連載/続「百の太陽を探して」#9

百の太陽を探して
北アメリカ(十)カボチャの名前(前編)
新井卓

 

丸木美術館学芸員・岡村幸宣さんの同人誌『小さな雑誌』No.85掲載原稿より転載)

──一発の原子爆弾で街が見渡すかぎりの焦土と化した翌年、広島では、カボチャが不思議によく採れたのだという。
敗戦間際、アメリカ最新鋭の爆撃機・B29は、ときおり不可解な小数行動をとることがあった。おおかたは偵察と思われたが、まれに、凄まじい威力の爆弾を一発だけ、投下することがあった。
敗戦の前日、八月一四日に春日井に落とされた爆弾について調査していた市民団体は、米軍の出撃記録に当日のデータがないことに気づく。それは、マンハッタンプロジェクトの一環として、第五〇九混成部隊によって極秘裏に行われた爆撃だったのだ。通称「カボチャ爆弾」は、実際の原爆投下に先立ち米軍が試験的に落とした、四九個の模擬原爆のことである。爆弾は、空中特性を調べるため長崎型原爆と同じ形状、重さで作られていた。「カボチャ」は、丸い形と黄色の塗装から連想したと思われるが、その名前と裏腹に、爆弾は一発で一区画を灰儘に帰し、何人もの命を奪った。
戦争を繰り返してはならない、忘れてはならない、という。しかし、わたしを含め現在この国に暮らすほとんどの人間は、従軍して人を殺したことはおろか銃を握ったことすらない。したことがないことを、どうして反復し忘れうるというのか。もし〈戦争〉というものを、ごく一部でも疑似体験できるのだとすれば、何かが変わるのだろうか?二〇一五年秋、テキサス州サンアントニオでの滞在制作の好機を得て、短い映画を撮ることにした。第二次大戦中の爆撃機をチャーターして、実際にカボチャ爆弾を投下する──ただしその爆弾は、四九個の、ほんもののカボチャである。

十月のよく晴れた日、サンアントニオから北へ二時間ほどの距離にある、ジョージタウンを訪れた。当地を拠点にするデビルドッグ中隊は、B25・通称デビルドッグ(※)を現在でも維持する、数少ない非営利団体だ。昼前に市営空港のハンガーに着き、渉外担当のイワノフ夫妻に挨拶すると、会議室に案内された。その日は月例の昼食会議らしく、メグというボランティアの学生がピザの注文を手際良くあつめていた。中隊の主要メンバーは皆よく日焼けしたマッチョな中年男たちで、それに、異様な緊張感を源わせる凄腕パイロッ卜、ベスを加えて円卓を囲んでいると、私だけ宙に浮いているような落ち着かない気持ちになった。会議では主に、予算調達のため、小学校の催しで上空を飛ぶとか、だれかの結婚式で空から花を撒くといった、なにやら平和な報告がつづいた。
議題が尽きたころ、ピザが届き、何か頼みごとがあるなら今話すといいと言われた。剌すような視線を感じながらスライドの準備をしていると、上半身に嫌な汗がにじんできた。テキサスといえば、軍属の人間がもっとも多い州の一つだ。これからやろうとしていることを話せば、この部屋から叩き出されるかもしれない。
無駄な小細工はよして、単刀直入に話すことにした。
──太平洋戦争中、原爆の模擬爆弾・通称パンプキンというのがあって、本土に四九個落とされ人が死んだ。自分の祖父は海軍大尉で、ラバウルでB25に苦しめられ、義理の父は小学生のころ機銃掃射をうけた。それでも自分には戦争がよくわからないから、人を殺さない方法で爆撃を体験できないかと考えている。そこでカボチャを四九個、爆撃したいので、B25と爆撃可能な土地を貸してほしい。──そこまで一気に話すと、一瞬の沈黙ののち、男たちがどっと笑い崩れた。「燃料代くらい出してくるんだろ?」「マークの農場に落とせよ」「カボチャの種は抜いてくれ、畑に勝手に生えてくると困るから」
そしてわずか一五分で、短編映画「49パンプキンズ」の撮影は決まった。(つづく)

※「デビルドッグ」は硫黄島で撃墜された海軍機を模して、他の機体をオーバーホウルしたB25である。カボチャ爆弾は、実際は「シルバープレイテッド」版・B29(鏡面研磨したジェラルミン機体の改良型B29で、テニアンから日本本土爆撃を可能にするため、空気抵抗を極限まで小さくする必要があった)から投下された。現存する飛行可能なB29は、Npoコメモラティヴ・エア・フォースが保存する「フィフィ」一機のみ。

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