February 2006

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[2月2日(木)/2006] 皮膚としてのプリント 国立近代美術館のプリントスタディ制度を利用するため、朝から竹橋へ。少し早く着いたので窓口の近くで待っていると、研究員の竹内さんご本人が出てきたのでちょっと驚いた。3階の休憩室の一角がプリントスタディのための空間にアレンジされていて、大きな窓の向こうに皇居が広がっている。わたしは利用者第4号、1号は鈴木理策さんらしい。 午前の部は、まずマーティン・パー『最後の保養地』から6点、それからダイアン・アーバスのプリント7点を観る。アーバスを観て疲労困憊したので、早めにお昼休みをいただいて、皇居で昼寝する。午後になってから川田喜久治のラスト・コスモロジー、最後にハリー・キャラハンのプリント4点を観た。 初め、特に気負いもなく作品を観始めたのが、アーバスのプリントを観て、ガラスもかかっていず額にも入っていないプリントを、10cmの間近で観る行為の特別さに気付いた。まるで、生の顔を手で撫でるような触覚的な作業であり、収集できる手がかりや痕跡が圧倒的に厚い。そして、表面に散らばる無数の手がかりは不分明で、情報化される前の段階で保留されている。ここでは写真家のキャラクター、たとえば「アーバスらしさ」といったもの(それがあるとすれば)は薄まっており、その時々に応じて、見る人と写真、というとても個別的な体験として関係が生じていく。 ハリー・キャラハンのプリントは極限まで冴え渡っていて、疲れた目を冷水で洗うような清冽な感覚がある。印画紙の紙白よりも、写真のハイライトの方が白く輝いて見えるというのは、一体どういうことなんだろう?エレノアの顔、こちらに向かってくるプリント。 プリントスタディ(写真作品閲覧制度)の詳細は下記。事前に仮予約と予約が必要。 http://www.momat.go.jp/Honkan/printstudy.html   [1月29日(日)/2006] 十年祭 今日は祖父の十年祭(神道では、没後五年、十年、という具合に式年祭が執り行われる)、家族で阿佐谷の神明宮に向かう。良く晴れていて、菊の楼門飾りがぴかぴか光っている。本殿の硝子戸の奥で、重たい鏡が青白い光を返して浮かんでいる。 このところ折口信夫を読んでいたせいか、祝詞の言葉をひとつずつ聴き取ることができた。 (あらしほの しほの やほぢの やしほぢの しほの やほあひにます はやあきつひめといふかみ もちかかのみてむ……) 蜘蛛が一匹、宮司の襟首のところでゆらゆら遊んでいた。いい祝詞だった、もちろん祝詞の良し悪しなんて分からないけれど、ただ、いい祝詞だと思った。   [1月28日(土)/2006] 無題 26日からの3日間、作品と新しい展示プランを持って、関西近辺のギャラリーを巡ってきた。アポイントもなしに突然お邪魔したにも関わらず、どのギャラリーでも丁寧に作品を見ていただいたのが嬉しかった。3日目に訪ねたGUILD GALLERYで企画展の話がまとまり、冬ごろの会期を目指して、一つの目標が定まった。 多忙にも関わらず、長時間にわたって案内してただいた小林さん、まだ形の定まらないものを信頼してくださった金谷さんに、心から感謝します。 今年は東京-大阪2カ所での企画展を開くことが目標なので、あとは東京側での可能性を当たっていきたい。 (覚え書き) 1日目 夜明け前の京都駅に到着すると、グラニュ糖のような淡雪が降っていた。宿のチェックインまで相当な時間があるので、そのまま四条を経由して清水まで歩き、そこから三十三間堂に下った。指が切れそうな程冷えきった回廊で、千手観音の幾千の手のひらから泡立ちのような音が漏れ、それが縒り集まって津波のように迫ってくる。この場所では、祈る側と祈りを捧げられる側の数的関係がまるで逆転していて、見る者は、波に崩れさらわれる砂粒と化す。 午後からはギャラリー射手座、ギャラリストの渡邊さんと少しだけお話する。北大路駅周辺にいくつかギャラリーがあるので見に行く予定だったが、2軒がお休みで、結局voice galleryと issisだけ見学することができた。 次に、京都造形大学の合同合評会を見学するため、タクシーで瓜生山へ。久しぶりに写真学校の合評会を思い出すが、傾向はまるで違っているのが興味深い。森山大道さんのコメントは手短で平明で、何一つ無駄がない。終了後、飯沢耕太郎さん、やなぎみわさんとお話する機会があり、ダゲレオタイプなどを見ていただいた(お忙しいところありがとうございました)。 その後、小林美香さん、坪口恍弋さん、芦田陽介さん、造形大の4回生二人と四条河原町の焼酎と魚が美味しい店で飲む。案の定、飲みすぎた。 2日目 鴨川で少し風に当たってから、奈良のギャラリーOUT OF PLACEへ。町屋のほっそりとした路地の奥に、行き届いたスペースが広がっていて、少し驚く。ディレクターの野村さんに、アポイントなしにお邪魔したにも関わらず丁寧に作品を見ていただき素晴らしいコメントをいただいた。こちらのギャラリーには、ひとまず作品の資料を何点かと、テクストを選んで送ることになった。 夕方からは、以前から小林さんにお話を伺っていた、EXILEギャラリーの西澤さんに初めてお会いした。思いがけず現代詩手帳やジャズや映画の色々な話題が繋がる。散文/詩の抜粋をお送りする約束をする。 3日目 お昼過ぎに大阪の淀屋橋で小林さんと待ち合わせる。近くでお昼を食べてからEarly Galleryへ。ギャラリーの有田さんに作品と企画を見ていただき、様々な示唆(ほとんど宣託みたいな調子なので、たぶん逆らってはいけないのだろう)をいただく。その後GUILD GALLERYを訪ねたところ金谷さんがご不在だったので、一度Nadarにお邪魔してから、頃合いを見て再び戻る。3日間多くの方と話し合ったせいか、この頃には自分がやるべき仕事、やりたい仕事が随分明確になってきていた。金谷さんにお会いして作品と展示プランをお話しすると、ものの10分くらいで「前向きに」話がまとまってしまった。当初考えていたダゲレオタイプのプランではなく、最近取り組んでいるカラーのシリーズを中心に、企画をまとめることに。まだどこに向かうか分からない、10点余りの写真を信じて機会を与えていただいたことに感謝すると同時に、その仕事の重さから背筋が伸びる思いだ。 最後にThe Third Gallery Ayaにお邪魔して、綾さんにもご批評をいただき、美味しいチーズケーキと紅茶をご馳走になった。 今回の旅が自分にとって小さな転機になったことは確か。広告の会社に勤めている間に完全に損なわれてしまった高揚が、ここから作り始めることで戻ってくればいい、と思う。小林さんを始め、三日間にお話することができた多くの方々に感謝しつつ、最終の新幹線が待つ新大阪へ向かった。 [1月23日(月)/2006] 無題 軋るようなブルー、時折骨片のような雪が散りかかっては、フロントガラスの向こう側でするすると融けて消えていく。 今日は品川で半日の仕事。   [1月20日(金)/2006] 無題 今日は髪を切っただけ。身体の調子はもう大分いい。陰影のない一日。   [1月15日(日)/2006] 熱 昨晩、突然40度の高熱に見舞われて、救急外来に駆け込む(この前の冬は、この場所からそのままストレッチャーで運ばれていったのだった)。インフルエンザに違いないと思ったらそうでもないらしい。今日になって嘘のように平熱に戻ったので起き出してみると、TKCHさん、KBYSさん、KYMさん、それにKMさん(ずいぶん久しぶりになってしまいました)から、それぞれメールが届いていた。 少しずつ、素直に、眼と耳をチューニングしていこう。 [1月10日(日)/2006] Laundering 昨日は久しぶりの「見る会」があり、鈴木理策さんにお会いする。 時代の先端で本当に戦えるもの、そう信じられるものを作らなければ。   [1月2日(日)/2006] 無題 今日は午後から父の実家に帰省。中学二年になる従姉妹に少しだけお年玉をあげる。代々農家を営んでいる祖父母の家では、白菜の塩漬けや野菜のてんぷらなどが、驚くほどおいしい。漬け物の作り方だけは、折りを見てしっかり記録しておこう、と決意する。 祖父は戦中、近衛隊の補充部隊にいたらしい。赤坂の一ツ木に赤煉瓦と木造の兵舎があって、彼は木造の方に寝泊まりしていた。終戦間際には、平塚の市役所屋上で領空のウオッチ(見張り)を任されており、東京大空襲の日、爆撃機の大編隊が、ぎらぎら光ながら富士山を迂回していくのを見、相模湾で乏しい日本の戦闘機が次々撃墜されていくのを見た。 – – – 色々考えた結果、8×10のダゲレオタイプはしばらく放棄することにする。継続的に撮りつづけるためには、一日で2枚ないし3枚の銀板を磨く必要があるし、これにはやはり4×5inch版が最適だ。また、8×10のレンズの暗さが、モデルの静止時間をあまりにも長くしてしまうことにも、決定的な問題がある(クイック剤の研究が必要!)。来週にも、4×5版のコーティング・ボックスの改良型を設計することにしよう。 沈黙している。タブローとガラスの反射の背後に漂う、普遍的な幸福感の跡?みたいなもの。 常設展の写真室ではアジェの1973年版のプリントが展示されている。その中に、アジェ自身がガラスに映りこんでいる一枚を見つけ、嬉しくて声を上げてしまう。