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映画『主戦場』(ミキ・デザキ監督、2018)イメージフォーラムにてようやく観る。 映画を観て泣くことはあっても、情けなさから涙したのは初めてだった。泣きながら、この迫り来る羞恥の感覚は彼/彼女ら「歴史修正主義者たち」をわたしが「日本人」というナショナルな感覚で自己同一化するために来るのだろうか、あるいは、もっと直情的な怒りの発作なのか、捉えきれないまま身もだえし苦しみつつ観た。 映画に登場する「歴史修正主義者たち」の言動が極めて醜劣であることは、幸いな偶然だったのかもしれない。しかしそれは、彼/彼女たちと逆の立場の人々にとっては危険な罠でもある。 デザキ監督は「ある意味、論争の場は私の頭の中にあったと言えるでしょう。否定論者と慰安婦を擁護する側の双方が、自分たちの主張が正しいと私を説得しようとしていましたから。」(1) と語っているが、「主戦場」は常にわたしたちの眼前で相対化され編集されつづける〈記憶〉と言説の現場にある。その不分明な場所で本当に信頼に足る言葉と態度とはどんなものか、本作に登場する27人の語り手の声に耳を澄ませれば、明らかである。 (1) 大島新『従軍慰安婦をテーマにした話題作『主戦場』で”あんなインタビュー”が撮れた理由 プロパガンダ映画か、野心的なドキュメンタリー作品か』文春オンライン、2019年6月11日、 https://bunshun.jp/articles/-/12302 (2019年9月12日閲覧) — 最近は10月の東アジア環境史学会で発表するペーパー、民博の共同研究の論文のほか、現代詩手帖の連載、また共著と慣れない執筆の締め切りに追われて、他のことはほとんどできていない。 それでも書く、という仕事は、日常につらい出来事が重なってもどうにかできるらしく、それで救われているのかも、と思う。

Oct 3, 2014, Pumpkins, Artpace Sun Antonio

サン・アントニオのカボチャ、2014年10月3日(「毎日のダゲレオタイプ・プロジェクト」より) ダゲレオタイプ(銀板写真)、6x6cm Oct 3, 2014, Pumpkins, Artpace Sun Antonio. Form the series of Daily D-type Project, Daguerreotype, 6x6cm   百の太陽を探して 北アメリカ(十一)カボチャの名前/中編 新井卓 (丸木美術館学芸員・岡村幸宣さんの同人誌『小さな雑誌』No.86掲載原稿より転載)、加筆修正箇所あり(2019/9/10) アメリカ、テキサスでは、大の大人たちが揃ってなにか仕事しようというとき、とりあえずジョークの一つも飛ばさなければなにも始まらない。そんな風なので、大して流暢に英語も話せない私は、滞在当初ずいぶん戸惑うことになった。 日本に落とされた二発の原爆にはそれぞれニックネームがつけられていた。リトル・ボーイ(チビ)とファット・マン(太っちょ)。広島に爆弾を投下したB29にはエノラ・ゲイの愛称がつけられたが、これは機長ポール・ティベッツの母親の名前である──これら兵器の馬鹿げた名前と、未曾有の大量殺戮行為。あまりにも理不尽な落差に、怒りを通り越して、その異様な気楽さはいったいどこから来るのか、私はその理由を知りたいと思った。

いまから百年のちに わたしの詩の葉を 心をこめて読んでくれる人 君はだれか── いまから百年のちに。 早春の今朝の歓びの 仄かな香りを、 今日のあの花々の、鳥たちのあの唄を、 今日のあの真紅の輝きを、わたしは 心に愛をみなぎらせ 君のものに 届けることができるだろうか── いまから百年のちに。 (ラビンドラナート・タゴール「いまから百年のちに」(原題「一四〇〇年」)『タゴール』42頁、森本達雄訳、岩波現代全集、2015年) A hundred years from this day Who are you that sits down to read my poem Filled with curiosity – A hundred years from this day. The joy of this newly minted spring morn Even a trace of that- One perfumed flower, one joyous bird song Just one of the colours that painted this day Not one of …

長いあいだ執着していたFacebookを離れることにした。テレビは地上波デジタル化についてゆく気がせず、人の尊厳を踏みにじるようなバラエティ番組や愚かな政治家の顔を進んで見たくはないので、ここ五年ほどは静かな居間に座っている。しかしたとえば地震があったとき、それがどのくらい深刻なのか画面のないラジオのニュースは、目の前に薄膜が張ったように現実の感覚から遠い。これでいいのだろうか、時代から遅れをとってしまうだろうか? でも、制御された情報によって見える時代の相貌とはなにか。SNSはかつて国境を越えた市民発信の情報源としてあたらしい希望に見えたが、

同人誌『小さな雑誌』緊急寄稿文 いま〈前衛〉であるために──表現者は守られるべきか 新井卓   去年の六月、東京のゲーテ・インスティテュート・ジャパンで「1968年─転換のとき:抵抗のアクチュアリティについて」を観た。とりわけ印象に残ったゲルド・コンラッド(Gerd Conradt)『Farbtest – Die rote Fahne(カラーテスト─赤い旗)』(一九六八)、岩田信市『THE WALKING MAN』(一九六九)のほか、ゼロ次元のパフォーマンスを記録した映像、加藤好弘『バラモン』(一九七一〜一九七六)があった。 かつて、愛知県警に守られゼロ次元による路上全裸パフォーマンスが行われた名古屋で、五年前、鷹野隆大氏のヌード写真作品が刑法一七五条(わいせつ物頒布等の罪)に問われ、警察から撤去を命令される事件が起きた。

IMAGO: Takashi Arai (Aug 30 - Oct 18, 2019 at PGI, Tokyo)

IMAGO: Takashi Arai Aug 30 (Reception 18:00) – Oct 18, 2019 PGI, Tokyo *Sept 20 (Fri): “Oshira Kagami” Film Screening *Sept 21 (Sat): “Oshira Kagami” Film Screening + Artist’s Talk with Models https://www.pgi.ac   新井卓「イマーゴー」展 2019/8/30 (オープニング午後6時) – 10/18 PGI, 東京 *9/20(金)夜『オシラ鏡』上映会 *9/21(土)午後『オシラ鏡』上映会 + トーク(撮影当時のティーンエイジャーたちと) https://www.pgi.ac   Takashi Arai is one of the few artists working with the daguerreotype today, the world’s first widely available photographic process. This exhibition, entitled …

GRAYS, SEEING [3 Persons' Exhibition]

GRAYS, SEEING 新井卓+橋本雅也+藤井健司 新井卓事務所は今夏、移転します。お世話になったみなさまへ、感謝と新しい門出の挨拶にかえて、三人の作家による新作展を開催します。 会期: 2019年6月1─9日 / June 1─9, 2019 時間: 土日 Sat/Sun 11:00─19:00 / 月─金 Weekdays 15:00─19:00 場所: 新井卓事務所 横浜市南区高砂町1-3-4-1F 見ている、灰色を── 白と認識し、黒と認識し 或いは、ゆっくりと深く沈めて 呼吸は波となり、 輪郭が潮に解けるのを待つ 灰色のあわい、霧のまにまに 形あるものたちの眠り 早朝に西に沈む太陽、明瞭な軌跡 星々の運行と共にして 草木は時を知る 石なる時間のあす、人ならぬ 目を瞑る花々の昨日   橋本雅也(はしもとまさや) 1978年岐阜県生まれ。独学で彫刻を学ぶ。主な個展に「殻のない種」(ロンドンギャラリー/東京/2012年)、「間なるもの」(金沢21世紀美術館デザインギャラリー/2014年)、グループ展に「生きとし生けるもの」(ヴァンジ彫刻庭園美術館/静岡県/2016年)、「物語る物質」(高松市美術館/2017年)「5 rooms─けはいの純度─」(神奈川県民ホールギャラリー/2018)など。 藤井健司(ふじいけんじ) 横浜、バンクーバー(カナダ)拠点。 10歳より水墨画を描き始める。 20代は、もっぱら野外での写生に専念する。 30歳前後、韓国雪嶽山での厳冬期の体験をきっかけに、写生から少しずつ離れる。やがてそれは、心の景色を捉える「心景」となる。 2018年、カナダで濃霧のウィスラー山に登る。 以降、「無」を描いている。 新井卓(あらいたかし) 1978年川崎市生まれ。現在、神奈川県横浜市、川崎市、岩手県遠野市を拠点に活動する。 黎明期の写真技法・ダゲレオタイプ(銀板写真)によるシリーズ、映像制作、執筆ほか多岐にわたる活動を展開。2016年に第41回木村伊兵衛写真賞、2018年映像詩『オシラ鏡』で第72回サレルノ国際映画祭短編映画部門最高賞など。東京国立近代美術館、スミソニアン博物館、ギメ美術館ほか多数の美術館に作品収蔵。単著に『MONUMENTS』(PGI、2015)などがある。

いずれの場合にも、賭されているのは、見てのとおり、縁取りと開かれの関係、眼窩と穴の関係である。何ものかが眼差しのまわりにまとわりついている。タブローが形象のまわりに組織化される、というだけでは十分ではない。さらに、この形象がその眼差しのまわりに──その幻視(ヴィジョン)、その千里眼(ヴォワイヤンス)のまわりに組織化されるのでなければならない。眼差しには何が見えているのか、眼差しが見ている、もしくはまなざしているはずのものとは何か。これこそがもちろん問題の核心である。 ジャン=リュック・ナンシー『肖像の眼差し』岡田温史・長友文史=訳, 人文書院, 2004. 唯一の相違は、他の人たちがはっきりしないまぼろしに満足するのに対し──私はいつも顔全体を見たいのです。 カール・シュピッテラー「イマーゴー」『ノーベル賞文学全集3』主婦の友社, 1972. だれしも生きている者を彫刻したいと思う、しかし生きている者のなかで彼を生かしめているものは、疑いもなく、そのまなざしなのだ。 矢内原伊作・宇佐美英治=編訳『ジャコメッティ 私の現実』みすず書房, 1976, p.132        

Apocalypse: Then and Now

Apocalypse: Then and Now Curated by Dr. Thalia Vrachopoulos February 13, 2019 – April 5, 2019 Opening Reception: February 13, 2019, 5:30 – 8:00 PM The Anya and Andrew Shiva Gallery, John Jay College of Criminal Justice 860 11th Avenue, New York, NY 10019 Following text is quoted from the official press release: The exhibition “Apocalypse: Then and Now” reflects sinister omens for the future as seen in our daily life and …

百の太陽を探して 北アメリカ(十)カボチャの名前(前編) 新井卓   (丸木美術館学芸員・岡村幸宣さんの同人誌『小さな雑誌』No.85掲載原稿より転載) ──一発の原子爆弾で街が見渡すかぎりの焦土と化した翌年、広島では、カボチャが不思議によく採れたのだという。 敗戦間際、アメリカ最新鋭の爆撃機・B29は、ときおり不可解な小数行動をとることがあった。おおかたは偵察と思われたが、まれに、凄まじい威力の爆弾を一発だけ、投下することがあった。 敗戦の前日、八月一四日に春日井に落とされた爆弾について調査していた市民団体は、米軍の出撃記録に当日のデータがないことに気づく。それは、マンハッタンプロジェクトの一環として、