が最適だ。また、8×10のレンズの暗さが、モデルの静止時間をあまりにも長くしてしまうことにも、決定的な問題がある(クイック剤の研究が必要!)。来週にも、4×5版のコーティング・ボックスの改良型を設計することにしよう。 沈黙している。タブローとガラスの反射の背後に漂う、普遍的な幸福感の跡?みたいなもの。 常設展の写真室ではアジェの1973年版のプリントが展示されている。その中に、アジェ自身がガラスに映りこんでいる一枚を見つけ、嬉しくて声を上げてしまう。