December 2003

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[12月31日(水)/2003] 灰色 久しぶりにまとまったプリント作業をする。プリントにはある程度明確な戦略が存在するので、きちんと思考すれば大抵上手くいく。以前は単純にD-Max(最大黒)を基準に考えていたのだが、これからはもっとグレー部分を重視しよう。印画紙上のハイライトとシャドウは破裂したまま文字のように死に絶えていて(だからこそそれらが必要なのだが)、グレイの繊細な階調が、あらゆる感情と静かな注視の可能性を孕んでいる。   [12月27日(土)/2003] 無題 マクロ機能付きの35-70mmバリオゾナー。現在構想している「記憶地図」(本当は「記憶」と書きたくない。あたらしい体験に対して、まったく別の名を発明しなければならない)を描き始めるために、手に入れる必要を漠然と感じていたからだ。 – – – 塩の城のように硬質に輝く雲を窓外に眺めながら(窓があるというのはいい。windowの語源はvindauga、風の眼という意味だ、と知った)、二月までにしなくてはならない仕事を書き出す。   [12月25日(木)/2003] Maison de Hermes U、Kとともに、銀座で杉本博司「歴史の歴史」展を見る。『海景』シリーズは揺るぎないシンプルさで、心静かに作品の前に佇むことができる。しかし、思わせぶりなオブジェは完全に場から浮いており陳腐。 古美術の女神像、掛け軸なども展示されているが、その存在感が写真とオブジェの陳腐さのおかげで際だつ結果になっており(特に『時間の矢』でフレームに使用された火焔宝珠形舎利容器残欠の火焔の造形が圧倒的に力強く、中央の写真が落ちくぼんで見える)、作家の意図に添った結果になっているかどうか、疑問に思う。大型カメラで、肖像画や博物館の展示をモノクロ写真に変換したときに生じる「生っぽさ」は面白い。 – – – 有楽町でタイ料理を食べ、Kからいろいろ『Aria』に関する批評を聞く。いずれにしても、あの作品を一度頭から消去して、はじめから別個のものを作ることになるだろう。そうでないと面白くない(作業も、出来上がってくる作品も)。   [12月22日(月)/2003] SOLSTICE 一年で最もか細い陽の光を求めて、F..から神宮前まで歩く。今日は「色」(表面の色彩ではなくて、空気を透かした光の組成みたいなもの。上手く言えない。)が良く見える気がしたので、微粒子のエクタクロームを使う。仕事以外でカラー・フィルムを使うのは春以来。 指先のふるえと瞬き、淀みないステップの中だけ、そこだけで生きている。作品だけに語らせることができ、それ以外の方法で誰にも知らせる(でも何のために?)ことはできないのだ。     [12月21日(日)/2003] 検証 映画『Aria』上映会とシンポジウムが終了。ファイナル・カットは、完成形からは程遠い代物になってしまった。当初から意図していたプランが幾つも抜け落ち、作品内部の緊張関係に綻びが生じている。いずれにしても、もう一度初めから編集その他を検証し直さなくてはならない。 上映後、写真に関していくつかの暖かいコメントをいただく。二年間の必死の移動が伝わったことはとても嬉しい。 シンポジウムは、問題点があからさまに露呈する結果になった。対話と言いながら私の発表は独善的だった。 寡黙な方向へ、という吉増剛造さんの短い言葉を、鏃のように胸に抱いて、すぐに次へ向かおう。   [12月14日(日)/2003] 無題 風邪の兆候が出ているのに、不思議なことに身体はいつもより軽快。夜明け前、Uと共にS..池の撮影。 – – – 楊先生から電話、近藤春恵先生からメールをいただく。20日の上映会に来ていただけるらしい。背筋がいっそう伸びる。 – – – シンポジウムでは何を語り、何を伝えるべきか。わたしは研究者でも評論家でもないので、シンプルな言葉で話すしかない。どうすれば熱を伝えられるか、対話のための発話ができるだろうか。   [12月3日(水)/2003] ひとり遊び ひどい頭痛、昼過ぎまで寝込む(二日酔いではない)。外は私の好きな冬の薄曇りで、寒そう。表に飛び出したい衝動を抑えつつ、ひたすら案内状の宛名書きを進める。指を使って字を書くのは官能的な作業。   [11月29日(土)/2003] November steps 雨で道は水浸しだが、気分は浮き足立っている。 – – – KWMR夫妻がカブールから一年ぶりに帰国したので、新宿まで会いに行く。TWR夫妻と講談社のSHMさん、KIDさんにもお会いする。KWMR夫妻は現地でカブール大で教え、識字率の上昇に寄与すると共に、アフガニスタン文学復興(?)のための新しいメディアを作ろうとしている。アフガン周辺では今でも、詩が日常レベルまで幅広く定着しているらしい。いずれ現代アフガン詩の邦訳を手にすることが出来たら素敵だ。 とにかく二人が無事だったのでほっとする(二人はミサイルを発射する攻撃ヘリを眺めながら、庭で歯を磨いていたらしい)。   [11月27日(木)/2003] 三日分 多忙というのも麻薬みたいなものだ。痺れが徐々に拡がり、無感覚が可能性を去勢する。 – – – 昨日は矢崎監督に同行して、徳田秋声邸のロケハン。わたしは映像の合間で使うポートレイトを撮影することになっている。本郷の大学を突っ切ってすすむ道、石造りのファサードが美しい。階段の壊れた石積みの隙間で、アロエが光を浴びて幸福そうにしている。確かにこの場所なら勉強したくなるかな。 – – – 『Aria』の案内が刷り上がる。色校の費用をけちったために、本機刷りで銀のインキが思うように乗っていない。ダゲレオタイプみたいに、光の具合によって字が読めたり読めなかったりする。Uと持って帰る道中、疲れが倍増。 – – – クメール美術のカタログばかり、毎日何度も眺めている。ジャヤヴァルマン7世像の頭部が、息がとまるほど美しい。私たちはこの顔にたどり着かなくてはならない、ギリシアの頭部ではなしに。そう考えるのは素敵なことかも。 – –…