2008年【抜粋/修正版】

[27-08-2008] miles away

昨日、成田で一人の人を見送る。

展望デッキからは、さまざまなマークを背負った飛行機たちが国際線の滑走路から飛び立っては、離陸姿勢のまま、つぎつぎに低く垂れ込めた雲の中に溶けて消えて行くのが見える。やがて友人の乗った機体も、灰色の矢のように唐突に速力を上げ、あっという間にニュートラル・ホワイトのもやの向こうへ、音もなく吸い込まれていった。フェンスから身を離しながら、旅の安全を祈る。
見送るときはいつも、たとえ短い別れであっても、地に根が生え一本の灌木になったような気持ちになるものだ。(送迎デッキのフェンスに思い思いの格好で身体を寄せる、たくさんの灌木たち。)

空港をあちこち見て回ってから(空港の出発ロビーはとても好き)、車を東へ走らせ九十九里へ。
友人のMYと一緒に、生まれて初めてサーフィンをやる。ウェットスーツに着替えると二人とも群れからはぐれたオットセイみたい。でも指導してくれた方の教え方が完璧だったので、2時間くらいでなんとかボードの上に立って進めるようになった。
立ち上がって足下を見ると、自分の身体と一緒にエメラルド色の波の泡立ちが幾重にも折り重なって進んで行くのがスローモーションで見える、これは本当にすごい感覚だ!

 

[14-08-2008] 解の方程式

今日は朝から父の実家へ帰省。

畑で今朝採れた野菜の天ぷら、ひやむぎ、煮物、漬ものなどが食卓に並ぶ。
祖父も祖母も少し痩せたように見えた、夏の軽装のせいだろうか。高一になる従姉妹が数学の宿題を持っていたので家庭教師の真似をしてみる、二次関数の「解の方程式」をそっくり忘れていてショックを受ける。
祖母がゴーヤを収穫に行くので後をついて戸外にさまよい出ると、ねっとりとした雨後の大気に、名前の判らない房状の花や、草の葉の甘い香気が充満している。
五つか六つのころ、わたしはこの家が大好きで、ほとんど永遠とも思えた数週間の間、祖父母や、まだ生きていた曽祖母に囲まれて王のように過ごしていた。スーパーカブのうしろに便乗して灯籠流しを見に行ったり、弟とともにトラクターの荷台に乗り、谷津の田んぼにドジョウや、なぜか迷い込んでいたブラックバス(その後、そいつはわたしの部屋の水槽で他の魚を次々に飲み込みながら、ずいぶん長い間生きた)を捕まえに出かけたものだ。
今日、祖父にはビールを少し勧め過ぎてしまった、すこし足許が危なっかしかった、思わず肩を支えてから不意に、最後に祖父の身体に触れたのはいつだったかなあ、と考えていた。

 

[12-08-2008] Ari Marcopoulos

昨日の夜は、GALLERY WHITE ROOMでAri Marcopoulosの展示を観てきた。展示の点数は少なかったけどゼロックス・コピーを使用した写真集が良い。自分の生のぴったりしたところで撮ることの強度と持続性。(同時に展示していた日本人作家のふやけた作品とは対照的だ)

 

[11-08-2008] olive-green mine

今日は一日家で仕事をしていた。
一時陽が翳ったので何気なくアトリエから窓の外に目をやると、すぐ傍の電線に視線が向き、なにやらよく見えぬまま、よろこばしい気持ちがおこってきた。次いでそれが電線の碍子に留まった一匹のウグイスであることがわかり、さらによく見るとそれが実はウグイスではなく、ただの薄黄色いスポンジ状の部品であることがわかった。
よろこばしい感情はウグイス=名前/意味以前の体験であったのに、それはなぜもたらされたのか?単に視野の中の黄緑色のしみであったそれが名前/意味なしに感情を呼び覚ますなら、本当はどのようなヴィジョンも、ダイレクトになにがしかの感情を生起させ得る(でも現実を覆いつくす意味のヴェイルを振りほどくのは簡単ではない)。問題は、<黄緑の丸みを帯びたしみ>に対する感情が経験(春の諸感覚に縁取られたウグイス体験)によってもたらされるのか、もしくはウグイスの形態そのものがよろこばしい感情のひな形としてあるのか、ということ。

 

[09-08-2008] Country of Last Things

平日は建築雑誌、美術館ほか依頼撮影数件、写真を見に大学の後輩で春秋社のK君来訪。
木曜はコチャエの二人とラジカセコレクターの松崎さんの仕事場(縄張り)を見学(松崎さんは廃品置き場などから入手したラジカセやテレビを自分で分解修理し、ネット上で販売している方。今度本を出されるのでその写真を担当することになった)。首都圏某所の廃物集積所に案内していただいたのだが、すごい場所だった。
まず廃家電や廃線、ゴミが一緒くたになった山が重機で掻き分けられ、同系のモノが選別されて山積みされていく。これらは全て圧縮されてゴミとしてコンテナに積み込まれ、そのまま横浜港から中国へ輸送される。そののち銅線や使えそうなモーター、エンジン類などに腑分けされマーケットで売り捌かれることになる。
ジャンクヤードのむき出しの即物性には、強烈な視覚的エクスタシーがある。そこにうずたかく積まれているのは、広告的イメージによって輪郭を曖昧にされた「商品」ではなく、マテリアルとマッスのみによってのみ価値を見いだし得る生粋の「モノ」だ。価値や意味を付与するのは探索する人本人であり、こうして廃品の山を歩きながら使えそうなモノの発見に意識を集中するとき、付加価値のまやかしに満ちた生活の中で見えなくなった、モノに対する主体性が復活する。

ところでコンテナに入る前のモノは自由に見て回って良く、何か気に入ったものがあれば現場をうろうろしているウェストポーチの中国人と値段交渉して購入してもよい。敷地の片隅に細長いアルミトランクが転がっていて、直感的にこれはと思い開けてみると、プロペットの大型ストロボが入っていた。電源を入れるとちゃんと発光するしモデリングもチューブもまだそんなに古くない。松崎さんがウェストポーチのところへ行って交渉してくれ(独特の身振りと発声)、めでたく数千円で購入。

そこにあるのは、いままでなかった新しい何かです。正体不明の物質から成る小塊です。それは一個のかけら、切れ端、おのれの場を持たない世界の一点です。それは物のモノ性を示すゼロ記号です。何かが十全な姿のまま見つかることを期待してはいけませんが、・・・完全に使い尽くされたものを探すのに時間を費やしても仕方ないのです。物拾い人はその中間をさまようのであり、有用性はもはやなくなっていても元の形をどこかにかろうじてとどめている物たちを探してまわるのです。(ポール・オースター『最後の物たちの国で』柴田元幸=訳)

 

[12-07-2008] 母系

月曜日、活版印刷をつかってデザインをする澤辺由記子さんと港千尋さんの対談を聴くため、青山のBook246へ。
港さんが撮影した、現役の活版印刷所の写真を見ながら二人の対話を聞く。活字を工場の入り口に、母系から活字を鋳造するための金属が山積みされている。
かつて、文字には重さと体温があった。
銀の鏡文字の群れが、白い原野に次々に到着していた、ただ一つの組み合わせ、二度と起りえない必然性の雨として。

 

[08-07-2008] 無題

週末は友だちの結婚式に参列。
早めに着いてダゲレオタイプ・プレートを準備、ハレの衣装に身を包んだ新郎新婦を撮る。(結婚式って不思議だ、人々がそれぞれの遠さのなかで佇んでいる。会場の端から端までの、途方もない距離。)

翌日早朝、三次会のウィスキー・ソーダでよれよれになった身体に鞭打って起き出し水を浴びてから、ワークショップで使う銀板を磨く。磨きすすむうちに正気を取り戻し、少しずつ気持ちが澄んでくる。
天気が回復に向かっていてよかった、第三京浜を全速力で走って黄金町へ。
スライド・レクチャーの後、大岡川の桟橋で3分30秒の集合写真撮影。ベクレル現像を待つ間いろいろな方とお話する。今回はとても熱心な人が多く、嬉しかった。定着が完了し部屋を明るくした瞬間、歓声が上がる(この瞬間はいつも魔術師の気分だ)。
会場撤収の後、ボランティアのNRT君が働く韓国料理屋で打ち上げ、運転があるので飲めなくて残念だったけど。

 

[01-07-2008] 黄金町

黄金町では、何ひとつ手がかりや核心らしきものが掴めない。
何かが穴ぐらのなかで息を殺していて、その穴の入り口を、特徴のない白っぽいタイルで舗装しつつある、といったような・・・。 等間隔に配置された警察官、店名を掲げたまま灯を消し、奥に人の気配のする空き店舗。ここでは「アーティスト」が特権的な立場を付与されているようだ、赤い紐の名札を提げてさえいれば、裏路地で堂々と三脚を拡げていても、きょろきょろと見回しながら桜の葉陰を行ったり来たりしても、巡査や警備の人に咎められることはないし、自分も安心だという気持ちさえある。こんな場所は、他にはない。
うまく言えないけれど、本当に変な感じだ、とてもやりにくい。心の中でどうしても消化しきれない感覚が、カメラを構える度に増殖していく気がする。この気持ちわるさに、慣れないこと。

 

[30-06-2008] Let it come down

今日予定していた撮影が雨で流れてしまったので、一日ダゲレオタイプ関連の作業にあてる。
改良型のヨウ化暗箱の設計と資材調達、文献リサーチ、ドキュメント作成など。

 

[24-06-2008] 夜と夜のあいだ

二晩暗室に引きこもってプリント、陽のある時間は部屋の色々な隙間に散らばっていたコンタクトシートとネガの整理に費やす。

コンタクトの山はおよそ二年分に渡っていて、もうすっかり順序が分からなくなっているのを、フィルムの巻き終わりが次のシーンの始まりと重なっていたり、見覚えのある場所やフラッシュバックのように甦ってひりつく時々の感情を頼りに、時間順に積み重ねていく。しかし、そうやってたどたどしく時空の断片を糊付けしたとしても、時制の中で脱臼した記憶があるべき場所に収まっていく、という感覚は少しも湧いてこない。
何かを忘れてしまうことへの灼けるような怖れから、写真を撮る。でも決して写真は<記憶>の媒体ではない、その矛盾の裂け目。

 

[13-06-2008] 夢

昨晩、夢を視た。

深夜不意に目が醒めぼんやりと天井を見つめていると、部屋の襖のへりが心持ちほころんで来るように感じられ、さらに見つめるうち、右側の頭の中でブラウン管の鳴動のような、微かな耳鳴りがし始めた。襖の枠は次第に禍々しい様相を呈し、耳鳴りはなめらかに急速にボリュームを上げていき、ついに耳をつんざくほどの凄まじい大音響になって、そのときにはすでに全身が硬直し動けなくなっていた。(これが金縛りというやつか、と思いながらわたしの脇の下に転がっている猫を意識すると、腹をまる出しで安らかに眠っているらしい)

恐ろしさに震えながらも気持ちを強く持つようにし、いちおう魔除けになりそうな文句を唱えていると、やがて金縛り状態から抜け小康状態になった。
しかしすぐにまた二度目の耳鳴りと身体の痺れが戻って来、今度はさらに異様な視覚体験が追加されていた。左目で視たものと右目で視たものが時間的に同期していないのだ。どちらかの目が視ている像に、もう片方の目が視た像、しかも時間軸のずれた直前または直後の像がオーバーラップして来るため、まるで二重露光の映画(そんなものあるのだろうか?)の中に投げ込まれたような感覚だった(友だちがソファから立ち上がり、手を伸ばす、そのとき半透明の友だちがソファから立ち上がる、という具合に・・・この時は友人たちの歩く姿や暗闇の中の自分の顔の映像を見ていたので、半ば夢の影像だったのかもしれない)。これは本当に困ったことになった、というのも、決して片方の像が「遅れて」いるのでは(あるいは「進んで」いるのでも)なく、身体の動かないこの状況で眼はわたしそのものであり、視覚が常にわたしの生のゼロ時間を規定しているので、どちらの眼がもたらす像もわたしにとって「いま」なのだから・・・

 

[11-06-2008] 藝大取手キャンパス

雨上がり、もう夏の陰影も濃い常磐道を通って東京藝大取手キャンパスへ。先端芸術表現科の鈴木ゼミに呼んでいただいて、ダゲレオタイプのレクチャーとワークショップを行う。
皆さんの反応が結構良かったので嬉しい、でもダゲレオタイプは中心部分に原因不明のもやが発生し霞がかかったような仕上がりになってしまい、かなり悔しい思いをする(実は去年もほぼ同じ日のWSで、全く同じ場所で撮影して同様の現象が起こった・・・何か場所の影響なんだろうか??)。これは絶対戻ってきて解決しないと寝起きが悪い、と思いつつ、柏ICへの裏道を教えてもらって帰路。農道を走る間、進む方向にずっと彩雲が出ていた。

 

[26-05-2008] うねること

先週は山梨、早稲田、横浜、そして守谷へ。

早稲田では鈴木龍一郎さんのスライドレクチャーとトークを聴講。最近写真集『Odyssey』と『Druk』を立て続けに上梓、うねるような(と学生さんの一人が表現していた、ぴったりの言葉)旅の眼差しに、ゆったりとスウィングするように、見るものの身体が寄り添って行く。
マーテロ塔の高台から北へ優しくつづく弧線、ダブリンの岸辺、街のおしっこのようにわびしく注ぐリフィの河畔、僕も10年前、全く同じ歩行の軌跡を描いてそこを漂っていたのだった、(ガラスの向こうで眠るジョイスのデス・マスク、白い点線をひいた海水浴場へとつづく磯道、ちょうど鈴木さんの透明な身体に重ね合わさるようにして、撮った写真が、モノクロ・ネガの山のどこかに眠っている)。

土曜日は横浜でvoin pahoinの日、今回のアーティストは荒神明香さん。17才からの作品の遍歴、最近戻ったばかりのブラジルでの滞在制作の報告など。造花の花びらで偽のリフレクションを作り出す作品、着彩したトレーシングペーパーの小片をつなぎ合わせ、半透過の光の点滅を出現させる作品はすごい。

少々グロッキーになりつつvoin pahoinの二人(プラス便乗者)と守谷、アーカス・プロジェクトへ。雨後の腫れ上がったような強い緑の中、鬼怒川を辿って老人会のカラオケ大会を訪ねる。U君からかりたヴィデオが大活躍。リクエストで千の風になって、を歌う。
今年は大釜で蒸しまんじゅうを作り、それを近所の方々にお裾分けするプロジェクトを企画している。

 

[19-05-2008] virgin

土曜日は友人のMとタカシマヤで総菜を買い込み、近所の川で昼から飲む。ここ数年曜日感覚が溶解した生活を送っていたので、久々に湧いてくる休日の感覚がいとおしい。

川辺ではソフィア・コッポラの『ヴァージン・スーサイズ』みたいな4人組の女子高生たちと、男子高生の6人組が出会っていた。ふたつの恥ずかしそうな集団は近づいたり離れたりしながら、中国の少数民族のダンスみたいに、何か呼びかけ合ってどこへも行けずにいる。何だか、とてもきれいなものを見た。

 

[17-05-2008] 家と流浪

作品の搬出を終え、慌ただしく豊岡へ。雑誌の仕事で、コウノトリ保護区の撮影。

伊丹でプロペラ機に乗り継ぎ、山あいを墜落するように降り立つ。街区は昔の建築をそのまま活かしたたたずまいで、どこを歩いていても水路や川の気配が漂っている。青空に立ち並ぶ商店の破風の、切れそうな輪郭。異様な数の喫茶店、もはや骨董品と呼ぶべき店々の看板と、町の中心に唐突におかれたロータリーが、異次元的ドライヴ感をかき立てる。レンタルの日産で抑揚のない移動を続けていると、眼を開けたまま眠りへ引きずり込まれそうになる。

気づけばずっと、よくわからない漂泊を続けている。いま家でパソコンに向かっていても、どこかへ帰って来たという感覚は損なわれたままだ。
葉山の「家」滞在は面白かった、朝起きるとすぐに戸を開けて風を通し、全ての部屋と全ての廊下に箒をかけ、一日のうちに溜まった塵を勝手口から掃き出す。それから朝食をつくって食べ、路地におちた落ち葉をかき集める・・・そういう所作は別に誰に教わったものでもなく、家自身の代謝作用として寝起きするものの身体にプログラムされ、僕はほとんどオートマトンとして動き回ったに過ぎない。それは自分の家ではない。
まだ学生だった頃は「ここではないどこか別の場所へ」逃亡したくて、気違いみたいに旅に出たものだった(それも、いま考えれば本当の旅じゃないし、まわりから見たらそれほど気違いじみた行為でもなく、ただ何人かの人々を傷つけただけに過ぎない)。
でも、家なき流浪はない、そしてもう家なんてない、だから旅する必要はない。

 

[01-05-2008] Toward Lakes

葉山での個展、最初の一週間が終わる。

展示準備と会期の合間にも隙間無く仕事が入ったり来客があったり、眠りのない、異様な密度の日々。途中、中平卓馬さんがいきなり現れ(内藤君、ありがとう)、畳に寝転んでスライドを観たり、三盛楼のモナカをみんなで食べたりした。松島のダゲレオタイプに指でマルして、小声で凄いねとおっしゃったので泣きそうになる。

ようやく今日になって息をつき、海を見に行った。日が沈み、山の頂から水際まで乳白の均一な光に満たされた大気に、庭々のミニチュア・ローズやウツギ、街路のシイノキが放つねっとりとした夏の匂いが漂い出している。
湾は干潮を迎えていて、次第に強くなる海の体臭と共に、どこまでも降りて行くことができる。

 

[30-03-2008] 共在感覚

『談』no.81/特集「〈共に在る〉哲学」、今回のポートレイトは僕、Galleryは石川直樹さん(次号は逆バージョン)。表紙は勝本みつるさん。

内容は、ボンガンドのピグミーの「投擲的発話」、看護の現場での身体の「構え」、環境の中に拡散する心の所在、J.J.ギブソンなど。京都-大阪で佐藤さんに同行し、インタビューを聞きながらずっと疑問に思っていたこと・・・わたしたちの<個性>なんて本当にあるのか?わたしの心=わたしなんだろうか?・・・哲学を知らないのでうまく表現できないけれど、そういった問いに対して、いくつかの考え方のモデルがあることを知って、ものすごく救われた気持ちになった。
特に木村大治さんのピグミーのコミニュケーション研究はぞくぞくした。彼らにとって<わたし>の領域は個人の身体スケールを遥かに超えて、ボナンゴと呼ばれる超大音量の発話や、トーキング・ドラムの音の届く限り、ジャングルの果てまで及んでいて、そこに含まれる他者や森と共に境界なく存在しているのだ!
独立した個の集合が社会である、というのはどう考えても嘘にしか聞こえないので、それよりも中心も境界も包摂関係もない、一対一でもない心/身体の集合と、そこから生まれるうねりが社会だと考える方が気分がいい。

 

[18-03-2008] Contact daguerreotype

なかなか進まない課題、ダゲレオタイプへのフィルムポジ密着焼きの準備。
前回は画像全体にフォグが出てしまったが、どうやらコントラストが低いネガでベッケレル現像をプッシュしすぎたのが一因だったようだ。今回はフィルムネガの現像時間を4段階に延長して、密着焼きに最適なコントラストを探る。

 

[17-03-2008] Melquiades

・・・やがてメルキアデスは、ここしばらく見せなかった微笑を浮かべて、スペイン語で話しかけた。「わしが死んだら、わしの部屋で三日間、水銀をくゆらせてくれ」(『百年の孤独』G・ガルシア=マルケス、鼓直・訳)

ダゲレオタイプ水銀現像器の試作見積もりを、鋳造業者に依頼。
METで見たダゲレオタイプが照射していた存在の永遠の光彩、まなざしの明るさ、完全な鏡に向かってもっと早く、突き進んでいかなければならない。

 

[09-03-2008] 無題

ようやく体調が快復してきたので、ふたたび動き出す。
コマーシャルエクターを修理に出し、NYで撮ったネガを現像する。
昨日は久しぶりに会う友人たちと、韓国料理屋で飲む。NYの食事は僕にとって世界ワースト1だったので、東アジアの料理がしみじみうまい。食べながら身体中の分子を置き換えて行く感じ。

 

[07-03-2008] 帰国

NYより帰国。行きの飛行機で『On the Road』を読破、その勢いで超高速で色々な人と出会い、話し、飲む。 ちょっと9日間とは思えない密度の濃さだった。
HANS P. KRAUS Jr.でフレンチ・ダゲレオタイプとタルボットのソルテッドペーパーのオリジナルをこっそり見せてもらったのと、METの写真修復室訪問は感激でした!

 

[06-02-2008] 船舶ナイト号

だから彼女のほうは今では彼を見知っている。数秒間。でもイメージはそこに永遠にある。
わたしはあなたの顔のイメージではなくあなたの肉体のイメージについて話しているのよ。
(マルグリット・デュラス『船舶ナイト号』、佐藤和生 訳)

 

[27-01-2008] Khēmeia

一昨日の夜、雪の奥出雲より帰還。未明に帰宅する。

安来たたらの現場は想像以上のものだった。
たたら場では「村下(ムラゲ)」と呼ばれる長の指示の元、炉の周りで10人くらいの男たちが、土煙と降りかかる灰の中ほとんど無言で忙しく働いている。天井高い小屋は薄暗く(おかげで撮影は随分苦労した)、鯨の呼吸のような規則的な送風音と共に、炉から時には4メートル近い火柱が立ち上がって、火の粉が真っ暗な天井に吸われていく。頃合いを見て原料の砂鉄を挿入するのは、村下の仕事のようだ。彼らは間近で炎の色を観察し注視し続けるため、眼を傷めやがて視力を失うという。
そして三日三晩のほとんど不眠不休の作業の後に炉が壊され、押しつぶされたナマコのような形状の、6トンの赤熱した鉄塊が取り出される。これを砕いたのち取り出される「玉鋼(タマハガネ)」、最高品質の鉄はずっしりと重く、ところどころ瑠璃色や赤銅色に輝く宝石のような姿をしている。
たたらの炉に用いる素材は土、石、そして炭のみで、遠目に見ればただの土くれのまん中に風呂桶程度の大きさの泥舟が置いてあるだけ、といった感じだ(本当は、縦横20メートル、地下4メートルに及ぶ構造になっている)。
こんな簡素な装置から、現代の方法では作ることのできない玉鋼が産み出されるなんて、呪術か錬金術そのものだ。

 

[21-01-2008] 雪待ち

明け方近くまで、先週撮ったDr.ラクラのポートレイトをプリントする。

できあがった写真をメキシコ行きのFedEXに便乗させてもらうため、お昼前に横浜美術館へ。

横浜美術館でいま開催中の『GOTH』展(リッキー・スワロー、かっこいい!)と併設の収蔵写真展は気合いが入っている。キャメロン、フェントン、ル・グレイ他のヴィンテージプリントが、何故かモダンプリントより明るい照明で掛かっていて瞠目する。
バヤールのセルフ・ポートレイト(水死体のではなく家の前で撮ったもの)は初めて見た。白昼の光の爆発に晒され、ブドウのアーチの向こうで頭を垂れじっと耐えている(ように見える)写真家。垣間見える背景の壮大なボケの手前で、白壁の一軒家は時空に漂い出すタイムマシンみたいに見える。

 

[19-01-2008] Fiasco

非人間的なもののみがフォトジェニックなのだ。このことを引き換えにして、世界とわたしたちとは互いに茫然自失させる存在となる。つまり、わたしたちの世界に対する共犯関係と世界のわたしたちに対する共犯関係が働きだす。 ・・・

モノがすべての作業をなすのだから、写真は魔術である。(ジャン・ボードリヤール『消滅の技法』、梅宮典子 訳)

太陽系の内惑星には二種類の特徴的な風景がある──目的のある風景と荒廃した風景である。
・・・ レムブデン・クレーターは、かつて輪の北東部分で破裂した。次に、その穴を伝って、凝固したガスの氷山が這い出て来た。続く数百万年のうちに後退し、鋤き起こされた一帯に鉱床を残した──結晶学者その他の意表を突き、賞賛と苦悩の種となったものである。実際、眺めるに値する風景ではあった。今や巨大歩行マシンの運転手となった操縦士は、今それを目の前にしていた──彼方の山腹に囲まれた、傾いだ平野一帯を覆うのは・・・いったい何に覆われているのだろう?この世ならぬ博物館や宝石収集所の扉がその上で開かれ、人骨や死んだ怪物の死体やその欠片が雪崩を打って落ちたかのようだった。あるいは、・・・(スタニスワフ・レム『大失敗』、久山宏一 訳)

 

[18-01-2008] 内野さん

写真家の内野雅文さんが年明けに亡くなったと、今日、知らされた。
内野さんとはたった一度だけしかお会いしていない。昨年1月の大阪展に足を運んでくださり、しばらく写真やそのほかのことについて言葉を交わした。終始にこやかな、柔和な印象の方だった。 ニコンのウェブマガジンで、小林さん執筆の『ケータイとダゲレオタイプ』というエッセイで一緒に取り上げていただいたこともある。また会えるだろうな、と思っていたのに、僕より少し先輩くらいの歳でお別れなんてとても信じられない。お悔やみを言わなくてはならないけれど、どうしても実感が湧かない。うまく理解することができない。

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