Diary

釜石から陸前、石巻、名取から相馬へ。十年前の光景を鮮明に覚えているのに、眼前の風景はまるで見知らぬ場所のようだ。相馬まで旅を続けて集中の限界を感じ、南相馬から川俣を抜けていったん東北道で帰ることにした。まだ陽が高かったので、途中飯舘村でヤマユリをさがす。 震災後最初の夏、飯舘村長泥でこの花に出会ってから毎年のようにヤマユリを撮影してきた。 ヤマユリは不思議な花だ。花粉の運び屋はアゲハチョウで、あの豪奢な羽に花粉がしっかりと残るよう様々な工夫をしているらしい。そしてヤマユリはアゲハチョウだけでなく、ヒトの方に顔を向けているような気がしてならない。 アマユリは下草の刈られた日当たりのいい斜面を好むので、よく道路の法面や人の手の入った里山の樹間に大輪の花を咲かせている。かつて飯舘にたくさん自生していたヤマユリは年々減少している(きちんと調査した訳ではないが)。人口が大きく減った飯館村では道路端の荒れ具合が目立ち、山あいの家はすっかり草生して背後の山森に飲み込まれつつある。ヤマユリは、ヒトの世界に隣接した自然があってはじめて繁栄する種なのだろうか。 かつてヤマユリを見かけた場所をしらみつぶしに車で巡る。遠くからでもよく目立つその花の白さが、しかし、視界の端にうつることはなかった。天候が崩れはじめ半ばあきらめかけたころ、綿津見神社の裏手の資材置き場に一輪、まだ蕾のヤマユリが青白く立ち上がっているのが見えた。下部が大きく脹らんでやや反り返ったその蕾は、どこか鯨の姿に似ていると思った。 宿根草であるこの花が来年も帰ってくることを念じつつ花茎を切り、車の助手席に水を満たしたペットボトルとシートベルトを当てがって連れ帰る。

撮影ノート

撮影ノート 尻屋崎から大槌までの六月の旅を引き継いで、釜石から沿岸を南下して名取へ。 ソーダガラスのような東北の自然に、突如として原発や核燃施設や基地が挿入される。その唐突さは、それぞれの立地が天然資源や地層の安定といった地学的必然性と関係のない、政治的あるいは軍事的必然性によって選ばれたことから生じる。カネと権力によって造形された産業がそれらの場所を規定するのだとすれば、一方で、南北500キロにわたって海岸線を遮へいする防潮堤は、一見すると自然の驚異という必然性に規定され、カネと権力がほしいままに行使された場所である。 東日本の浜辺は消失した。砂礫の供給が止まり、

ひどい時代が過ぎるのを待ってはいけない/それは川岸で水が引くのを待つのとおなじだ/川は永遠に流れつづける (トーマス・ハイゼ監督『ハイゼ家 百年/Heimat ist ein Raum aus Zeit』作中の詩) シアター・イメージフォーラムにて『ハイゼ家 百年/Heimat ist ein Raum aus Zeit』(2019)。 人間は時代のゴーストから決して自由でないということ、そのゴーストは転々と姿を変えながら今もわたしたちの頭上にたなびいているのだ、ということを強烈に思い知る。シンプルな風景と歴史の耐えがたい見えづらさ。3時間半の旅を経てついにわたしたちの時空に投げ出される。ラストのカメラ・ワークの怖さ。

二つの「日誌」と「作業」について

今朝、ふたつの「日誌」が届いた。丸木美術館学芸員・岡村幸宣さん『未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員 作業日誌2011-2016』(新宿書房、2020年)そして東京新聞記者・片山夏子さん『ふくしま原発作業員日誌 一エフの真実、9年間の記録』(朝日新聞出版、2020年)で、前者は岡村さんからご恵贈いただいたもの。 いずれも東日本大震災後のオーラルヒストリーなのだけれど、前者が岡村さん本人の日々を綴ったモノローグで

千人針

パンデミックの影響で、4月以降の展覧会や講演がすべて延期かキャンセルになってしまった。「自粛」のため親しい友だちにも会えない暮らしはさみしいが(それにしてもなぜ「自粛」なのか?自粛はふつう、なにか罪滅ぼしのための行為ではないのか)、自分が隠者のような生活に少しづつ順化していることを感じる。 いま、唯一残った横浜トリエンナーレのための作品を作っている。戦時中の千人針を主題にしたダゲレオタイプ・シリーズ、そして映像の二つの柱で、他者の苦しみの記憶への、それぞれモニュメンタルなアプローチ、非モニュメンタルなアプローチが拮抗する展示空間になるだろう。 ダゲレオタイプは神保町の戦争ものの古物を扱う店で仕入れた千人針を、一針ずつ、1000枚の小さな銀板に直接撮影している。なぜわざわざそんな苦労を、と自問しながらも、玉結びを四倍のマクロレンズで覗き込むとファインダー越しの視界に圧倒される。きつく結ばれた握りこぶしのような結び目、いまにも抜けてしまいそうな頼りないもの、何重にも絡まって奇天烈なこぶのようなもの──千人の女たち(もっとも寅年生まれの人は年齢の数だけ縫えたそうなので、実際の人数はわからない)生々しい息づかいと個別性に、膨大で単調な作業であっても飽きることはない。

なんだか顔がヒリヒリするので鏡を見たら、額から頬にかけて軽い炎症がひろがって所々皮膚が剥けている。はじめダゲレオタイプの薬品のせいかと思ったが、どうやら原因はフラッシュ・ライトの閃光だったらしい。千人針の縫い目ひとつを四倍のマクロレンズで撮影しているので、ただでさえ感度の低いダゲレオタイプに露出倍数がかかり至近距離から1キロワットの照明を何発も焚く必要がある。自然とカメラのそばに顔を近づける格好になるので、顔の上半分がフラッシュ・ライトで火傷しまったらしい。念のため視野の外側やカメラをアルミフォイルでガードしているのだが、昨日は焦げ臭いと思ったらフォイルをとめていたテープから小さな炎が上がっていた。きれいな青い火で現実味がなく

広島での撮影終了

千人針のための映像作品、広島での撮影が無事終了しました。炎天下出演やご協力、取材いただいた皆様、そしてほとんどすべてのご縁を運んでくださった演劇家の土屋時子さん、たいへんありがとうございました。 2回目となるサウンド・エンジニア山﨑巌さんと映像作家・中川周さんとの協働は学ぶことが多し。そして『オシラ鏡』主演の高山君が、今回は助監督として活躍してくれました。 ・土屋時子さんの本『ヒロシマの『河』 〔劇作家・土屋清の青春群像劇〕』(藤原書店、2019) ・朝日新聞広島版『「千人針」テーマ 被服支廠で撮影 新井卓さん』 ・中国新聞『被服支廠戦時の記憶 映像監督新井さんが撮影』 ・毎日新聞『支局長からの手紙 場所の持つ力/広島』

千人針の五銭硬貨 / 5 sen coin sewed on a Sen-nin Bari (bellyband with 1000 stitches)

千人針に縫い付けられた5銭硬貨、「死線(シセン)をこえる」の意。このほか兵士を守るとされる女性の陰毛を縫い込んだ千人針や、戦場で渇きに苦しんだとき口に含んでその場を凌ぐため、梅酢に漬け込まれた千人針のオーラル・ヒストリーがある。 おおむね日露戦争くらいまで記録をさかのぼることのできる千人針習俗は、初期においては当局から非難される秘められた営みだったのが(千人針の祈りは最初期には徴兵忌避、その後「無事に帰還すること」に変容した。太平洋戦争後期の総力戦体制下ではひるがえって、〈銃後〉の結束を高めるため国家が推奨する活動となり、国防婦人会などを通して大量生産されるようになる。 ミクロ・レベルのナラティヴ/小さな祈り・善意/極小のマイクロモニュメントと、マクロ・レベルのナラティヴ/倫理規範/大規模モニュメントはいつでも対置されるわけではなく、連続するグラデーションの中に分かちがたく点在する。

横正機業場訪問@新潟県五泉市

千人針の映像の最後の撮影のためサウンド・エンジニアの山﨑さんと新潟県は五泉市、横正機業場を訪問しました。 明治33年(1900年)からつづく伝統を守り、現在は5代目になる横野さん兄弟が経営する絹織物工場。鉄と木で作られた機械が立てる

8月6日と本日8月9日、原爆の図丸木美術館のヴィデオレターが公開されました。 この2本は映像詩『オシラ鏡』のスタッフを中心に結成した映像集団「ハヤチネ芸術舎」による初の委嘱制作作品です。 今月後半から年末にかけて、丸木美術館のバーチャルツアー映像(といっても体裁は半フィクションの短編映画)を同じチームで制作します。 クラウド・ファウンディング・サイト「Global