いま〈前衛〉であるために──表現者は守られるべきか

同人誌『小さな雑誌』緊急寄稿文

いま〈前衛〉であるために──表現者は守られるべきか

新井卓

 

去年の六月、東京のゲーテ・インスティテュート・ジャパンで「1968年─転換のとき:抵抗のアクチュアリティについて」を観た。とりわけ印象に残ったゲルド・コンラッド(Gerd Conradt)『Farbtest – Die rote Fahne(カラーテスト─赤い旗)』(一九六八)、岩田信市『THE WALKING MAN』(一九六九)のほか、ゼロ次元のパフォーマンスを記録した映像、加藤好弘『バラモン』(一九七一〜一九七六)があった。

かつて、愛知県警に守られゼロ次元による路上全裸パフォーマンスが行われた名古屋で、五年前、鷹野隆大氏のヌード写真作品が刑法一七五条(わいせつ物頒布等の罪)に問われ、警察から撤去を命令される事件が起きた。愛知県美術館「これからの写真」展(二〇一四)には、わたしを入れて九名の作家が参加していた。事件の第一報を受けて参加作家たちに連絡し、共同で声明を発表し抗議活動を行うべきではないか、と提案した。ところが鷹野氏のほか一、二名を除いて反応がなかったため、やむなく一人でネット署名活動を立ち上げることにした。

刑法一七五条は「物頒布等の罪」だから、罪に問われるのは作家ではなく、展示を行った愛知県美術館学芸員ということになる。そのため鷹野氏は写真の一部を薄紙で覆い、明治三十四(一九〇一)年の「腰巻き事件」を想起させることで、彼なりの批判を表明した。署名サイトChange.org運営陣の協力もあって最終的に八千五百四十四筆の反対署名が集まり、九月一日に愛知県警保安課と面談、提出した。結局警察は通達を撤回せず状況は改善されなかったが、わたしにとってこの出来事は、表現という行為が本来孕む緊張と多義性について考える契機になった。

先般のあいちトリエンナーレ「表現の不自由展」(二〇一九)中止の理由が、公式には「安全上の理由」だったことに注目したい。二〇一二年、ニコン・サロンが安世鴻氏の慰安婦写真展を「安全性の確保」を理由に中止したこと、愛知県警に署名提出した際、保安課長がわたしの質問に対して「ああいった類いの図像が世の中に蔓延している。若年者の健全な育成のために右/左ははっきりさせなければ・・・・・・」と述べたことには、おそらく共通の枠組みが存在する。前者二例がおそらく観客の安全について述べていることと、愛知県警が市民の「健全さ」に言及することは、一見すると意味が異なっているかもしれない。しかし、どちらの場合も社会の「安心・安全」に対する脅威、あるいは火種として芸術表現が扱われ、理解されている点については同様である。そして誤解を恐れずに言えば、その理解は部分的に正しいといってよい。

このところ頻繁に耳にするようになった「安心・安全」という言葉が国会ではじめて使われたのは、国会会議録検索システムによれば一九八二年、中曽根康弘首相(当時)による答弁だという。同システムの「安心・安全」の単語ヒット数は、その後、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が発生した九五年、自公連立政権が成立した九九年、アメリカ同時多発テロの翌年二〇〇二年に、それぞれほぼ倍増している。医療・福祉に、また国家安全保障について語る際に使用されてきたこの言葉は、いまや日常の様々な場面で多用されるようになった。

本来「不安はあるが安全」であればリスクは少ないと評価されるはずが、常にペアで使用される「安心・安全」の語は「不安」も「危険」と同様に社会から排除されるべき、という政治的態度を表明している。こうして日本の政治家、行政と市民は「安心・安全」の名のもと排除されるべき「不安」の領域に、知的障がいをもつ人々や、移民、日雇労働者、路上生活者たち、そして時に負の記憶を呼び覚ます様々な事件の当事者たちを囲い込み、マジョリティの公共圏から巧妙に隔離していったのである (1)。過剰なほどに生政治(Biopolitics)が浸透した日本という国において「不安」の領域には、いまや「政治的な」言動や種々のアクティビズムに関わる人々も含まれつつある。「これからの写真」展の鷹野作品や「表現の不自由展」、あるいは女性器を象ったろくでなし子作品に対するネット上の反応は──ほとんどが作品の「質」や内容、あるいは作家の人格・来歴を攻撃する稚拙な書き込みにすぎない──公共圏に出現した「不安」因子に対するアレルギー反応と見える。

わたしは「表現者は守られるべき」とは決して思わない。なぜなら「守られるべき表現」などというものの規定は存在せず、もしそれが存在するとすればそれもまた、「安心・安全」のイデオロギーを利用した統治の一局面にすぎないからだ。社会から「不安」を排除することなどできるはずもなく、また「不安」が人類が生存のために培ってきた「危機の意識」の必要条件なのだとすれば、そもそもそれは排除されるべきものですらない。「不安」が「危険」と意図的に混同され、社会悪として排除されつつある日本という国で、表現者たちは権威や世論に守られるのではなく、ひとりづつ、しかし手を取り合って共闘しなければならない。その態度こそが、これまで〈前衛〉と呼ばれた芸術運動を前衛たらしめた、基本的姿勢に他ならない。

公共空間における裸体や落書き(グラフィティ)、そのほかあらゆるエロ、グロ、ナンセンス、ショック、ギャグ、そして「政治的な」ふるまい──日本社会におけるタブー、蛮行(Vandalism)とされるそれら表現は、なぜ社会に、公共圏に必要なのか?わたしの答えはいたって明確である。わたしたちは、わたしたちを支配する種々のシステムに対する抵抗力を維持しつづけるため、野蛮な要素(狂気、暴力、病、からかい(Mischief)といった、分かちがたい人間性の一部分)を、前もって見ておく必要があるからだ。柄谷行人は「デモというものができるということを表すために、デモをする」(1)と述べたが、それは、行動する能力を有することと、実際に行動すること、の隔たりが、思った以上に大きいことを意味している。もはや地下鉄や街区で見知らぬ人に声をかけることすら蛮行とみなされる日本の大都市で (3)、路上を含む公共の場における、前衛的表現の必要性は差し迫って明らかである。

(1) 西澤晃彦『貧者の領域──誰が排除されているのか』河出書房新社、2010年。
(2) 柄谷行人公式ウェブサイト『反原発デモが日本を変える』https://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-64.html
(3) 弁護士ドットコム:「声かけ 迷惑防止条例」の法律相談 https://www.bengo4.com/other/1146/1289/bbs/声かけ+迷惑防止条例/

Comments are closed, but trackbacks and pingbacks are open.