連載/続「百の太陽を探して」#13

百の太陽を探して
福島(二)近づくこと、遠ざかること/中編
新井卓

(丸木美術館学芸員・岡村幸宣さんの同人誌『小さな雑誌』No.89掲載原稿より転載)、加筆修正箇所あり(2020/12/7)

二〇十五年四月下旬、海上から福島第一原子力発電所を撮る計画がいよいよ現実となった。都内のレンタル機材屋で一〇〇〇ミリの大砲のような望遠レンズを借りて、ふたたび常磐道を福島方面へ。定宿の農家民宿「森のふるさと」に到着した四月二十三日、相双地域は風もなくうららかに晴れまどろむような春の陽気に溢れていた。夜明け前から活動する明日に備えて、その日は森さん夫婦との晩酌もそこそこに、早々に寝床に就いた。

翌朝薄明、松川浦着。四月下旬とはいえ早朝の空気は冷たく、昨日よりいくらか風も出ている。普段なら帰港する漁船で賑わう波止場は、原発事故後の出漁停止のためひっそりとしており、数人の漁師たちが船の手入れをしたり、護岸で網の片付けをするばかりだった。水平線の際が薔薇色に染まるころ、新地町の演歌歌手・石田武芳さんが軽自動車で現れ、そのまま護岸を走って石田さん所有の釣り船まで案内してくれた。
「本当は昨日だったら最高だったんだけど。午後は風が出るから、午前中が勝負だね」石田さんはそう言い、慣れた手つきで舫い綱を解くと、エンジンを始動し防波堤の外まで静かに釣り船を滑らせた。松川浦から福島第一原発沖まではおよそ四十キロ、きょうは波が高いので一時間半程はかかるという。外洋に出た途端釣り船は上下に大きく揺れ、時折やってくる大きなうねりを避けながら右へ、左へ舵を切って進む。エンジンと波の振動にようやく身体が慣れはじめたころ、視界の向こうに原発らしきシルエットが見え始めた。と同時に海上保安庁の巡視艇が左舷に近づき、石田さんの携帯電話が鳴った。巡視艇からの電話だった。きょう、届け出に従って監視にあたるという。海保の余計な仕事をひとつ増やしてしまった私たちだったが、小波にも動じないその白い船影が頼もしく思えて仕方がなかった。

さらに原発へ近づく。ガイガーカウンターの数値は毎時〇.〇二マイクロシーベルト付近を上下し、水の遮蔽効果によって海上の空間線量は地上の十分の一に満たない。やがていくつもの建屋がはっきりと姿を現すと、それまで演歌を口ずさんでいた石田さんは「なんだ、クソッタレ」と吐き捨てるように言い、咥えていたタバコを荒々しく揉み消した。「作業船が近くを通るとすごく揺れるから。落ちるんじゃないよ。」との注意を受けながら、舷側にひざまずいて望遠レンズを構えた。ところが、ただでさえ姿勢を保つのが難しい波の上で、一〇〇〇ミリの大砲レンズはピントはおろか視野すら外れまくり、まるで役に立たない。さらに一艘の運搬船が近くを全速力で通り過ぎ、余波をまともに食らって、機材と一緒に危うく水中へ放り出されるところだった。そのとき慌ててカメラと三脚にしがみついたため、ファインダーでしこたま眼窩を打ってマンガのような丸い痣を作ってしまった。

「もっと近づいてやろうか」という石田さんの勧めに従って、護岸から二〇〇メートルほどの距離から、もっと小さなレンズで撮りはじめる。
今度は私の携帯電話が鳴った。知らない番号からで、出てみるとなにかひどく遠い音で、東京電力の保安部ですが──という声が聞こえた。

(つづく)

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