Diary

橋本雅也の彫刻を見るとき、わたしたちは花を見てはいない。わたしたちの眼は削り出された組織/tissue、鹿の生命がたゆみない異化と同化作用を繰り返して結晶させた織物/tissu、その内部に晒されている。それは鹿たちの、わたしたちの肉体の隅々に隠された形態、手触りと質量のあらわれであり、物質と生命の不確かな境界面(インターフェース)のあらわれにほかならない。 (橋本雅也「間なるもの-霧のあと-」展、ロンドンギャラリー、11月16日訪問。)

台風19号「ハギビス」の夜が明け、がらんどうになった青空のもと直売の卵を求めて二子新地まで歩く。直売所の棚は空で卵も野菜もなかった。ニュースで繰り返し報じられた高津区北見方はわたしが暮らす町で、直売所から少し下ったところ、それからわが家の隣の丁目まで床上浸水があった。水は自然に、

9月21日土曜日、PGIにて映像詩『オシラ鏡』上映回と「IMAGO/イマーゴー」展で展示中のシリーズ「明日の歴史」でポートレイトのモデルになってくれたティーンエイジャー(当時)6人とのトークがあった。映画監督のYさんほか30名弱の来場あり、嬉しくも、やや緊張する。 若者たちは広島からオシラ鏡にも出演してくれた三人と、

映画『主戦場』(ミキ・デザキ監督、2018)イメージフォーラムにてようやく観る。 映画を観て泣くことはあっても、情けなさから涙したのは初めてだった。泣きながら、この迫り来る羞恥の感覚は彼/彼女ら「歴史修正主義者たち」をわたしが「日本人」というナショナルな感覚で自己同一化するために来るのだろうか、あるいは、もっと直情的な怒りの発作なのか、捉えきれないまま身もだえし苦しみつつ観た。 映画に登場する「歴史修正主義者たち」の言動が極めて醜劣であることは、幸いな偶然だったのかもしれない。しかしそれは、彼/彼女たちと逆の立場の人々にとっては危険な罠でもある。 デザキ監督は「ある意味、論争の場は私の頭の中にあったと言えるでしょう。否定論者と慰安婦を擁護する側の双方が、自分たちの主張が正しいと私を説得しようとしていましたから。」(1) と語っているが、「主戦場」は常にわたしたちの眼前で相対化され編集されつづける〈記憶〉と言説の現場にある。その不分明な場所で本当に信頼に足る言葉と態度とはどんなものか、本作に登場する27人の語り手の声に耳を澄ませれば、明らかである。 (1) 大島新『従軍慰安婦をテーマにした話題作『主戦場』で”あんなインタビュー”が撮れた理由 プロパガンダ映画か、野心的なドキュメンタリー作品か』文春オンライン、2019年6月11日、 https://bunshun.jp/articles/-/12302 (2019年9月12日閲覧) — 最近は10月の東アジア環境史学会で発表するペーパー、民博の共同研究の論文のほか、現代詩手帖の連載、また共著と慣れない執筆の締め切りに追われて、他のことはほとんどできていない。 それでも書く、という仕事は、日常につらい出来事が重なってもどうにかできるらしく、それで救われているのかも、と思う。

長いあいだ執着していたFacebookを離れることにした。テレビは地上波デジタル化についてゆく気がせず、人の尊厳を踏みにじるようなバラエティ番組や愚かな政治家の顔を進んで見たくはないので、ここ五年ほどは静かな居間に座っている。しかしたとえば地震があったとき、それがどのくらい深刻なのか画面のないラジオのニュースは、目の前に薄膜が張ったように現実の感覚から遠い。これでいいのだろうか、時代から遅れをとってしまうだろうか? でも、制御された情報によって見える時代の相貌とはなにか。SNSはかつて国境を越えた市民発信の情報源としてあたらしい希望に見えたが、

2017年、文化人類学者の中原聖乃さんのお誘いで、民博の共同研究に参加して以来、多分野の研究者に出会う機会に恵まれた。彼ら/彼女たちの緻密な仕事を識るたび、人類がいかにしてひとつひとつ丹念に、石を積むようにして知の足場を築いてきたのか(わたしたちがいかに「巨人の肩の上にのる小人」であるか)、遠く見上げるような気持ちになる。芸術もほんらいそのようにして、