2021年1月7日, 侵食された形(小菊のフォトグラム), 川崎
不意に目にしたアメリカの映像に、涙が出る。それは議会に乱入した人々をとらえた一枚の写真なのだが、画面のはずれに一人の女がいて、唇をとがらせて何かを叫んでいる顔が奇怪な鳥のようにみえ──どうしてそんな姿になってしまったのか──恐ろしくも、どこか既視感のある映像(それは敗戦直後のドイツの写真で見た他の誰かだったのか……思いだせない)にも思えるのだった。
TwitterやFacebookやInstagramやそのほかのソシアル・ネットワークはもうすぐ時代遅れになる、というよりむしろ時代遅れにしなければならない。それらの道具は、今世界をおおう静けさに耳を傾ける機会を──それは近代以降はじめて、わたしたちに訪れた好機だったのだが──すっかり台なしにしてしまった。
すべての人々、想像もできないほど遠い人々とおなじ脅威を生きる今日、本当に話しかけるべき人は実は少ないのだと、みな気づいたはずだった。電話せよ(Facetimeせよ/Skypeせよ/Zoomせよ)──その人々に。顔のまわりから目移りと喧騒を取りのぞいて、寂しさのなかに自分の姿を見よ。
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