February 2019

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いずれの場合にも、賭されているのは、見てのとおり、縁取りと開かれの関係、眼窩と穴の関係である。何ものかが眼差しのまわりにまとわりついている。タブローが形象のまわりに組織化される、というだけでは十分ではない。さらに、この形象がその眼差しのまわりに──その幻視(ヴィジョン)、その千里眼(ヴォワイヤンス)のまわりに組織化されるのでなければならない。眼差しには何が見えているのか、眼差しが見ている、もしくはまなざしているはずのものとは何か。これこそがもちろん問題の核心である。 ジャン=リュック・ナンシー『肖像の眼差し』岡田温史・長友文史=訳, 人文書院, 2004. 唯一の相違は、他の人たちがはっきりしないまぼろしに満足するのに対し──私はいつも顔全体を見たいのです。 カール・シュピッテラー「イマーゴー」『ノーベル賞文学全集3』主婦の友社, 1972. だれしも生きている者を彫刻したいと思う、しかし生きている者のなかで彼を生かしめているものは、疑いもなく、そのまなざしなのだ。 矢内原伊作・宇佐美英治=編訳『ジャコメッティ 私の現実』みすず書房, 1976, p.132        

Apocalypse: Then and Now

Apocalypse: Then and Now Curated by Dr. Thalia Vrachopoulos February 13, 2019 – April 5, 2019 Opening Reception: February 13, 2019, 5:30 – 8:00 PM The Anya and Andrew Shiva Gallery, John Jay College of Criminal Justice 860 11th Avenue, New York, NY 10019 Following text is quoted from the official press release: The exhibition “Apocalypse: Then and Now” reflects sinister omens for the future as seen in our daily life and …

百の太陽を探して 北アメリカ(十)カボチャの名前(前編) 新井卓   (丸木美術館学芸員・岡村幸宣さんの同人誌『小さな雑誌』No.85掲載原稿より転載) ──一発の原子爆弾で街が見渡すかぎりの焦土と化した翌年、広島では、カボチャが不思議によく採れたのだという。 敗戦間際、アメリカ最新鋭の爆撃機・B29は、ときおり不可解な小数行動をとることがあった。おおかたは偵察と思われたが、まれに、凄まじい威力の爆弾を一発だけ、投下することがあった。 敗戦の前日、八月一四日に春日井に落とされた爆弾について調査していた市民団体は、米軍の出撃記録に当日のデータがないことに気づく。それは、マンハッタンプロジェクトの一環として、