二つの「日誌」と「作業」について

二つの「日誌」と「作業」について

今朝、ふたつの「日誌」が届いた。丸木美術館学芸員・岡村幸宣さん『未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員 作業日誌2011-2016』(新宿書房、2020年)そして東京新聞記者・片山夏子さん『ふくしま原発作業員日誌 一エフの真実、9年間の記録』(朝日新聞出版、2020年)で、前者は岡村さんからご恵贈いただいたもの。

いずれも東日本大震災後のオーラルヒストリーなのだけれど、前者が岡村さん本人の日々を綴ったモノローグで日常の様々な機微が含まれているのに対し、後者はイチエフ作業員の語り(ゴシック体・太字で印刷)のアンソロジーで、明朝体で印刷された日誌の箇所に片山さんの感情の動きが、記者らしく少し抑制された調子で綴られている。わたし自身の日誌ではないのに、二冊を一気に読みながら自分自身の9年間について思いだし考えていた(とはいえ岡村さんには随分わたしのことを書いていただいたようで少し気恥ずかしくも、嬉しかった)。
忘れてしまうこと、それ自体が悪いのでは決してない、と今では思う。次第に遠のいてゆく過去からの声、死者たちの声を、どこかの地点ではじめから存在しなかったかのように葬り去ってしまうこと、それが問題なのだ。「忘れること」と「なきものにすること」とは、トラウマという概念を通してみても全く違っている。
たとえば岡村さんが美術館に迷い込んだ一頭のオオムラサキに目を奪われるとき(岡村, 133)、あるいは原発作業員の「ヒロさん」がイチエフの周辺では稀少なポケモンが見つかるのだと息子に話すとき(スマートフォン向けゲーム「ポケモンGo」の話。片山, 343)、そうした細部は時系列に沿った「事実」の周縁に不定形にひろがる〈出来事の余剰〉(※)へと開かれている。そのような〈出来事の余剰〉を通して、個別の体験は他者との感情的接点を見いだし、理解不可能と思われた他者の苦しみの記憶はかたちを変えて、わたしたちの日々の生に息づきはじめる。

二冊に共通する「作業」という言葉がなんとなく気になって、はじめて辞書を引いてみた。『精選版 日本国語大辞典』がいちばん詳しく『評判記・色道大鏡』(1678年)や『どちりなきりしたん』(1600年)など近世の用例が引かれていて面白かったが、いずれも「ある目的のために、心身(または身体能力と知能)を使ってする仕事」という意味は変わらない。心身の仕事は一過性のものであるはずもなく、繰り返し、持続的に行われる仕事である。
ジャズ・ギタリストの高柳昌行が『銀巴里セッション』のライナーノーツに記した言葉が思い出される。「反戦思想は舞い上がりや、空騒ぎや、お祭りでなくこの中に沈潜し日常性に表出される──」(「メモ」)。このレコードは1963年の録音で、おそらくはベトナム戦争に対する音楽家たちのアティチュードへの苦言と思われるが、「反戦思想」をたとえば「抵抗」と置き換えても「resilience/リジリエンス」と置き換えてもゆるされるのではないか、と思う。今日読んだ二冊は間違いなく、その実践にほかならない。

明日で東日本大震災から9年、コロナウイルス騒動で記念式典などが少ないのは、もしかすると悪いことではないのかもしれない。3月11日は1万5000余人の死者たちと残された家族たちのための命日であって、カネと嘘で粉飾した「復興」を祝う日ではない。
盛大に散らかしてしまった仕事の断片をあつめて、わたしも作業に戻らなくては。

岡真理『記憶/物語』岩波書店、2000年

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