2005年【抜粋/修正版】
[12月29日(木)/2005] 無題 今日は今年最後の撮影、皇居のまわりを走って神谷町に向かう。 暮れの真昼、空ががらんとしている。 [12月26日(月)/2005] 声 品川での仕事が早く終わったので、夜、友だちのライブを聴きに行く(こんなふうに自分で時間を采配できる生活になったのだ、としみじみ嬉しい)。JPとTSKも来ていて、一緒のテーブルにつく。 一曲目を聴いて、その変化に少し驚かされた。声がもっとずっと深いところから繋がってきていて、半年かそれ以上の沈黙のあいだに、きっとそういう場所を通ってきたんだな、と思う。JPは少しダークになったね、と言っていたけれど、わたしは今の二人も好きだ。 – – – 書くことから遠ざかりすぎると、記憶と呼べそうなものは何も残らない。 [12月20日(火)/2005] 無題 オペラの仕事を終えて、思い出したように風邪を引いてしまった。 – – – 今年も art & riverbank 主催の企画展「depositors meeting」に参加します。 [11月14日(月)/2005] 無題 一昨日までの二日間は札幌での撮影。 昨日は平倉氏による「概念化」のワークショップ、越後妻有のメンバーでウィトゲンシュタインの精読を行う。想像力を広げる前に、そこに書かれたテクストの範囲に厳密に留まること、自分にとっては苦手な作業だったが、感覚を掴み始めると無性に楽しくなってきた。哲学を読むというのはこういうことだったのか! 次回のワークショップのテーマは「写真」でわたしの担当。限られた時間の中で何を伝え、共有できるか。 [11月9日(水)/2005] 無題 世界が息を潜め遠ざかっている、と感じることがあって、そんなときは自分も息を殺してじっとしている。 前触れとしての沈黙、うわべの平穏さ。 [11月3日(木)/2005] 無題 滞在先の大阪で、携帯電話が壊れてしまった。帰るまでどうすることもできない。 通信が途絶するということは、モノローグとダイアログの境界線が溶解することだ。 [10月31日(月)/2005] 無題 「わたし」を何者でもない者にするために移動するのだと、以前は思っていた。移動によって、否応なくそうさせられるのだ、本当のところは。 淀川をがぶがぶと浮き草が流されていく、遠い場所に来ているのだ、と、目の前の光景からも遠いところから、にじむように感覚している。わたしがわたし自身に追いつかないくらい早く、移ろっていけるならそれでいい。 [10月30日(日)/2005] 浮遊 撮影先の大阪から更新。来月5日までずっと、新大阪のプラットホームが見える部屋に滞在することになる。残念ながら今回はこちらの友人たちに会う時間はなさそう(退職後、改めて来阪します。その折に、また)。 多忙の中での移動は、水の中のダクトを通っていくみたいに淡く、いま、わたしはどこにもいないのだ、という感覚が伴う。 [10月17日(月)/2005] 水面下 長い潜水状態を経てずいぶん経つ。意識の遠いへりで、時折雨音が聞こえるらしい。やらなくてはならないことが本当にたくさんあり、弾丸のように進む。 – – – 現在所属している広告写真の会社を、来月末で退社することに決まった。会社からは今後も多少は依頼を受けることになるが、これからはひとりでやっていく [10月2日(日)/2005] 無題 午後から撮影、暑すぎてなにも見えない。身体が動かない。 [9月27日(月)/2005] 無題 夜、『ヘンゼルとグレーテル』の打ち合わせ。恊働することは、ひとや自分の時間の大切さ、生活の重さを一部分共有するということだ。だから、自分一人でものを作るのとは、時間とお金に対しての意識が違ってくる。物理的、時間的制限と作り手たちが超えなくてはならない仕事の質について、よく認識する必要がある [9月25日(月)/2005] 無題 すべてが不確定であり、ひとつの道筋からよその道筋へと大きくカーヴしていくこと、その悦び。ゆっくりと手のひらに還ってくる。 不安は片時も身を離れたことがない、なぜならそれはわたしたちの眼でもあり、生まれつきの傷のように、ずっと開きつづけているからだ。 [9月24日(日)/2005] 砂床 石内都さんの写真を見るため近美へ。7月末に行われたアーティスト・トークが映像になっていて、肉声を注意深く聴く。 35mmのネガから大伸ばしされたプリントの前に立ちながら、この作家は、モノクロームの生理を、撮る過程からいかにも自然に感じ続けてきた人なのだと思った。「織物のような」粒子のざわめきが、対象をその表面そのものへと、美醜のほんの僅かな手前で押しとどめている。それでももちろん、クローズアップの手足であり、喉首の傷痕であり、濃い陰影を含んだ壁面であるそれらが、かたちや意味を失って抽象化されているわけではない(だからアレ・ブレとは全然関係ない)。そうしたことの見えないボーダーラインに、近づけばコロイド状に雲散してしまう、イメージの鏡が立っている。そういう場所にいなければ、いまモノクロームで撮る必然性なんてあまりないのだろう。 [9月18日(日)/2005] まずは柔軟体操 日中は『ヘンゼルとグレーテル』のための撮影、新宿を歩き回る。こういう街は、最初の30分くらいが勝負だと思った。長く歩くうちに何もかもが写真の括弧で括られてしまい、消費されてしまった、と感じるから(この街はカメラをぶら下げている連中が異様に多いのが腹立たしい。この世界に撮影者は一人で充分だ)。 – …