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十代の肖像のシリーズ「明日の歴史」は、2015年、LACMAで掛かっていた「New Objectivity: Modern German Art in the Weimar Republic, 1919–1933」展で見た、一枚のテンペラ画から始まった。クルト・ギュンターによってヴァイマル時代、とりわけ1928年という不穏と希望が混淆する年に描かれたという、この少年の画が、オットー・ディックスの圧倒的な仕事から少し離れた場所で、強烈に意識に焼き付いている。グロテスクなまでに大きく澄んだまなざしと固い防御の姿勢に引き裂かれて、タロットの絵札に見るような象徴性と正面性を帯びるこの少年像に、わたしたちは、起こりうる未来(わたしたちにとっての過去であるところの)を見いだそうとする。エニグマティックなニットの模様。ヴィトゲンシュタインが「眼が何かを表しているのではなく、見る者が眼に意味づけしているのだ」(『断片』)と言ったように、とりわけ、わたしたちは時代の感情──もはやそれが架空のもの、幻想に過ぎないとしても──が少年の眼から放射されているかのように、見ようとする。

Mexiko/Mejico/México: Introduction to Contemporary Mexican Photography Josue Gordon Guerrero, Image researcher / Ph.D. candidate in Art, Kyoto University of Art and Design Mexiko, Mejico or México – the land once called those different names, has a colorful but complex history. Being rocked by ceaseless political and economical issues, each art scene is inevitably interconnected with social movements and is forming uniquely mixed culture with the Latin and Pre-Hispanic worlds. Kyoto-based…

プロジェクト_残丘(Zankyū)セッション #05: ホスエ・G・ゲレロ「メツィコ/メジコ/メキシコ:メキシコ現代写真入門」 メツィコ、メジコ、メキシコ──かつて様々な名で呼ばれたこの土地は、色鮮やかで、複雑な歴史を持つ国である。 政治的、経済的困難に絶えず揺り動かされてきた結果、メキシコの芸術シーンは社会運動とは切っても切り離せない関係にある。こうした背景によって、メキシコには前ヒスパニック世界とラテン世界が独自に混淆した文化が形成されている。 <プロジェクト_残丘>セッション#05では、メキシコ生まれ、京都在住の映像研究者ホスエ・ゴードン・ゲレロ氏が、メキシコ市で開催されるここ最近の写真ビエンナーレを振り返りながら、現代において最も重要な写真家たちを紹介する。また、彼自身の来日中の研究テーマである「現象学的写真論」について聞く。 とき〉2018年7月14日(土)午後5:30-7:30  ところ〉新井卓写真事務所 横浜市営地下鉄阪東橋または京急黄金町から徒歩5〜8分 言語〉英語、日本語 (逐次訳) 席料〉一般1,000円/学生無料/定員25名、要予約 予約はこちらから 

百の太陽を探して 北アメリカ(八)デイトンの亡霊たち/後編 新井卓   (『小さな雑誌』82号(2015年)より転載) 二〇一五年秋、長崎に原爆を投下したB-29・通称〈ボックスカー〉を撮影するため、国立アメリカ空軍博物館を訪れた。オハイオの連なる段丘は初秋の光に美しく輝いていたが、わたしの目的地は巨大な、薄暗い格納庫(ハンガー)である。デジタル・カメラで〈多焦点モニュメント〉ダゲレオタイプに使用するイメージを何千枚と撮影するため、滞在期間は一週間ほどになった。

ゲーテ・インスティテュート・ジャパンにて映像展示「Ausstellung: 1968年―蜂起する路上」、その後関連シンポジウム「抵抗の未来へ」観る。 https://www.goethe.de/ins/jp/ja/kul/sup/zei/ges.cfm?fuseaction=events.detail&event_id=21245655 Gerd Conradt『Farbtest – Die rote Fahne(カラーテスト‐赤い旗)』(1968)、Thomas Giefer『Happening der Kommune 1 bei der Trauerfeier für Paul Löbe(パウル・レーベの葬儀におけるコミューン1のハプニング)』(1967)、加藤好弘『バラモン』(1971年—1976)、岩田信市『THE WALKING MAN』(1969)ほか。 Gerd Conradtの『Farbtest – Die rote Fahne(カラーテスト‐赤い旗)』は、若者たちが赤い旗をリレーしながら道路を失踪する作品で、カメラは、先導する自動車(おそらくは)から走者たちを正面から捉えている。オリンピック勝者の凱旋を彷彿とさせる演出は単純だが好感を持たせられる。その好感/共感は、パフォーマンスのドキュメントという形式から生まれ、当時の路傍で見守る人々と、映像を見守るわたしたち観客が同一の立場に置かれるためである。本作の正面で上映されている城之内元晴『日大白山通り』(1968)は観るものの時空間とは断絶している(高い資料性と裏腹に)。 路上を占拠し、さまざまなパフォーマンスで異化する行為は、

Sharing Memories on Micro-Monuments: Photographs as Image-Objects and New Narratives for the Atomic Age presented by Takashi Arai, Visual Artist/Visiting Researcher, National Museum of Ethnology, Japan Lakeland University Shinjuku Campus Wednesday, June 27th at 7:00 PM Since the March 11, 2011 killed more than 19,000 and created nuclear catastrophe, Takashi Arai has been contemplating monuments as a means of conveying collective memory. This lecture will elucidate how historical and contemporary…

Todd Forsgren: Post-industrial Edens

PROJECT_MONADNOCK Session#04: Todd Forsgren: Post-industrial Edens The abolition of the Main Crop Seeds Law has put the security of Japanese food at imminent risk. This, combined with a flood of GM produce and the use of harsh agricultural chemicals, has created new limitations to Japan’s food sovereignty and our country’s agricultural system now faces great difficulties. On the other hand, public interest in organically grown food and sustainable farming are…

講義 写真家/タッド・フォルスグレン ポスト・インダストリアル・エデンズ──市民農園の風景にみる持続性と多様性

プロジェクト_残丘(Zankyū)セッション #04: タッド・フォルスグレン「ポスト・インダストリアル・エデンズ──市民農園の風景にみる持続性と多様性」   いま、安倍政権による主要農作物種子法(種子法)の廃止(2018年3月末)を受けて、遺伝子組み換え作物やその育成に使用される農薬の氾濫、さらには「食料主権」の存続そのものが危ぶまれています。 その一方、世界各地で有機農法、持続可能な農業への関心が高まりを見せ、自給自足のための小規模農園がひとつの社会現象となりつつあります。 20世紀の爆発的な人口増を支えた機械化農業の対局にある、個人や地域コミュニティの手による農園が、いまなぜ人々の関心を呼ぶのか。「市民農園」に着目して世界各地で調査と撮影を行う写真家、タッド・フォルスグレンをゲストに迎え、都市に混在する農園の様相──ヒトと自然の風景の境界線から浮かび上がる、時代の要求を探ります。 とき〉2018/6/10(日)17:00-19:00  ところ〉新井卓写真事務所 横浜市営地下鉄阪東橋または京急黄金町から徒歩5〜8分 言語〉英語 (質疑応答時の通訳はあり) 席料〉一般1,000円/学生無料/定員25名、要予約 予約はこちらから 

2018年2月7日:バンカートスクール 「写真について」

2月7日、午後7:30〜横浜BankArtの連続講座「写真について」第一回で講師を担当します。 事前申込みが必要ですが、ご興味のある方はぜひご参加ください。 チラシPDF school2018_2_3 お申し込み・お問い合わせ: BankARTスクール事務局 school@bankart1929.com TEL 045-663-2812 FAX 045-663-2813 BankART Studio NYK 〒 231-0002 横浜市中区海岸通 3-9

祖父の命日の二日前、25日夜、母方の祖母が逝ってしまった。スタジオで終わりの見えない作業をしている最中、父から知らせがあった。しばし考えがまとまらなかったがとにかく帰ることにした。 実家に入っていくと祖母の寝室で、ベッドを囲んで母と父と弟が動かない祖母を三方から取り囲んで黙って座っていた。点滴と酸素吸入器はそのままになっており祖母の口は開いたままだったが、医師がまだ到着しないので手を触れられないという。亡くなってはいても喉が渇くだろうと可哀想に思ったが、なす術もなく見つめるほかなかった。母が介護の手を休めて食事をするあいだ、ほんの二十分かそれくらいの間に、誰にも気づかれず静かに息をひきとったというのだから、それは安らかな最期なのだろう。 やがて訪問介護施設の医師が到着し、死亡時刻を告げてから、看護師がペットボトルのキャップに穴を開けた即製のシャワーで吐瀉物で汚れた髪を清めてくれ、お騒がせしました、いってらっしゃい、と祖母に頭を下げて帰っていった。私よりも二つ三つ年若そうな彼の様子に心を打たれながら、自分は一年か二年の在宅介護のあいだほとんど何もしようとしなかったのだ、一年というもの、ほとんど会話らしい会話も試みようとしなかったではないか──そのように後ろ暗い思いをふるい落とすことができずにいる。いや、そもそもそれ以前にも、きちんと会話できたことは一度でもあったのだろうか、とまで考えながら、子どものころ私の避難所だった祖母の部屋や、説教くさい少年少女文学全集を読み聞かせてくれた彼女の声の調子や、ミシンの音、マドレーヌを焼くにおいなどを少しずつ記憶の奥から拾いあげては、締めつけられるような懐かしさと、身内という存在の永遠に解きえない謎の間を、心が行きつ戻りつするのをただ見てていた。 翌日からのたくさんの約束を全部キャンセルして、連日の徹夜作業から泥のように眠った。翌朝起きると夜半に葬儀屋が来て祖母の床を整えていったという。口は閉じられていたが、末期の水をとらせて線香を上げて、頭部に触れると思いがけずまだぬくもりが残っていた。 今日は大阪で国立民族博物館の研究会があり、発表者は私一人の回だったので休む訳にもいかず飛行機をとって日帰りで往復することにした。 きょうが祖父の命日だったろうか。朝、刻々と地平線から高度を上げる太陽に直射されながら東へ、羽田へ車を走らせた。日航の工場長だった祖父は、こうしてその貌を朝日に灼かれながら日々、玉堤通りを走ったのだろうか。幼いころ何度か連れていってもらった日航のテニス場やプールの思い出は、彼の運転する小さな三菱コルトの窓から差し込む、黄ばんだ太陽の光と熱の感覚とともに、記憶の襞に強烈に現像されている。 伊丹空港行きの全日空は満席だった。離陸すると多摩川の河口と空港のランウェイと品川、そしてはるか新宿のビル群までがはっきりと展望された。眼下の都市部はすぐにまばらになり、と思えばすでに富士の裾野に差しかかっているのだった。山の峰は直視できないほど白く燦然と屹立し、関東平野から甲府盆地、日本アルプスの峰々のなかにあって比類無く、見渡せる限りの地形を完全に支配しているのが見て取れた。 人は死ぬとどこへいくのか──宗教を信じない私は何度も、想像しようとする。 たとえば遠野の人々は、みな早池峯の頂へと帰るのだという。魂は、あるいはエネルギーは山岳の頂点まで登ってそこから虚空へ、宇宙へ細い光の帯となって解き放たれるのだろうか。あるいはそれは拡散しながらこの惑星の一つなるマトリクスに留まり、いつかふたたび、異なるエネルギーの様態となって流転を続けるのだろうか。 いま、大阪から帰って書いている。きょうは葬儀屋がまた来て、湯かんという儀式をし、衣装を整え化粧を施して帰ったらしい。私はまだ会っていないけれど妻が代わりに、足袋をはかせたり、儀式に立ち会ったりしてくれたという。一昨日からの冷え込みは今晩も収まる気配はない。空気は恐ろしいほど澄んでいて、上弦の月の傍に一等星が近づいている。