2010年【抜粋/修正版】

[23-12-2010] 落差のない滝

午後から明治大学生田キャンパスにて「光、礫、水」展のための作業。8×10のモノクロに変なことをして10カットほど撮影する。
懸案だったオブジェの配置は、予想したよりもいい感じに異様な雰囲気になった。今回の展示は、きわめて精密かつシリアスな悪戯です。

 

[22-12-2010] 青森、ルワンダ、斑女

冬至になった。すべてが透明な音をたてて、陽に転回しはじめる季節。

先週末、京都造形芸術大学/時代の精神展『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』を見るため日帰りで(というか飲みすぎて朝帰りになってしまったけど)京都へ。
すでに写真集で見た写真とテキストではあったが、天井の高いルクソール宮殿みたいな空間に、等間隔に立ち並んだ大判のポートレイトは圧巻だった。ポートレイトの横には小さなパネルが掛けられていて、ひとつひとつ女たちのモノローグが印刷されている。写真を見る、という行為そのものを変容させる展示だと感じた。
一組のテクストと写真を見るためには、およそ10分くらいの時間がかかる。ふつうの写真の展示空間では、身体の横方向への移動が、見る体験の「浅さ」の感覚をつくりだしているが、この展示には深さと高さがある。林立するモノリス、沈黙のうちに充満した言葉の群れ。素晴らしい仕事だと思った。

先週は京都行きを挟んで、目黒アピア40で念願の友川カズキのライヴ、喜多流の能楽定期公演「斑女」「黒塚」など。

 

[21-12-2010] Reunion

週末、久しぶりにいつもの「大樽」で写真学校の同級生と集まった。
ぜんぜん変わらない。ほんとはみんな変わりつつあるはずだから、変わらないという感覚は不思議だ。おなじ時間を共有し、貧乏とか恥ずかしいことを共有している友だちの間には「無条件」という接頭辞がいつもついてくる。だから会うとついつい飲みすぎる。

 

[15-12-2010] 礫

一月の展示で使う石を切ってもらうため、近所の石材工場を訪ねた。入口からは見えなかった巨大な空間にたっぷりと外光が注いでいて、もうもうと立ちこめる石の粉塵が、神話的な感じを漂わせている。
私が住んでいる川崎中部の府中街道沿いは、高度成長期時代に中小工業の生産拠点として発展した。ずいぶん数は減ったが、今でもすこし路地を入るとその風景が残っている。
スレート色の工場には人の気配が満ちていて、その目立たないひとつひとつの箱の中で、ネジや金型、板バネ、シートベルト、ふとんの中綿や人工衛星のモーターなどが作られている。それらは決して人の眼に触れることなく、私たちの知らない流通網を辿って、既製品の見えない内奥へと送り届けられるものたちだ。

既製品でつくられた世界は多様に見えて、実は有限のバリエーションで区切られた密室にひとしい。いまのところ生活の安定とか向上とは、世界の貧困さを許容すること(受動的に、または半ば積極的に)によって達成されている。

ものを作ることは、物質と交感することである。
みかけの「貧困さ」の方へ。手の貧弱さから始めるということ。

 

[28-11-2010] 栄力丸ダゲレオタイプ/複製プロジェクト(1)

修復家の三木麻里さんと待ち合わせ、川崎市市民ミュージアムへ。
m-miki来年の展覧会に向けて、川崎市所蔵・栄力丸ダゲレオタイプ2点のレプリカ製作の作業が始まった。三木さんが細心の注意を払いながらハウジングを開け、私は作業過程ごとの写真を記録。最後に、レプリカを作る際のポジとして使用する画像を撮影した。
これから三木さんはハウジングの修復とレプリカ用の新たなハウジングの製作、私は銀板へ密着焼きするためのデジタル・ネガ(正確にはポジ像)のテスト制作に移る。
160年の時を超えてハウジングから取り出されたダゲレオタイプは、経年による部分的なターニッシュ(変色)によって、宝石のオパールのような虹色になっていた。写された男たちは不安とも安堵ともつかない曖昧な表情を漂わせ、それでも確固とした尊厳に支えられているように見える。ミニアチュアの魔術によって封じ込められた魂が、銀板のなかでひっそりと息づいているみたいだ。

高解像度で入力したデジタル画像を観察していて、ひとつ発見があった。男の目に、黒い台形のかたちが見えその周りにハイライトが入っている。斜めに作り付けられたガラスの天窓と明るい採光のダゲレオタイプ・スタジオ、そのシルエットだろうか?
眼の中の影像に、ひとつの時空が凝集している。それは艶やかなブラックホールのように、裏返しに世界を包摂している。

追記)栄力丸の船員は52日間の漂流ののち「オークランド号」に救出され、その後別の船上で撮影された、との記録もあるので、シルエットは船上の何かを映し出しているのかも知れない。

 

[27-11-2010] ルワンダ・ジェノサイドから生まれて

午前中、明治大学生田キャンパスにて1月の展示の打ち合わせ。
今回はダゲレオタイプ、映像、そして立体による展示を構成する予定で、そのなかでも重要なのがギャラリーに隣接する図書館書架を使用した”Replacement”と名付けたインスタレーションだ。諸事情あって実現への道のりは険しそうだけれど、この要素を欠いた展示は成立しない。なんとか理解を得られることを祈るのみ。

夜はAKAAKA舎へジョナサン・トーゴヴニク氏と竹内万里子さんによるトークを聴きにいく。写真集『ルワンダ・ジェノサイドから生まれて』日本語版の刊行と現在京都造形大で行われている個展に合わせ、写真家が来日した。感動的なプレゼンテーションだった。
初めてこの写真集のオリジナル版を目にしたとき、端正な装丁、ルワンダの母子をシンプルにとらえたポートレイトと、原題の”Intended Consequences: Rwandan Children Born of Rape”というダイレクトに暴力の存在を告げるタイトルとがうまく頭の中で一致しなくて、混乱したのを覚えている。

トーゴヴニクが撮影したモデルは、ルワンダで90年代初頭に起きたジェノサイドの渦中、民兵によって暴力や性的暴行を受けた女性たちと、そのレイプの結果生まれた子供たちである。写真家は、それぞれの女性と数時間にわたる対話を行い、その後彼女たちが暮らす家の近隣で撮影を行った。母子はそれぞれにカメラをまっすぐに見つめ、無数の言葉が凝縮されたような沈黙の表情のなかに、静かに佇んでいる。

母子はとてもよく似ている。まさにその似ている、という事実が、引き裂かれるような複雑な感情を呼び起こす。何組かのインタビューを読み、ポートレイトを見ていけば、はじめは不意に叫びたくなるかも知れない。しかし写真家は決して叫んだり、声高に訴えたりすることなく、低い声で語り、距離を計り、見つめ耳を傾けつづける。その仕方は、とても強い。穏やかに語りかける「声」の写真集。

 

[19-11-2010] Lights

ジョエル・マイエロヴィッツみたいな夕暮れ。
空気が、固くて透明になっている。

 

[03-11-2010] fluxsus

先週末、遠野への旅から戻った。
今回は遠野市西部の山地、とくに古生代の残丘(モナドノック)である早池峰南麓をくり返し訪ね、十数点の「滝」のダゲレオタイプを撮影した。

滝とは固有の<もの>ではなく、現象/状態を表すことばであり実体がない。宇宙が生成してから消滅するまで、決して繰り返されることのない水の落下、その反映が銀板のおもてに降り積もり、ただ一片の積分された映像が顕われる。

遠野から持ち帰ったダゲレオタイプは、来年1月14日から24日にかけて、明治大学生田キャンパス図書館、および併設された展示空間のGallery Zeroにて行われる個展で発表します。
https://www.lib.meiji.ac.jp/about/exhibition_zero/index.html
このプロジェクトは、滝という現象と、鏡面の映り込みによって常に生成流転するダゲレオタイプの映像に注目したまったく新しい展示になるはずです。

今度の旅では遠野の色々な人のご厚意に触れ、全力で制作に集中することができました。特に作業場所を快く提供してくださった早池峰ふるさと学校の佐々木さん夫妻、藤井さん、数々のレアな情報を教えていただいた民宿「御伽屋」のご主人に心から感謝します。

 

[24-10-2010] 見えない湖

今日から一週間、遠野に滞在してダゲレオタイプを撮影します。

 

[29-09-2010] 夢

夢を見た。

弱々しい光、青ざめたような午下がりの公園。私は歩きながら右手で食べかけのパン屑をもてあそんでいる。鳩の一群が何かに驚いて一斉に飛立ち、私はそれにむかってパンを投げようとする。と、すぐ近くの地面に一匹の鳥、この辺りでは決してみることのない熱帯を思わせる美しい色彩の鳥がとまっていて、私を片目で見ていることに気づいた。
パンはもう手の中になかった、私はゆっくりと手を伸ばして、羽を扇型に広げて憩っているように見えるその鳥に、そっと触れた。(いまや鳥ははっとするような金色、ないしはミモザのような鮮烈なカナリア色をしていて、おなじくらい金色の小さな眼をもっていた。これはきっと「オカメインコ」というのだろう、とわたしは思った、しかしそれは体長50センチはある堂々とした生きもので、大型のオウムに近い太く短い嘴をのぞかせているのだった・・・)
鳥が恐れなかったので、なおも羽を撫でつづけた、すると、奇妙なことに鳥は猫がするようにごろごろと喉をならしはじめすっかり私になついてしまったようだった。腹を見せてひっくり返り悦びの仕草を見せ、いつの間にか鳥は私の胸にしがみついて、すっかりくつろいでしまう。どうやらそれは人語を理解する鳥のようだった。
これから一生この鳥を引き受けるのだな、と心の芯から思い、同時に家にいる猫のことを思いすこし心配でもあった。いつしか大きな鳥は肩のほうに落ち着き、もう一匹のエメラルドグリーンの小型の鳥が、わたしの右胸にブローチのようにとまっていた。
肩のうっすらとした痛みを感じながら、私は家に向かって歩きはじめた。

 

[09-09-2010] 焚書

昨日ラジオを聴いていて、耳を疑うようなニュースを知った。

フロリダのある福音派教会が、9.11に合わせ「International Burn a Koran Day」を実施し、イスラムの聖典コーランを燃やす、という運動を呼びかけているというものだ。
BBC NEWS: https://www.bbc.co.uk/news/world-us-canada-11233106

運動を先導するDove World Outreach Centerは、特定の宗派に属さない小規模なキリスト教集団だが、2000年ごろから反イスラム教的な発言を繰り返し、特に今回の騒動で世間の注目を集めている。
当然、中東に駐留するアメリカ軍ほか世界中から批判が浴びせられる結果となったが、こうしたスキャンダルが世界中に配信されることそれ自体によって、彼らの目的は半分達せられたようなものだ。

同センターは、コーランの焚書を行う10の理由を、以下のように述べている。
Ten Reasons to Burn a Koran | Dove World Outreach Center

On 9/11/10 we are burning Korans to raise awareness and warn. In a sense it is neither an act of love nor of hate. We see, as we state in the Ten Reasons below, that Islam is a danger. We are using this act to warn about the teaching and ideology of Islam, which we do hate as it is hateful. We do not hate any people, however. We love, as God loves, all the people in the world and we want them to come to a knowledge of the truth. To warn of danger and harm is a loving act. God is love and truth. If you know the truth it can set you free. The world is in bondage to the massive grip of the lies of Islam. These are:

One

The Koran teaches that Jesus Christ, the Crucified, Risen Son of God, King of Kings and Lord of Lords was NOT the Son of God, nor was he crucified (a well documented historical fact that ONLY Islam denies). This teaching removes the possibility of salvation and eternal life in heaven for all Islam’s believers. They face eternal damnation in hell if they do not repent.

Two

The Koran does not have an eternal origin. It is not recorded in heaven. The Almighty God, Creator of the World, is NOT it’s source. It is not holy. It’s writings are human in origin, a concoction of old and new teachings. This has been stated and restated for centuries by scholars since Islam’s beginnings, both Moslem and non-Moslem.

Three

The Koran’s teaching includes Arabian idolatry, paganism, rites and rituals. These are demonic, an ongoing satanic stronghold under which Moslems and the world suffer.

Four

The earliest writings that are known to exist about the Prophet Mohammad were recorded 120 years after his death. All of the Islamic writings (the Koran and the Hadith, the biographies, the traditions and histories) are confused, contradictory and inconsistent. Maybe Mohammad never existed. We have no conclusive account about what he said or did. Yet Moslems follow the destructive teachings of Islam without question.

Five

Mohammad’s life and message cannot be respected. The first Meccan period of his leadership seems to have been religiously motivated and a search for the truth. But in the second Medina period he was “corrupted by power and worldly ambitions.” (Ibn Warraq) These are characteristics that God hates. They also led to political assassinations and massacres which continue to be carried out on a regular basis by his followers today.

Six

Islamic Law is totalitarian in nature. There is no separation of church and state. It is irrational. It is supposedly immutable and cannot be changed. It must be accepted without criticism. It has many similarities to Nazism, Communism and Fascism. It is not compatible with Western Civilization.

Seven

Islam is not compatible with democracy and human rights. The notion of a moral individual capable of making decisions and taking responsibility for them does not exist in Islam. The attitude towards women in Islam as inferior possessions of men has led to countless cases of mistreatment and abuse for which Moslem men receive little or no punishment, and in many cases are encouraged to commit such acts, and are even praised for them. This is a direct fruit of the teachings of the Koran.

Eight

A Muslim does not have the right to change his religion. Apostasy is punishable by death.

Nine

Deep in the Islamic teaching and culture is the irrational fear and loathing of the West.

Ten

Islam is a weapon of Arab imperialism and Islamic colonialism. Wherever Islam has or gains political power, Christians, Jews and all non-Moslems receive persecution, discrimination, are forced to convert. There are massacres and churches, synagogues, temples and other places of worship are destroyed.

ほとんどの主張が、聖書を拡大解釈することによる一方的なイスラムの聖性の否定だが、ディープイスラムの社会に見られる非人道的な現状についても触れている。これは扇動者のお手本のような演説の仕方で、教義の根拠<由来>を否定する事からはじまり、結果としての社会の問題点<結果と現状>を意図的に混同して語ることによって、あたかもイスラム社会そのものが否定されるべきものかのように人々を説得しようとするものだ。
これとまったく同じやり方で、血統という<由来>と裕福層を形成するユダヤ人社会への不満<結果>を結びつけることによって、ヒトラーはユダヤ人排斥運動を煽動した。

興味深いのは、「10の理由」の中の6項目目で、彼らがイスラムとナチズム、ファシズムを結びつけようとしていることだ。しかし、イスラム=ナチズムの根拠として上げられている政教不分離についても、アメリカ自体が決して政教分離された国家とは言えない事実と矛盾している。(ちなみに、都市部の人間の不支持にもかかわらずJ.W.ブッシュが大統領に選出されたのは、国内で圧倒的な数を占める、福音派を含むローマ・カトリック教会に属する保守派の圧倒的支持を集めたからである)

 

[07-09-2010] 「ペルシャ猫を誰も知らない」

前々から観たかった映画、「ペルシャ猫を誰も知らない」を渋谷ユーロスペースで観た。
この映画はイランのBahman Ghobadi監督による作品で、事実にもとづき、実人物が登場するドキュメンタリーと劇映画両方の側面をもった作品で、昨年のカンヌ国際映画祭で<ある視点>特別賞を受賞している。
この作品の主人公たちは、イランでインディー・ロックバンドを組む若い男女だ。かれらはイランの抑圧的な環境から逃れ、自由な音楽活動を行うために、熱心な仲間に助けられ、国外脱出を試みようとする。そして、そのために必要な資金を集めるために、テヘランで地下ライブを開くことになった・・・

イランでは、アフメディネジャド政権以後コンサートなどを開催する場合はすべて事前に当局の許可を得る事が必要となり、それなしに活動する事は違法であり、アーティストが投獄されるケースが後を絶たない。
「許可を得るには女声が3人、しかもコーラスでなければならない」「許可をもう3年も待っているバンドがある」と、主人公のアシュカンが言う。活動の許可にたぶん明確な規定はなく、インディー・ロックやラップなど、イラン社会の窮状や矛盾をさらけ出し、反イスラム的であるとみなされる音楽家が、活動の許可を得るのは明らかに難しそうだ。

この映画はある種のPVの集合体とみることもできるけれど、登場する実在の10組ほどのバンドやアーティストのパフォーマンス、曲や歌詞はどれも圧倒的で、何度も鳥肌が立った。
そして、この作品の撮影自体も機動性の高いカメラを使って、短期間の間に警察の目を逃れながら、無許可で行われたという。そこに掬いとられたむき出しの現実の手触り、街路の匂い。

最後まで見終えて、観る人は不意に気づかされるだろう、映画が終わったあとも、実在する登場人物たちは映画の中と同じようにたった今もテヘランに生き、苦しみながら闘い続けているという現実を。だからこの映画にはカタルシスはない。

この映画はイラン国内では当然上映禁止、Ghobadi監督は、カンヌで受賞後に身の危険を感じこの映画を最後に国外に逃れざるを得なくなった。
監督は、2009年東京フィルメックスに合わせた来日がイラン当局の圧力によって拒まれたとき、私たちに向けて、もしこの作品に興味を持ったら、広く上映される事に力を貸してほしい、また電話やメールで友人たちに映画を勧めてほしい、と語っている。

 

[03-09-2010] 無題

屋外はまだ危険なほどの暑さがつづいていて、8×10カメラを担いで一往復しただけで、シャツがべっとりと肩に張り付いて来る。

最近湿板写真について学び始めてから、ダゲレオタイプについて少し違った眼で見られるようになってきた。
これから湿板写真とダゲレオタイプ、両方を同時に進めていく過程で、うまく言えないけれど何か「言葉」が生まれてくるかもしれない、という予感がある。そして、最終的にはこれら19世紀の技法が、もはや「古典技法」ではなくなる時が来るだろう。(ちなみに、古典技法は英語では”Alternative process”と呼ばれていて、「もうひとつのプロセス」という、見えない空白を指すような言葉の感じ)

ダゲレオタイプについては、現在臭化のプロセスを全面的に変更しようとしている。
先週TNKさんを撮った時に出たフォグは、古い文献に出てきたflare coatingという記述に特徴が当てはまる。臭素の揮発性が高い事が原因らしい、いま使っている臭素水だと気化のコントロールが難しいので、次の8×10のシリーズに着手する前に、これをDry Quickと呼ばれるハロゲンとマグネシウムの混合体に置き換えることをめざしたい。

 

[24-08-2010] 今日のダゲレオ

今日はTNKのポートレイトを撮影。
彼は2006年の横浜美術館での滞在制作中に会場に来てくれて、そのときダゲレオタイプのモデルになってもらったこともある。当時18才くらいだったと思うけれど、4年後の今日「自分の手元に置いておくために」と撮影の注文をしてくれた。彼は今、大学で写真の勉強をしている。

ここ二日間、銀板の全体に現れる正体不明のフォグ(もやがかかったような現象)に苦しめられ、出口の見えない闘いをしていた。これまでに発見した対処法をいくつも試してもまったく駄目で、銀の透明な映像はミルク状のカオスの向こうに消え、かすかな気配すら感じられない。これには流石にちょっと打ちのめされる。今日は最後のアイデアにかけてみて、ようやく(ちょっとフォグが残っているけれど)力のある肖像を撮ることができた。今回のフォグは、日本の夏に関係しているようだ。ダゲレオタイプについては、未知のことがまだ本当に多い。

 

[20-08-2010] 『NHK、鉄の沈黙はだれのために』上梓

表紙/本文写真を担当した単行本、『NHK、鉄の沈黙はだれのために―番組改変事件10年目の告白』永田浩三氏・著(柏書房)がただいま好評発売中です。

10年前、NHKの従軍慰安婦問題に関する国際法廷のドキュメンタリー番組で、政治圧力による番組改変が行われた事件がありました。この本は、当時NHK側の人間だった永田氏が、ことのなりゆきについて、詳細に証言する内容になっています。

表紙と本文の写真は、スタジオに旧式のブラウン管テレビを持ち込み、問題の映像のオリジナルVHS(※放映用に編集される前のラフ・テープ)を流し、画面のうつろいを追いながら撮影した。無編集の映像は息づいているかのように生々しく、感情的であることに驚いた。単なる政治/メディア批判だけでなく、ドキュメンタリーで語られようとした事実と、その受け手である私たち自身の意識について、深く考えさせられる仕事になった。

 

[10-08-2010] ティンタイプ

仕事が一段落したので、午後からティンタイプの試写。
この前アクリル加工業者に頼んでおいた扁平な水槽(銀浴器)ができたので、それを使ってみる。銀浴が均一にできるようになったので、ムラや表面の皮膜のような現象はほとんど消えた。
湿板はまだ初心者だけど、薬品のリアクションの仕方とか、起こりうる問題点はダゲレオタイプと共通の手触りがある。
目に見える銀と見えない透明な銀、そのあわいに、未だ見ぬ映像が潜んでいる。

 

[04-08-2010] つぶやきについて

スタジオで事務仕事と片付け、夕方都内で打ち合わせ2件あり。東横線に乗る。
久々にラッシュアワーの電車に乗ると、ほとんどの人がケータイに顔を近づけて、親指で素早く何かタイプしている。隣の人はずっとTwitterに短いセンテンスを投稿し続けている。いまどの駅にいるか。電車が何分遅れているか。弱冷房車がいかに暑いか。

不特定多数の(実のところかなり特定少数の)誰かに向かって、「いま」をつぶやきつづけたいという欲求はいったい何なのだろうか?僕もしばらくTwitterをやってみて、Twitter俳句みたいなことをしてみたのだが、すぐに飽きてしまい、それに知人たちの、愚痴とも誰かへの暗号とも伏線ともつかない「いま」がうるさくて気持ち悪くてしょうがなくなり、すぐに止めてしまった。

ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン天使のうた』で天使たちは、人々の内面のつぶやきを聞き分けることができた。実際に、モノローグはいつも人の頭のなかにある(「仕事が終わったらラーメン食って、あとDVD返さなきゃな、明日は遅番だから飲んじゃうか」とか)。
でもそのモノローグとTwitterのつぶやきは似て非なるものだ。ヴェンダースの映画で、人々は天使が自分のつぶやきを聞いているなんて全然しらなかった(ピーター・フォーク以外は)。だからモノローグは自我の深く誰もとどかないところに漂っていて、死にたいとつぶやく人がいても、天使たちはただそれを見守ることしかできない。コメント機能なんてない。

ブログもホームページもTwitterも、基本的に個を意味化する道具だと思う。
人が一番耐えられないのは、たぶん、自分がしていること、してきたことが無意味だと感じてしまうことだ。自分を大切に思ってくれる誰かがいても、いつも側にいるというわけにはいかないから、日常のふとした瞬間に出てくる無意味(プチ・虚無感)の脅威にはそれ相応の防御をしなくてはならない。いちばん良いのは、手っ取り早く、外界からリアクションを受けることだ(漫才の「ボケ」の構造)。そしてその対象は特定の誰かである必要はない(そうであれば、直接電話するかメールを送ればいい)。Twitterはその目的に最適化されているように思える。つぶやきという、何年か前まではまったく利用方法のなかったカスミみたいなものを階層化し、表層部分をうまく掬いとってリアクション可能にする=商品化すること。何らかの精神衛生上の「セーフティ・ネット」のようにも感じられる。

ブログが流行し始めた当時は、まだそれが一次メディアのような立派な情報源として一般に認められていなかった。しかし今では、様々なジャーナリストや政治家や活動家が、ブログを公式なメディアとして扱っている。
確かなのは、はじめとてもフラットな低次のメディアとして登場したいろいろなネット上の仕組みが、ある程度の熟成期間を経て、ごく一部の洗練された特権的な情報と、そうでない有象無象の情報によるヒエラルキーを形づくるということだ。

多分僕にとってのTwitterの気持ち悪さは、すでにそういった特権的なつぶやきが横行し、ユニクロとかアイスクリームの売り上げを左右し、様々な政治運動や宗教、時にはデマに近いような情報の宣伝に利用されているのに、そうした個々の強力な情報の特権性が見えにくいことにある。
ブログやHPであれば、インターフェースやデザインといった構造が、情報の特権性をあるていど表象している。Twitterは適度に匿名であり、無害そうな共通のインターフェースを持っている。またごく短い、フランクなセンテンスは、警戒心を解くのに都合がよいかもしれない。そして、フォローという仕組みは、参加者に適度な自主性、選択可能性の幻想をもたらす。選択しない情報は受け取らない、という幻想。でもTwitterにはきちんと、情報が自然にリークするような仕組みが組み込まれている。友だちの友だちから、風邪をもらうみたいなもの。
Twitterのつぶやきの大半は、おそらく害のない、個々人のプチ・虚無対策にすぎないと思う。その膨大な量の無為かつ無防備なアメーバと、その中に紛れ込んだシェパードみたいな意志的なアメーバ。それらは見分けがつかない。

 

[24-07-2010] Words

夕方日吉の夏期講座を終え、電車を乗り継いで広尾へ。オキナワの写真家・石川真生さんの「ぶっちゃけトーク」を聞きにいく。
感動して泣く。

 

[07-07-2010] Fossil

久しぶりにまる一日予定が空いたので、都内に展示を見に行く。

神宮前で『谷口雅:Discussion』、東京都写真美術館で『世界報道写真展2010』、『古屋誠一 メモワール』、『侍と私-ポートレイトが語る初期写真-』。それから原美術館『ウィリアム エグルストン:パリ‐京都』、京橋ツァイト・フォトサロンに移動して『鷹野隆大:金魚ブルブル』、INAXギャラリー『植物化石-5億年の記憶-』展、資生堂ギャラリーで『暗がりのあかり チェコ写真の現在』。

写真は積層している。地層の中で積み重なった薄葉のように、膜と膜の間に極薄のかたちがある。
昨日天野さんから聞いた、石内さんの積層した写真の話、(それをひき剥がして、捨てていく話)今日みたもの全部それとリンクしているように思えた。

傷口に対してはただ沈黙する(見る)ほかない。わたしたちは傷口の「よさ」について語る事ができるだろうか?

 

[02-06-2010] WALTZ WITH BASHIR

見逃していた映画、『戦場でワルツを』(2008、アリ・フォルマン監督)をDVDで観る。ほぼ全編アニメーションの映画だが、異様な臨場感があり見るのに緊張を強いられた。
以下は、主人公のフォルマンとPTSD専門の精神科医が対話するシーン:

アマチュア・カメラマンの例があるわ。むごい戦争を見て平気かと尋ねると──
旅行者気分でいれば大丈夫と返答・・・
彼は戦場でこう思うの”すごいぞ”
“銃撃戦に戦車ケガ人までいる”
カメラを通してフィクションを見てる感覚ね。
やがて変化が起きたわ、カメラが壊れたの。
高揚感を打ち砕いたのは──
ベイルート市内の厩舎の様子だった。
彼が目にしたのは無数の死骸と、虐待され死を待つだけの馬たち。
何の罪もない動物がなぶり殺されたことにショックを受けたわ──
その光景を正視できなかった。
それまでの彼は──
映画を見る感覚で戦争に接していた。
一種の自己防衛よ。
でもあの時現実に素手で触れてしまった・・・

 

[28-05-2010] Félix Thiollier(フェリックス・ティオリエ)

昨日は日吉の校外授業4回め、等々力から世田谷美術館に移動し、学生と一緒にフェリックス・ティオリエ展をみる。

ティオリエの作品は正直優れていると思わなかったが、所どころに見える素人くさい?配慮に逆に興味を引かれた。例えば滝を写した写真では、当時の感材の限界からどうしても像が流れてしまう滝筋にそって、何本かのシャープな白線を描き加えていたりする。また、オートクロームの写真で、山頂を捉えた画面の余白部分に、枝のような形のペイントが横たわっている。はじめは原版の傷を目立たなくするための処置かと思ったが、すぐに、彼が写真の上がりを見て、左側の大きな余白にどうしても「枝が欲しい!」と思って、てらいなく加筆したものだと分かった。
自然はかく捉えられるべき、というこの感覚は今でも決して消えてはいないと思う。僕はこれを「矩形の呪い」だと思っている。
近い世代のギュスターヴ・ル・グレイやアジェの写真には、矩形の中に、中心部とよく見えない周辺の領域がある気がする。
彼らのやり方は、写真という矩形を前提として世界をみるのとは何かが根本的に違っている。その違いはなにか?

●世田谷美術館『フェリックス・ティオリエ写真展-いま蘇る19世紀末ピクトリアリズムの写真家-』https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html

 

[28-05-2010] 下手

最近、ある展示のため旅の写真をまとめて見せてほしいというリクエストがあり、ここ数年分のネガを振り返る機会があった。
めぼしいカットを手当たり次第プリントして延々とスキャン。
自分の写真を見ていて、つくづく下手だなあ、と思う。これだけの本数撮っているのに全然上手くならないのはなんでなのか。

 

[10-05-2010] pray for uncertainty

いろいろ締め切りが迫るさなか不覚にも体調を崩してしまい、高熱で数日間寝込んでしまった。
そうこうしている間に上海のグループ展も残すところあと3日、そろそろ、いくつかの新たな出会いと、次の計画が動き始めている。
GW中は、夏のダゲレオタイプ・ワークショップの予行演習を、SKRBさんHBYさんとともに横浜美術館で行う。ふたりとも一発でなかなか良いベクレル現像ダゲレオタイプを撮ることができたので、まずまずの感触。

– – –

19世紀の写真技法について改めてネット上の資料を調べていて、湿板写真家に関する映像をいくつか見つけたので、二点ほど紹介したい。

● 湿板写真家John Cofferのドキュメンタリー(※フルバージョンはこちら→ https://www.vimeo.com/3207012):

●”Immediate Family”で知られるSally Mannのドキュメント(※13分付近から)
art21-mann
https://video.pbs.org/video/1230660017

ふたりの写真家を見ていると、ある共通したアティテュードを感じる。それは、「祈り」に近い何かだ。

確かにサリー・マンはヴィデオの中で子供たちが言うように無神論者なのかもしれない。また、ジョン・コファーが宗教的な理由で山ごもりをしていると言っている訳でもない。その「祈り」はごく何気ない所作、たとえば農夫が種を蒔きながら無意識に豊作を祈るような、もっと原初的な営みのことだ。そして、そういう祈りは不確定性を含んだプロセスと身体との対話の中にしか生じ得ない。

ジョンが20×24プレートに定着液を注ぎ、靄のなかから透明な映像が浮かび上がって来る瞬間は非常に感動的だ。でも、なぜそれが「感動的」なのか?
それは、私たちが祈りの果てにイメージに出会うからだ。そしてその歓びは、不測の事態によってそのイメージが永遠に損なわれてしまうかもしれない、という不安と常に表裏一体になっている。(ジョンの一見するとかなりイージーな作業(たぶん実際には全然イージーじゃないけど)を見ていると、尚更そう思ってしまう)
不安が強ければ強いほど私たちは祈り、強くまなざし、いっそう鮮烈にイメージと出会うのだ。

デジタル/アナログの比較論が空虚なのは、「撮ること」と「イメージと出会うこと」という、写真において最も重要な2つのプロセスについての思考が欠落しているからだ。
私自身は、写真家の本当の仕事は撮ることではなくて、「見ること」だと思っている。そして、見ることに身体の機能を集中させていく過程で、いま世界をどのように見ているか、ということを表明し共有するためのメディウムとして、写真がある。

しかし、実のところ写真は、その目的のためのメディウムとしては、あまりにも不確実なしろものだった。なぜなら、人間が眼と脳で見る世界と、カメラが機械的に捉える世界は全くかけ離れたものだからだ。そして、現像、プリントという可視化のタイムラグによって、その「ずれ」はさらに拡大される。
見たはずのシーン=撮ったはずのイメージは、時間的なブラックアウトののち、唐突に眼の前に顕れる。それは晴天の霹靂であり、見知らぬところからイメージがあらわれ、私たちは出会う。
記憶の中で醸成されたイマジナリーな映像と、写真の非人間的な映像。ふたつのイメージが「現像」によって初めて衝撃的に出会い、その現場で私たちは宙づりにされてしまう。私たちはすぐさま選ばなくてはいけない、そのどちらの映像を受け容れるかを。

主体的に「撮ること」と受動的に「イメージと出会う」という矛盾した感覚は、プロセスの時間性と不確定性によってもたらされている。そして「祈り」はまさにその矛盾の間を延々と往復するなかで、ごく自然に生まれてくるものだ。もともと機械的な視覚装置にすぎない写真は、祈りの余地を持たなければ、もはや芸術や愛の行為ではなく、単なるテクノロジーに過ぎない、そう私は信じている。

 

[26-04-2010] 見ることは危ないこと

先週の土曜、橋本聡さんの個展『行けない、来てください』を観るため茨城のアーカス・スタジオへ。
アーカスは遠くて行くのに決意がいるけれど、バスを延々乗り継いで、展示空間に足を踏み入れた途端、眠っていた感覚器官にスイッチが入ったみたいな感じになった。
彼の展示は、見るものが進んで参画することを、強制的に要求してくる。そして参画しなければ、何も見えない。
見るのに安全な足場はどこにもない。川の中で、水の抵抗を受けながら、また自分自身が水の抵抗になりながら、最後まで踊り続けなければならない。

 

[15-04-2010] 授業初日

TCPの最初の授業。
今日はFreshman Retreatのようなセッティングなのか、昼の新入生全員で鎌倉から逗子まで移動しながら撮ってもらう、という遠足の一日。
写真は独りでするもの、と常々思っているので正直なところ自分の立ち位置に不安を覚える。それでもフェアになるために(とりあえずそれだけの理由で)、とにかく学生たちと同じ条件で、なるべく撮ることに集中した。
一学期のあいだ、段々とみんなが勝手な方向に散って行ってくれるのを期待しています。

 

[07-04-2010] ダゲレオタイプの距離

帰国後すぐに、一年間待ちに待ったダゲレオタイプによる桜撮影の準備を始める。

まずはいくつかの不具合が発覚した水銀現像器を徹底的に作り直す。最近、ダゲレオタイプで使う薬品の危険性を思い知らされる出来事があったので、 とくに気密性や薬品と現像器の素材の反応に注意して、可能な限り加工精度を上げるように心がけた。
いままで塗装は避けていたが、耐薬性を考えて木部はセラックというオーガニック・ニスで仕上げる。これは松ヤニに似たいい匂いがするので、少し気分がいい。

ここにきてようやく天候に恵まれたので朝4時に起き、銀板を磨いて感光化処理してから、Yに貰ったバイクで大急ぎで砧公園へ向かう。マルチコート・ダゲレオタイプは感光化処理してから、気温にもよるけれどだいたい一時間以内で撮影、現像まで行わないと何も写らなくなってしまう。
今日は花見客が少ない時間帯に二往復、4×5判を2枚、5×7判を1枚撮影。

桜は、たぶん写真に写らない被写体のナンバー1だと思う。
桜の樹と花叢は、高さと奥行き方向の広がりによって空間を充満させている。それを肉眼で見るわたしたちの見方は、写真という平面の中で決して表現され得ない。わたしたちの視覚はパン・フォーカスではないから、たぶん、桜のざっくりとした「固まり」に向かって視線をさまよわせること、その視線の彷徨いこそが桜体験の核心という感じがする。

写真はいつでも距離の問題だ。物事が一番張りつめていてこわい距離があって、その場所で構えるとき、写真の平面は前後に奥行きを持ちうる。桜の場合、たとえば鈴木理策の距離はクマバチのように花叢の中を浮遊している。
ダゲレオタイプで撮る時、意外にもわたしたちが桜を見ているのと同じ距離で、構えることができる。銀板を挟んで桜に向かう時、接近することを拒む何かがある。その感覚が何なのか、分かるまで撮ってみるつもり。

 

[07-04-2010] 上海『Immemorial Foreseeing』展開催中

報告が遅くなってしまいましたが、先月末、上海FELLINI Galleryにて『Immemorial Foreseeing』展が無事開きました。

大平龍一さん撮影の上海滞在記:https://gallery.me.com/vancyo#100080

次々降り掛かってくる色々な問題に対処しながら、それぞれの作品がよく見える、良い空間になったと思う。

中国は会期終了後、上海、北京とつづくプロジェクトで再度訪問予定。

 

[17-03-2010] Distant Radio

Mollyとスカイプ越しに話していて、今日がフィラデルフィアで最初のレクチャーを行ってからちょうど一年ということに気づいた。
その少し前は、Project Bashoの剛くんと一緒にダゲレオタイプの機材を突貫で作り続けていていた。そしてたった今も上海行きを前にほとんど同じことをしている。
わずか一年ということがどうしても信じられない、ヘビー級の密度の365日だったと、ふと思った。

スタジオで作業しているときはだいたいラジオを聴いている。
昔からラジオがとても好きだ。ラジオの電波を聞くとき耳の奥にどこか遠さの感覚があって、真夜中に短波ラジオの局を探しているときなんかは、月面基地から地球の音に耳を澄ませている気持ちになる。

 

[14-03-2010] Greetings to Bob Dylan

3月11日ボブ・ディラン追加公演、大阪に日帰りで行って来た。
少し予想外な選曲?でMCも全くなくぶっ通しで17曲を演奏。聞いたこともないアレンジの”A Hard Rain’s A-Gonna Fall” 、にこにこしながらキーボードでインプロヴァイズするボブ・ディランの姿は可愛かった。それとリードギターのCharlie Sextonのディランに対する尊敬と愛に満ちた演奏に感激。声は枯れてもボブ・ディランの直進してくる「言葉のスピード」は全く変わることがない思った。

 

[05-03-2010] ブリ・コレクション

昨年参加したフランスBry-sur-Marneの現代ダゲレオタイプ展では、北海道で集中制作した”Flawless Lakes”シリーズから代表作が1点美術館買い上げとなり、コレクション(ブリ・コレクション)に入りました。

 

[01-03-2010] ダゲレオタイプ

今日<写真>とは、媒介するもの/mediumのことを指します。

複製技術時代の写真はそれに付与された暗示に拠って告発し、証拠づけ、動機づけるものです。
ネットワーク上やマス・メディア上で日々産出される膨大な量の映像、その中で特定の映像を芸術と称して特権化すること、私はその行為に疑問を抱きます。
圧倒的な量の複製物のただなかで、映像はそれぞれが媒介する意味によって相対化されますが、その差異とはじつのところ微々たるものです。
あらゆる醜悪さ、心を奪う美しさ、目新しさはフラットな映像の表面においていまや等しく陳腐であり、瞬時にして消費されていくのです。

ダゲレオタイプとは何か?それはメディウムではなく、運搬するもの/containerです。

複製不可能なダゲレオタイプの射程は極端に短いものです。
それはいわば<家族のための>写真です。見知らぬ他者や見知らぬ土地を知るためではなく、近しい人や土地を憶えておくための写真。あるいは写されたものが、私を忘れないで、と死後の時間=未来に向かって願い乞うための映像。
ダゲレオタイプの映像は現実と一対一の精巧なミニアチュールであり、それゆえ現実と等価の存在です。
また映像が完全な鏡面上にあり、映像を保持すると同時に観者を映し出すというダゲレオタイプの最も特筆すべき特徴、イメージがリフレクションとの重ね合わせによってのみ観察されうるという点によって、映像は観者との関係性のなかで常に新たに生み出されます。
銀の堅牢な肉体を持った船であるダゲレオタイプは、リフレクションの無限のうつろいの中を、未来の方へ進んで行く映像なのです。

 

[23-02-2010] 始まりのこと

なぜダゲレオタイプなのか?というような問いに、本当は上手く答えることができない。
作ることを動機づける思考はいくつも頭の中に散らばっていて、それらは互いには関係ないようにそれぞれの動機を支えている。でも、無関係に見える思考は下の方で必ず繋がっている。

・複製技術時代の映像の歴史は、初めから苦しみに満ちている。
“It’s sort of a basic historical given that the first film and the first photograph are somewhat terrible things. They’re not love stories, they’re anxieties.” – Pedro Costa
ペドロ・コスタが言うように最初に新聞に掲げられた写真はパリ・コミューンの死体だった。無数に複製された写真は告発し、証拠付け、動機づける。

・プレ複製技術時代の写真とは、どんなものだったか?
はじまりは、窓 の写真だ。ニエプスの、ダゲールの、タルボットの窓。それらは、逸る気持ちを抑えて手早くセットしたカメラが捕らえた、最初の光だった。
それらの写真は美しいけれど、何も意味しない。なぜならそのとき、写真は何かを伝達するためのメディア(媒介物)ではなくて、それそのものが一次的に指向されたからだ。

・ダゲレオタイプの射程は短い。ダゲレオタイプはポートレイトや身近な街区をイメージにとどめておくために使われた。それは<家族のための>写真だ。見知らぬ他者を知るためではなく、近しい<家族>を憶えておくための、写真。あるいは写された人が、私を忘れないで、と死後の時間に向かって願い乞うための写真。

 

[21-02-2010] 鳥の巣を見つけること

今日は撮りおろし作品のため三浦半島の古道へ、水源地から歩きはじめる。
どこを歩いていても、水仙の浮き立つようなにおいが空気にうっすらと混じる。半月まえに来た時とは違って、今日の森は、リスやコゲラ、ウソ、キジ、ヒヨドリといった小さな生きものの気配でざわついている。時々、篠竹の間から子連れのコジュケイが走り出てくる。

・鳥の巣や宿り木、ウイルスに侵された樹木の病巣、なぜそれらを、それとして認識できるのか?(それらは樹木と同一の組織で形作られているにも関わらず)
・ 風に揺れるランダムな葉群のなかから、なぜ鳥を見つけることができるのか?

 

[16-02-2010] Pedro Costa

引用元 Rwanda Project Feb.15.2010
https://rwandaproject.wordpress.com

「多くの人々が目にした最初の写真は、新聞に掲載されたもので、パリ・コミューンの死体でした。そこに参加した人々の死体を撮ったものだったのです。もうおわかりになるかもしれませんが、私たちが目にした最初の映画は、(工場という)牢獄から出てくる人々を撮影したものであり、新聞に印刷された最初の写真というのは、世界を変えようとした人々の死体だったのです。このことは、映画や写真、ドキュメンタリーやフィクションについて語るためのリアリスト的な基礎知識ではないかと思います。ある種の基本的な歴史データですが、最初の映画と最初の写真は、むごたらしいものだったのです。愛の物語ではなく、不安がそこにはあった。そして、誰かが機械を手にして世界を省察し、思考し、問い直そうとしたのです。私にとって、映画や写真、今日ではヴィデオを作ろうとする、いま述べた欲望に基づいた行為には、非常に強い何か、「忘れてはならない」と主張し続けるものがあります。最初の行為、最初の映画、最初の写真、最初の愛。こうしたものが最も強く、私たちが忘れることのないものであり続けるのです」
—ペドロ・コスタ

 

[14-02-2010] 藤井雷 “Round Scape”

横浜美術館アーティスト・イン・ミュージアム(AIMY)で一緒だった藤井雷の新作展が馬車道YCCで開催されている。
今回の展示は、横浜-仁川の交流事業として、仁川に新設された大規模レジデンス施設に藤井雷が滞在し、そこで制作された40数点の色紙と多数の絵手紙、一点の絵巻という構成。

色紙のシリーズでは横浜と仁川の景色、そして南北国境付近の原野がシームレスに接続され、終わりも始まりもない一個の円環として描かれている。連続した風景は、実は不連続な時間経過を含みながら、かなり激しく移ろって行く。世界が反転するようなぞっとする瞬間が訪れ、夜が到来する。影のなかの浮かび上がりも沈みもしない不透明な色彩、そのあとの茫然自失の景色、そこから先へ進めず、戻ることもできない旅の果て。ひとつの環としての旅、それでも帰ってくるのは決して同じ景色に、ではない。旅から戻ったのは、決して同じ男ではない。
絵巻の方は、公園にくり返し流れるラジオ、高校生の太鼓の音、そうした反復される景色を「思い出すために」描いた、と言っていた。端から追って行くと、地とパターン(または二種のパターン?)が浮上と潜伏を繰り返して見える。フラットな塗りの織物。

 

[25-01-2010] 先週のこと

先週一週間は『ラジカセのデザイン! 』(青幻舎MOGURA BOOKS)の出版打ち上げ、翌日は次の本の表紙撮影など。その後も仕事の撮影がつづく。
木曜の夕方時間がぽっかりあいたので、イメージフォーラムで映画を三本観る。
タル・ベーラ『倫敦から来た男』、それからマヤ・デレンのドキュメンタリー映画と、マヤ・デレン作品の特集上映。

 

[19-01-2010] 無題

半年も使ってないというホンダのスクーターを、友人から譲り受ける。

バイクには触ったこともなかったのでしばらく海辺で練習したのち、ややふらつきながら夕暮れどきの横須賀街道を北へ(でもこれ、最高60キロしか出ないのね)。いったんスタジオで身体をあたためてから川崎へ帰路。

 

[17-01-2010] Performing monkey on the road

昨日の夕方、吉祥寺で久しぶりに会う友だちと待ち合わせて、山本篤さんの『命とエンターテイメント2』を観に行く。

昨日は弟さんのドラム演奏と映像を組み合わせたパフォーマンスで、狭い部屋でドラムの打撃を受けながら自分が体験していることに集中するのは無理だったが、演奏に参加させてもらったりして楽しかった。弟はあまり顔が似てない。

山本篤の映像は夜の画が多く、その印象は妙な静謐さに満たされている。<何か>を演じる本人の、密かな息づかいや身体がものに衝突したり擦れたりする音が、火花のように散っては闇に吸い込まれていく。作品に出てくる本人たちが大変そう=身体をすり減らしているにも関わらず、その映像はごく透明で夜と解け合ってしまい、夜明けとともに跡形もなく消えてしまうだろう。そんな風に実体のない幻のような感じが多かった、でも昨日の映像には凄い生々しさを感じた。(たとえば、野菜を箱詰めしているシーンで、山本が「うわあ、すごい野菜だ・・」と言っているところ。そういう私たちの優しさと嘘。)
自分自身に猿回しの猿であることを課す彼が記録しようとしているのは、「狂気」なんかではなく(そういうのは都合の良いレトリックで本当に狂ってたら作品なんか作れない)、映像が捉えうるむき出しの現実と本人にとっての現実性であって、そのために必要な、無意味な運動の反復=自意識を透明にしていく営み、なんじゃないかと思った。

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