2017年、文化人類学者の中原聖乃さんのお誘いで、民博の共同研究に参加して以来、多分野の研究者に出会う機会に恵まれた。彼ら/彼女たちの緻密な仕事を識るたび、人類がいかにしてひとつひとつ丹念に、石を積むようにして知の足場を築いてきたのか(わたしたちがいかに「巨人の肩の上にのる小人」であるか)、遠く見上げるような気持ちになる。芸術もほんらいそのようにして、今日までの小さな積み重ねによって存えてきたわけだから、一個人/グループの利益のための表現、体制に染まって腐乱した表現はもとより、先人たちの仕事を単にレファレンスとして利用するにすぎない表現、またそれぞれの生温かい領域に引きこもって安息する表現は、彼女/彼らの着実な実践の前で即座に消し飛ぶようなものにすぎない、と(自戒をこめて)思う。
この共同研究で、わたしは東松照明の長崎における活動に関する論文に取り組んでいて、これはかなり特殊な内容になるのかも知れない。今のところのサーベイでは、自分の論点に近い批評や先行研究がほとんど見つけられないからである。勝手のわからない土俵で挫折は覚悟しながらも、わたしなりにひとつ小さな石を積めたら、といま手探りで資料を集めている。
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芸術とアクティビズムに関する、戦後から1970年代にかけての資料にあたっていると、その時代にあった、闊達で歯に衣を着せぬ表現に、爽快さを感じることは否めない。しかし、一歩引いて注意深く探ってゆくと、そこに過去・現在とさほど変わらない意識の流れが見えてくる。それは往々にして、他者の痛みの搾取によってかろうじて立ち上がる、キメラ的な怒りの様式を呈する。つまり抵抗の身振りとその主体が、ひとつの表現形式において(すくなくとも芸術表現において)実体化されたファンタジーに過ぎず、それらの構築物からみて未来の時間に生きるわたしたちが、それらの構築物を手がかりに空想する過去の感触とイメージは、輪をかけて度の強いファンタジーであるかもしれない、ということだ。
見事なまでに戦後復興期と同じ軌道を描くようにみえる、21世紀の東京オリンピックにせよ、大阪万博にせよ、そこでごく一部の層によって表明されるであろうささやかな抵抗は、福島を盾にとり、若年層の貧困や、沖縄の惨状を突きつけることで、面目を得るだろう。しかし今なお、それほどまでにナイーヴであっていいのだろうか。そのようにして、またしても、他者のトラウマすなわち決して共有することなどできない〈記憶〉を(ジャン・リュック・ナンシー「記憶の分有」)、わたしたちの語りによって簒奪する(カルース・キャシー『トラウマ・歴史・物語 持ち主なき出来事』)のだろうか?そして他者たちが抵抗の声を上げないからといって憤る者たちは、一度でもその痛みを分有しようと、それら他者たちに接近を試みたことがあるのか。
これは政治的妥当性(PC)に関わる批判ではもちろんなく、わたしは個々人に(不当にも?)割り当てられた生存の条件に応じた、孤独と、情動の復権のための、無数の、極小の闘いなくしては何も始まらないという単純な事実を、言いたいだけである。それはたとえば、地下鉄で隣りに乗り合わせた見知らぬ人との対話によって起こりうる、あるかないかの変化かもしれないし(都市においてそれは蛮行/vandalismとされる。西澤晃彦『貧者の領域─誰が排除されているのか』)、乱暴な自動車の運転者に、その場であからさまな怒りを表明することかもしれず、しかし、現代のとりわけ日本の都市においてそうした場面がいかに注意深く、わたしたちから奪いとられているか、その事実を抜きにして、たとえば、ほんらい民衆がなし得る暴力の婉曲表現であるデモは、飼い慣らされた、視覚的パフォーマンスに徹するほかない。
非暴力の実践とは、ゴミひとつのこさないデモの自己賞賛などでは微塵もなく、半ば自律的な統治のシステムによって公共空間から、暴力あるいは病、狂気としてレッテルされ囲い出された様々な生の様態を、個々の生において、ひとつずつ奪回する地道な闘争の果てにたどり着くべきあたらしい世界像であり、世紀を賭してもおそらくたどり着かない長く険しい道程を生きる覚悟、あるいは世代間を超えた確信にほかならない。
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