十代の肖像のシリーズ「明日の歴史」は、2015年、LACMAで掛かっていた「New Objectivity: Modern German Art in the Weimar Republic, 1919–1933」展で見た、一枚のテンペラ画から始まった。クルト・ギュンターによってヴァイマル時代、とりわけ1928年という不穏と希望が混淆する年に描かれたという、この少年の画が、オットー・ディックスの圧倒的な仕事から少し離れた場所で、強烈に意識に焼き付いている。グロテスクなまでに大きく澄んだまなざしと固い防御の姿勢に引き裂かれて、タロットの絵札に見るような象徴性と正面性を帯びるこの少年像に、わたしたちは、起こりうる未来(わたしたちにとっての過去であるところの)を見いだそうとする。エニグマティックなニットの模様。ヴィトゲンシュタインが「眼が何かを表しているのではなく、見る者が眼に意味づけしているのだ」(『断片』)と言ったように、とりわけ、わたしたちは時代の感情──もはやそれが架空のもの、幻想に過ぎないとしても──が少年の眼から放射されているかのように、見ようとする。
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