2008年【抜粋/修正版】
[27-08-2008] miles away 昨日、成田で一人の人を見送る。 展望デッキからは、さまざまなマークを背負った飛行機たちが国際線の滑走路から飛び立っては、離陸姿勢のまま、つぎつぎに低く垂れ込めた雲の中に溶けて消えて行くのが見える。やがて友人の乗った機体も、灰色の矢のように唐突に速力を上げ、あっという間にニュートラル・ホワイトのもやの向こうへ、音もなく吸い込まれていった。フェンスから身を離しながら、旅の安全を祈る。 見送るときはいつも、たとえ短い別れであっても、地に根が生え一本の灌木になったような気持ちになるものだ。(送迎デッキのフェンスに思い思いの格好で身体を寄せる、たくさんの灌木たち。) 空港をあちこち見て回ってから(空港の出発ロビーはとても好き)、車を東へ走らせ九十九里へ。 友人のMYと一緒に、生まれて初めてサーフィンをやる。ウェットスーツに着替えると二人とも群れからはぐれたオットセイみたい。でも指導してくれた方の教え方が完璧だったので、2時間くらいでなんとかボードの上に立って進めるようになった。 立ち上がって足下を見ると、自分の身体と一緒にエメラルド色の波の泡立ちが幾重にも折り重なって進んで行くのがスローモーションで見える、これは本当にすごい感覚だ! [14-08-2008] 解の方程式 今日は朝から父の実家へ帰省。 畑で今朝採れた野菜の天ぷら、ひやむぎ、煮物、漬ものなどが食卓に並ぶ。 祖父も祖母も少し痩せたように見えた、夏の軽装のせいだろうか。高一になる従姉妹が数学の宿題を持っていたので家庭教師の真似をしてみる、二次関数の「解の方程式」をそっくり忘れていてショックを受ける。 祖母がゴーヤを収穫に行くので後をついて戸外にさまよい出ると、ねっとりとした雨後の大気に、名前の判らない房状の花や、草の葉の甘い香気が充満している。 五つか六つのころ、わたしはこの家が大好きで、ほとんど永遠とも思えた数週間の間、祖父母や、まだ生きていた曽祖母に囲まれて王のように過ごしていた。スーパーカブのうしろに便乗して灯籠流しを見に行ったり、弟とともにトラクターの荷台に乗り、谷津の田んぼにドジョウや、なぜか迷い込んでいたブラックバス(その後、そいつはわたしの部屋の水槽で他の魚を次々に飲み込みながら、ずいぶん長い間生きた)を捕まえに出かけたものだ。 今日、祖父にはビールを少し勧め過ぎてしまった、すこし足許が危なっかしかった、思わず肩を支えてから不意に、最後に祖父の身体に触れたのはいつだったかなあ、と考えていた。 [12-08-2008] Ari Marcopoulos 昨日の夜は、GALLERY WHITE ROOMでAri Marcopoulosの展示を観てきた。展示の点数は少なかったけどゼロックス・コピーを使用した写真集が良い。自分の生のぴったりしたところで撮ることの強度と持続性。(同時に展示していた日本人作家のふやけた作品とは対照的だ) [11-08-2008] olive-green mine 今日は一日家で仕事をしていた。 一時陽が翳ったので何気なくアトリエから窓の外に目をやると、すぐ傍の電線に視線が向き、なにやらよく見えぬまま、よろこばしい気持ちがおこってきた。次いでそれが電線の碍子に留まった一匹のウグイスであることがわかり、さらによく見るとそれが実はウグイスではなく、ただの薄黄色いスポンジ状の部品であることがわかった。 よろこばしい感情はウグイス=名前/意味以前の体験であったのに、それはなぜもたらされたのか?単に視野の中の黄緑色のしみであったそれが名前/意味なしに感情を呼び覚ますなら、本当はどのようなヴィジョンも、ダイレクトになにがしかの感情を生起させ得る(でも現実を覆いつくす意味のヴェイルを振りほどくのは簡単ではない)。問題は、<黄緑の丸みを帯びたしみ>に対する感情が経験(春の諸感覚に縁取られたウグイス体験)によってもたらされるのか、もしくはウグイスの形態そのものがよろこばしい感情のひな形としてあるのか、ということ。 [09-08-2008] Country of Last Things 平日は建築雑誌、美術館ほか依頼撮影数件、写真を見に大学の後輩で春秋社のK君来訪。 木曜はコチャエの二人とラジカセコレクターの松崎さんの仕事場(縄張り)を見学(松崎さんは廃品置き場などから入手したラジカセやテレビを自分で分解修理し、ネット上で販売している方。今度本を出されるのでその写真を担当することになった)。首都圏某所の廃物集積所に案内していただいたのだが、すごい場所だった。 まず廃家電や廃線、ゴミが一緒くたになった山が重機で掻き分けられ、同系のモノが選別されて山積みされていく。これらは全て圧縮されてゴミとしてコンテナに積み込まれ、そのまま横浜港から中国へ輸送される。そののち銅線や使えそうなモーター、エンジン類などに腑分けされマーケットで売り捌かれることになる。 ジャンクヤードのむき出しの即物性には、強烈な視覚的エクスタシーがある。そこにうずたかく積まれているのは、広告的イメージによって輪郭を曖昧にされた「商品」ではなく、マテリアルとマッスのみによってのみ価値を見いだし得る生粋の「モノ」だ。価値や意味を付与するのは探索する人本人であり、こうして廃品の山を歩きながら使えそうなモノの発見に意識を集中するとき、付加価値のまやかしに満ちた生活の中で見えなくなった、モノに対する主体性が復活する。 ところでコンテナに入る前のモノは自由に見て回って良く、何か気に入ったものがあれば現場をうろうろしているウェストポーチの中国人と値段交渉して購入してもよい。敷地の片隅に細長いアルミトランクが転がっていて、直感的にこれはと思い開けてみると、プロペットの大型ストロボが入っていた。電源を入れるとちゃんと発光するしモデリングもチューブもまだそんなに古くない。松崎さんがウェストポーチのところへ行って交渉してくれ(独特の身振りと発声)、めでたく数千円で購入。 そこにあるのは、いままでなかった新しい何かです。正体不明の物質から成る小塊です。それは一個のかけら、切れ端、おのれの場を持たない世界の一点です。それは物のモノ性を示すゼロ記号です。何かが十全な姿のまま見つかることを期待してはいけませんが、・・・完全に使い尽くされたものを探すのに時間を費やしても仕方ないのです。物拾い人はその中間をさまようのであり、有用性はもはやなくなっていても元の形をどこかにかろうじてとどめている物たちを探してまわるのです。(ポール・オースター『最後の物たちの国で』柴田元幸=訳) [12-07-2008] 母系 月曜日、活版印刷をつかってデザインをする澤辺由記子さんと港千尋さんの対談を聴くため、青山のBook246へ。 港さんが撮影した、現役の活版印刷所の写真を見ながら二人の対話を聞く。活字を工場の入り口に、母系から活字を鋳造するための金属が山積みされている。 かつて、文字には重さと体温があった。 銀の鏡文字の群れが、白い原野に次々に到着していた、ただ一つの組み合わせ、二度と起りえない必然性の雨として。 [08-07-2008] 無題 週末は友だちの結婚式に参列。 早めに着いてダゲレオタイプ・プレートを準備、ハレの衣装に身を包んだ新郎新婦を撮る。(結婚式って不思議だ、人々がそれぞれの遠さのなかで佇んでいる。会場の端から端までの、途方もない距離。) 翌日早朝、三次会のウィスキー・ソーダでよれよれになった身体に鞭打って起き出し水を浴びてから、ワークショップで使う銀板を磨く。磨きすすむうちに正気を取り戻し、少しずつ気持ちが澄んでくる。 天気が回復に向かっていてよかった、第三京浜を全速力で走って黄金町へ。 スライド・レクチャーの後、大岡川の桟橋で3分30秒の集合写真撮影。ベクレル現像を待つ間いろいろな方とお話する。今回はとても熱心な人が多く、嬉しかった。定着が完了し部屋を明るくした瞬間、歓声が上がる(この瞬間はいつも魔術師の気分だ)。 会場撤収の後、ボランティアのNRT君が働く韓国料理屋で打ち上げ、運転があるので飲めなくて残念だったけど。 [01-07-2008] 黄金町 黄金町では、何ひとつ手がかりや核心らしきものが掴めない。 何かが穴ぐらのなかで息を殺していて、その穴の入り口を、特徴のない白っぽいタイルで舗装しつつある、といったような・・・。 等間隔に配置された警察官、店名を掲げたまま灯を消し、奥に人の気配のする空き店舗。ここでは「アーティスト」が特権的な立場を付与されているようだ、赤い紐の名札を提げてさえいれば、裏路地で堂々と三脚を拡げていても、きょろきょろと見回しながら桜の葉陰を行ったり来たりしても、巡査や警備の人に咎められることはないし、自分も安心だという気持ちさえある。こんな場所は、他にはない。 うまく言えないけれど、本当に変な感じだ、とてもやりにくい。心の中でどうしても消化しきれない感覚が、カメラを構える度に増殖していく気がする。この気持ちわるさに、慣れないこと。 [30-06-2008] Let …