9月7日早朝、成田からの直行便でヘルシンキに到着。
Tokyo Arts and Spaceからの派遣で、これから3ヶ月間のレジデンシー・プログラムHelsinki International Artist Programmeに参加する。わたしのスタジオと居室はヘルシンキからフェリーで十数分ほどの島、Suomenlinnaの要塞の中にある。
湖水のように動かない海の果てから陽がのぼる。一点の染みもない青空が十二時間もつづく昼の世界に君臨しつづけ、と思えば不意に、薄暮の澄み切った階調のただ中に、もう月と木星が輝いている。
眼から忙しさを取りのぞき、手を動かしつづけること。
—
昨年冬から今年の夏が終わるまで、日本の入国制限との闘いにほとんどすべてを費やしていた。
春までの顛末は岩波noteに寄稿したが、それからだれとだれに何を話し、何を話していないか、もう覚えていない。
アクティヴィズムの過程で出会った素晴らしい仲間たちと一緒に政治家や官僚たちと交渉し、当事者たちと情報を共有しつづけた。日本はいまだ国境を開いていない。それでも、限定的な渡航が許されるようになったのは、最初期にわたしたちが善戦したこと、そして官邸を除く政府・関係省庁、家族の人権を軸足に置きつづけてきたわたしたちと関わりのないやり方で働きかけを行ってきた、財界の圧力団体の利益が一致していたからだ。
沈黙もまた抵抗の方途だとして、人々は何に抵抗しているのか?ほとんどの場合、その抵抗の前哨戦は自我の境界線と同じなのだろう。そして、多様性とか循環といった包摂(inclusiveという語がすでに限界をあらわにする)に関わる実践が、個々人の自我の拡張によってもたらされるべきでないことは、いまだにわたしたちが固執しつづける国家や民族のイメージによって端的に示される。
—
他者たちが川床の礫のごとく、世界に敷き詰められている。
石たちは早瀬の中でひしめき叫び声をたてて身を削る。
政治をあきらめること。
他者を、すなわち自己の仮構をあきらめること。
鉄の鋏で切りひらかれ、始まりと終わりのはざまで死にゆく時間のリボンを結びなおすこと。
Comments are closed, but trackbacks and pingbacks are open.