荒木経惟「総合開館20周年記念 荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017-」東京都写真美術館(8月12日訪問)
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2795.html
荒木経惟の写真を見たのは、まだ大学に通っていた90年代末ころで、友人に『センチメンタルな旅・冬の旅』(1991)を見せてもらったのがおそらく最初だった。モノクロの端正な画面にとらえられた<私生活>はその意味するところ──ここに写された荒木の妻・陽子はすでに亡くなっていて、その喪失の経験とその事後=現在において、写真家と見る人の時空間が地続きにされてしまうということ──によって、没入していく感情と同時に、かすかな違和感──見も知らない他者の生き死にを、当人に関係なく覗き見すること、そこから短絡的にカタルシスへ、昇華された感覚にたどりついてしてしまうことへのうしろめたさ──を持ったことを覚えている。
ひとつの映像はそれがいかにシアトリカルに、小説的にしつらえられていたとしても、現実にそこにあった光景を開示している(すくなくとも伝統的に私たちはそう諒解している)。従って、その映像は実社会で日ごろ私たちが順化している倫理感や規制から自由であることはない。見も知らない他者の生き死にをのぞき見る、という禁忌を破ることの快楽と退廃の感覚は『センチメンタルな旅』を見る体験からも決して、切り離すことはできない。
たとえば妻・クリスティーネの自死を写した古屋誠一『メモワール』(1978-1985)や、映画では写真評論家・西井一夫の死をドキュメントした河瀬直美の『追憶のダンス』(2002)で、わたしたちはカメラを介した被写体の殺害(もちろんそれは字義通りの殺害であるはずはなく、たとえば役者がハムレットを演ずるように予めプロットされた死を追認する、ということにすぎない)に荷担する。もっともここで、カメラの暴力性や倫理観の破綻、といったことを断じることには、ほとんど意味はない。それよりも、映像にとらえられた死にゆく人々が、イメージの現前によって出来事を──死を──新しい鑑賞者が供給されるたび繰りかえし生きざるをえないということ、そのような映像のあり方がどの形式と範囲で許容(または消費)されうるのか、について考えなくてはならない。いずれにせよ、これらの映像は被写体となった人の了承のあるなしに関わらず、死後、撮影者の都合によって編さんされ公表されたものであることにかわりはない。したがってそこに表出されるのは、一人の人の生き死にに重ねあわされた、撮影者の欲望と自己投影にほかならず、多くの場合鑑賞者の関心が寄せられるのは、写された人その人よりも、こうした表出の形式そのものと、そこから触知されうる撮影者と被-撮影者の関係性について、である。そのとき、わたしたちは死にゆく人々の映像から、なにを見いだそうと──見いだしたいと、欲望するのか。
ところで、たとえば古屋や河瀬の「作品」に垣間見えるカメラの暴力性が、荒木の写真からはそれほど感じられないのは、なぜか。
ひとつに荒木が敷衍した<私写真>の形式によるところは自明として、もうひとつに、おそらく彼の独特の言葉づかいがある。荒木が好んでつかう「愛」や「エロス」といった言葉、近代化以降日本人を脅かしつづけ、ついにコンプレックスと化したこれら外来の概念=言葉は、わたしたちに少なからず打撃を与える。ところが実際に荒木の写真から受け取るのは、半封建的な日本社会の暗がりで展開されるリビドーの世界であり、また、表面的には否定しながらも、家父長制に深く根ざし生きざるをえないわたしたちが求める、一つのファンタジーである。
高村光太郎が西欧文化に対する劣等の表現として、日本の女のイメージとして「責め折檻された女」(「あをい雨」)を置いたように(吉本隆明『高村光太郎 現代作家論全集6』1958)、荒木の写真に見る緊縛やSM、懐古的ポルノグラフィーのスタイルを通して、個人主義と西欧的な愛や性愛に対するわたしたちのコンプレックスは日本的ファンタジーへと精力的に置換されていく。そしてこのファンタジーの横溢は、アラーキーというエゴによって強力にbind/捕捉されているために、わたしたちは自己同一性の危機を顧みることなく、没入してゆけるのである。おそらくこれがわたしたちが荒木経惟を、とりわけ彼のヌードを愛してやまない理由ではないか。
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